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スチーム女子

予備の身体 〜噂される義肢職人の祈り〜

作者: かも ねぎ
掲載日:2026/02/27


 貴族の集まる、とある晩餐会にて。


 談笑していた一人の紳士に、また別の紳士が挨拶に近づいた。


「おや、卿は……。お久しぶりですね。

 ……事故にあって足を失ったと伺いましたが……」


 彼の視線は、紳士の足元に落ちる。

 視線を向けられた彼は、にこやかに笑った。


「やぁ、どうも。

 実はね、あのヴァレンティア補助機構のエターナリーRシリーズを手に入れたんですよ」

「もしかして……、かの有名な職人作の義足ですか……?」

「そうです。アーヴィン作です」


 話しかけた紳士は、驚いたように眉を上げた。


「相当値が張ったのでは……?」

「あっはっは。まあ見てください」


 紳士は、その場で軽やかにステップを踏んで見せた。

 終わると、その場にいた人々が拍手を送り、彼はボウ・アンド・スクレープで応える。


 彼は裾を払って服を整え、誇らしげに笑った。

 

「もう二度と歩けないと思ったのです。

 なのに、こうして、歩ける。

 愛しい娘たちと散歩もできるのです」

「そう言われたら、そうですな。

 魔導補助機能付きなんでしょ?

 どうですか?」

「軽い。思うように歩ける。最高だ」

「これはこれは」


 紳士は少しだけパンツの裾をめくって見せた。


「ほら、見た目も美しい。

 どこかの王女はこの足が欲しくて、自ら足を切り落としたとか」

「まさか!」

「あっはっは!

 真実は知りませんよ。都市伝説の類でしょう。

 それくらい素晴らしい義足ということです」


 それを遠目で見ていた夫人たちも、声をひそめて話していた。


「確かに美しいわね。

 職人のアーヴィンも相当美しいとか」

 

 一人が扇で口元を隠す。


「でも……、お聞きになって?

 アーヴィンは婚約者の義足や義手を作って愛でてるとか……」

「え……?

 ご婚約者様は五体満足でいらしたわよね」

「えぇ。わざわざ作ってるのよ」

「ちょっと……、あれですわね」

「えぇ……ちょっとね……」


 噂は、夜更けまで絶えることがなかった。


---


 その日も、工房には金属の音が響いていた。


 大きな工房の窓からは、薄いカーテンを透かして、柔らかい光が彼の手元を包んでいる。


 アーヴィンは、鋳型から外した義足を固定台に載せ、関節の噛み合わせを一つずつ確認していた。


 扉の開く音。

 彼は、顔を上げない。


「失礼します。アーヴィンさん」


 部屋に入ってきたのは、ヴァレンティア補助機構に勤める青年、ローレンスだった。

 きっちりと整えられたウェストコートとクラヴァットを身につけた彼は、柔和な笑みを浮かべながら室内を見渡す。


「アーヴィンさん。明日納品の品はできていますか?」


 アーヴィンは手をとめない。

 魔導溶筆マギ・ソルダーを手に持ち、先ほどの義足に魔導補助回路を組み込んでいるところだった。

 青白い火花が飛び、彼の端正な頬を微かに照らしている。


「……アーヴィンさん。その……」

「……棚」

「え?」


 ローレンスは視線を壁際の棚に向け、義足に差し込まれている走り書きのメモを手に取る。

 手に取っては戻しながら、目当ての品を探す。


「あぁ、あった。

 ……こちらですか?」

「……見ればわかるだろう」


 ローレンスは、義足を丁寧に棚から下ろし、改めて商品番号と客の名前を確認する。間違いのないことを確認すると、アーヴィンのメモを、そっと義足の隙間に差し込んだ。


 工房には、アーヴィンの作業する音だけが、わずかに響いている。

 

 金属音。

 それから、微かに鉄が溶けるような匂い。


 ローレンスが顔を上げて彼を見ると、アーヴィンはこちらを見ることもなく、淡々と作業を続けていた。


「今作っているのは、来週納期のものですか? クライアント様も、楽しみにされていまして――」

「うるさいな。今作業中なんだ。

 出てってくれ」


 ローレンスは、一瞬だけ目を見開くと、静かに義足を抱え、アーヴィンに向かって一礼した。


「……お邪魔しました。

 それでは、また、よろしくお願いします」

「……」


 沈黙。


 ローレンスは工房を出た。

 

 木板の廊下に、彼のため息が漏れる。


「アーヴィンさん……。

 腕がいいのは確かだけど、偏屈にも程があるだろう……」


 腕に抱えた義足は、ずしりと重い。

 ローレンスはそれを丁寧に持ち直すと、静かに事務所に戻っていった。


---


 王都ルミナリエンのとあるティールーム。


 通りに面した大きなガラス窓からは、霧に濾された淡い光が差し込み、店内を白く満たしていた。


 食器の触れ合う小さな音。

 客たちのささやき声。


 アーヴィンとセラは、テーブル越しに向かい合って座っていた。

 

 二人の間に会話はない。


 セラは穏やかに微笑み、アーヴィンは終始無表情だった。


 彼らの席の向こうで、その様子を見ていた令嬢たちは眉をひそめ、互いに目を合わせた。


「セラお嬢様だわ」

「あの方が? ヴァレンティア補助機構を運営されている男爵家の?」

「そうよ。お美しいでしょう?」


 アーヴィンがカップを置く。


 令嬢たちは言葉を途切れさせた。


 立ち上がった彼は、椅子の背にかけていたコートを手に取った。


「戻るの?」

「あぁ」

「納期が近いものね」

「……あぁ」

「分かったわ」


 アーヴィンは踵を返すと、ティールームを出ていく。その背を、セラは微笑みながら静かに見送り、カップの縁に唇を寄せたまま、わずかに目を細めた。


 見ていた令嬢たちは、さらに眉を寄せる。

 声をひそめ、食器の音に紛れこませた。


「あんなに素敵なお嬢様なのに、婚約者があれなんて……」

「でも、相手の男性も見た目は美しかったわ」

「見目は、ね。見たでしょ? あの態度。

 しかも、天才職人とはいえ、貴族ではないのよ」

「えぇ……。まぁ、ね。

 あのヴァレンティア補助機構のお嬢様なら、もっと上も狙えるでしょうに」

「本当にそうよね。

 機構にお勤めのローレンスさん、ご存知?

 物腰も穏やかで、仕事もできて、素敵な方なのよ」

「まぁ。その方のほうがお嬢様には合っているのでは?」

「みんな、そう言うわ」


 二人は、もう一度セラを見る。

 

 彼女は美しい所作でカップを口に運んでいた。


「それにあの噂……」

「あれって本当なの?」

「わからないわ。でも、火のないところに煙は立たないと言うじゃない」

「……お嬢様はあんなにお美しいのに」

「本当にお可哀想だわ……」


 令嬢二人は揃ってため息をついた。

 

 窓の向こうでは、蒸気を纏った魔導式の馬車が通り過ぎる。

 灰の煙が、ガラス窓を静かに撫でた。


---


 王都の中心部。街に馴染む灰色の小ぶりな石造りの建物の脇に、真鍮の看板が掲げられている。


 ――〈ヴァレンティア補助機構〉


 セラはその扉を開け、中へと入る。


 木板の廊下。白漆喰の壁に深色の腰壁。その壁の上方には青光が走る魔導配管が這っていた。

 足音とともに、僅かな蒸気の音が微かに響く。

 一階の応接フロアを抜け、二階へ。

 赤茶の仕事机が十ほど並ぶだけの、こぢんまりとした実務フロアに入ると、書類仕事をしていたローレンスが顔を上げた。


 大きな窓からは夕陽がよく差し込んでいる。ほとんどの者は外回りに出ているようで、空席が目立っていた。


「お嬢さん。こんにちは」

「あら、ローレンスさん。こんにちは」


 セラは柔らかく笑み、そのまま父親の取締室の扉へ向かう。


「何か、お忘れ物ですか?」


 駆け寄ったローレンスが彼女の前に立つと、セラはその唇を弧にした。


「えぇ、父が打ち合わせの書類を忘れてしまって。代わりに取りにきたの」

「……お急ぎですか?」

「いえ? 打ち合わせは明日ですもの」


 ローレンスの瞳が少し明るくなる。


「お嬢さん、良ければ、この後お茶でも……」


 セラは小さく首を傾げた。

 遅れて、にっこりと笑う。


「……ふふ。ごめんなさいね。

 これでも婚約者がいる身なの」

「でも……あの方は……」


 ローレンスの眉が下がるが、セラは穏やかに笑んだまま。

 

「素敵な方よ」

 

 磨かれてはいるが傷だらけの木板の床。彼は一瞬だけそれを見つめ、また顔を上げた。


「……私なら、あなたが穏やかに笑っていられる場所を用意できます」


 窓の向こうの夕陽が、書類が積まれた机をゆっくりと撫で、二人の横顔を金色になぞる。


 セラは小さく笑うと、ローレンスの瞳をまっすぐに見た。

 

「……あなたに愛される女性は幸せね。

 でも、それは私ではないわ」


「お嬢さん……」


 彼女は軽く頭を下げると、取締室に入っていく。


 ローレンスは閉まった扉を見つめた。

 彼女の気配だけが、わずかに残っている。


 遠くで、鐘楼の音が鳴っていた。


---


 アーヴィンの工房は街の中心部の外れにあった。

 ヴァレンティア補助機構が抱える職人は何人もいるが、この赤煉瓦の二階建ては、彼専用の工房だった。


 ローレンスはこの日、その扉をくぐった。

 玄関扉を開けると正面に木の階段があり、横には短い廊下。

 その廊下の先は、アーヴィンが生活するエリアだが、今は、静まり返っていた。


 ローレンスが階段を上がると、仕切りのない明るい工房に出る。

 大きな窓は明け放たれ、薄いカーテンがわずかに揺れていた。


 王都の蒸気の匂いと、工房の鉄の溶ける匂いが、この部屋では複雑に混ざり合っている。

 

 中央の大きな作業台で手を動かしていたアーヴィンは、ちらとローレンスを見たが、視線はまたすぐに手元に戻る。

 彼の背後では、魔導炉がゆっくりと青光を明滅させていた。

 

「アーヴィンさん」


 アーヴィンは義手の指を一本ずつ折り曲げ、戻していた。規定値を超えないことを確認しながら、淡々と記録に印を落とす。


「不躾なことを申しますが、身を引いてはいただけませんか」

「……」


 アーヴィンは顔を上げない。

 ローレンスは一歩だけ、彼に近寄る。


「……セラお嬢さんの義足を、貴方が作っているというのは本当ですか?

 気持ち悪いと、噂になっているんです」


 窓の下に並んだ低い棚には、工具類が丁寧にしまわれている。

 作業台も、道具も、その全てが丁寧に磨かれており、淡い光を弾いていた。


「小さな機構です。

 噂ひとつで潰れかねません」


 アーヴィンは尚も作業を続けた。研磨をしては光に当て、角度を変えてまたそれを繰り返す。


「アーヴィンさん……」


 魔導炉が低く唸る。


「……貴方は、彼女が足を失うのを願っているのですか?」

「……そんなこと、あるわけないだろう」


 彼は一瞬だけ手を止めたが、ローレンスを見ることはない。


「とにかく、貴方は彼女に相応しくない」

「仕事中だ。出てってくれ」


 アーヴィンは布巾で手を拭っていた。

 それを台に置くと、また別の工具を手に取る。


 ローレンスは奥歯を噛み締めた。

 頭を下げ、工房を出る。


 扉の閉まる音。


 アーヴィンは、手を止めた。


 彼は義手と工具を丁寧に棚に戻すと、席を離れた。


---


「何してるの?」


 セラは、椅子を引き寄せ、それに腰掛けた。

 高窓の向こうには月が浮かんでいる。


 高い金属音。

 散る青い火花。


 その日、セラがアーヴィンの工房を訪れると、工房の奥、鍵付きの一室で、彼は義足を叩き割っているところだった。


「壊してる」

「見れば分かるわ」


 アーヴィンの足元に転がる、金色の金属片。埋め込まれていた魔導石が、淡青に明滅している。

 壊されたパーツの破片には〈Eternally S Series〉の刻印がかろうじて残っていた。アーヴィンがセラのために作った、彼女の義足と義手。


 アーヴィンは工具を静かに机に置くと、椅子に引かれるように身を下ろした。


「僕は……、君には相応しくない」

「なぜ?」


 彼の端正な横顔を、セラは淡く微笑みながら見つめる。


「僕は、……気持ち悪い男だから」

「そう?」


 この部屋には、セラのための義足や義手が壁一面に並んでいたが、今は代わりに沈黙が横たわっていた。

 机の上のオイルランプが、その影を僅かに揺らしている。


 アーヴィンは、ちらと彼女を見た。

 

「君は美しい身体を持ってる」

 

 彼の繊細な指が、膝の上で力なく垂れる。


「君に、僕は、必要ない」


 セラは椅子から立ち上がると、砕かれたパーツの一つを拾いあげ、指先でそっと撫でた。


「壊しちゃったの……」


 それを机に置くと、彼女はアーヴィンの前に立ち、彼の顔を覗き込んだ。


「私が足を失くせば、貴方は私のために義足を作ってくれる?」

「……え」


 アーヴィンが顔を上げる。


「貴方が私のための義足にキスをしているのを、私は知ってる。

 ――貴方が愛しているのは、私?

 それとも、私の義足?」

「君だよ」


 セラは、彼の髪に手を伸ばすが、触れはしなかった。


「そ。良かった」


 アーヴィンの頬のすぐそばに、指先をかざす。

 

「愛する人の身体の予備を作って愛でるのがいけないことなら、本物にしてあげる。

 ……足と手、どちらからつくる?」


 彼の呼吸が止まる。


「そ……、そんなのだめに決まってるだろう!」


 セラはふわりと笑い、逃げ場のない距離で彼を見下ろした。


「じゃあ、なぜ作っているの?」


 アーヴィンの視線が下がる。


「君が身体を失う未来が来ないように……。

 祈ってるんだ」


 セラが静かに見つめていると、アーヴィンの視線が少しだけ持ち上がった。


「祈ってて。私には貴方の祈りが心地良いわ」


 彼は眉を寄せる。


「そばにいて。

 他の人の言うことなんか真に受けないで。

 ――わかった?」


 床に散ったパーツが擦れ、パチリと鳴った。


「怖い人だ、君は」

「……こんな私が好きでしょ?」


 また視線を下げたアーヴィンの唇に、セラは視線を落としただけだった。

 困ったような彼の顔を見て、彼女は楽しそうに笑った。


---


 ヴァレンティア補助機構、事務所。

 

 窓の向こうは夜の貌をなしていた。

 等間隔に並ぶ魔導街灯の青白い光が、僅かに部屋に滑り込んでくる。


 ローレンスは、鞄に書類を詰め、帰り支度をしているところだった。

 扉が開く音がして、振り返る。


「……お嬢さん」

「こんばんは。ローレンスさん」


 部屋は、ローレンスの机上の魔導ランプだけが灯され、薄暗い。彼の鞄に置かれた手が、ぼんやりと照らされていた。


 セラは、ゆっくりと彼に近づく。 

 ローレンスは、ただそれを待った。


「夜遅くまで、ご苦労さまね」

「いえ……大したことでは。

 それより、セラお嬢さんはどうしてこちらに?」


 セラは淡く笑う。


「貴方に会いに」

 

 ローレンスの眉が僅かに上がる。


 セラは、彼の机に指を這わせた。


「ねぇ、私の子犬ちゃんに悪いことを教えたのは――」


 彼女の血色の良い唇が、弧を描く。


「あなた?」


 ローレンスは、思わず息を止めた。


 胸の奥を掴まれたような感覚。


 セラはにっこりと笑むと、彼に背を向けて事務所を出ていった。


 遠ざかる足音。


 ローレンスは息を吐き出し、自分の服の胸元を強く掴む。

 机に置いていた鞄が倒れ、書類が、彼の足元にはらりと落ちていった。


---


 明け放たれた窓から柔らかい風が吹き込み、薄いカーテンが揺れた。


 アーヴィンの工房に響くのは、金属の擦れる音だけだった。

 彼は一度も顔を上げず、淡々と手を動かし続ける。

  

 彼の隣で椅子に座っていたセラは、アーヴィンの横顔を見つめていた。


 彼の指先。喉元。顔。

 また、その手に視線を戻す。


「ねぇ、私にも貴方の義手が欲しい」


 アーヴィンは手を止めない。


「……なぜ?」

「毎朝キスしたいから」

「そんなの……いらないだろう」

「貴方はしてるのに?」


 一瞬だけ手が止まる。


「……してないよ」

 

 セラは彼の唇に視線を落とす。


「……じゃあ、誰がしてるの?」


 アーヴィンは顔を上げ、セラを見た。


「……僕以外に触れさせるわけないだろう!」


 彼女はにっこりと笑む。

 彼は眉を寄せ、また手元に視線を戻した。


「……愛してるわ、子犬ちゃん」


 アーヴィンは、小さくため息を吐いた。


「僕の婚約者は、怖い……」

「愛してるくせに」

 

 セラは、彼の端正な横顔を、目を細めて見つめた。

 彼はまた、淡々と義足を作り始める。


 今日も変わらず、赤煉瓦の工房には金属音が響いていた。



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