予備の身体 〜噂される義肢職人の祈り〜
貴族の集まる、とある晩餐会にて。
談笑していた一人の紳士に、また別の紳士が挨拶に近づいた。
「おや、卿は……。お久しぶりですね。
……事故にあって足を失ったと伺いましたが……」
彼の視線は、紳士の足元に落ちる。
視線を向けられた彼は、にこやかに笑った。
「やぁ、どうも。
実はね、あのヴァレンティア補助機構のエターナリーRシリーズを手に入れたんですよ」
「もしかして……、かの有名な職人作の義足ですか……?」
「そうです。アーヴィン作です」
話しかけた紳士は、驚いたように眉を上げた。
「相当値が張ったのでは……?」
「あっはっは。まあ見てください」
紳士は、その場で軽やかにステップを踏んで見せた。
終わると、その場にいた人々が拍手を送り、彼はボウ・アンド・スクレープで応える。
彼は裾を払って服を整え、誇らしげに笑った。
「もう二度と歩けないと思ったのです。
なのに、こうして、歩ける。
愛しい娘たちと散歩もできるのです」
「そう言われたら、そうですな。
魔導補助機能付きなんでしょ?
どうですか?」
「軽い。思うように歩ける。最高だ」
「これはこれは」
紳士は少しだけパンツの裾をめくって見せた。
「ほら、見た目も美しい。
どこかの王女はこの足が欲しくて、自ら足を切り落としたとか」
「まさか!」
「あっはっは!
真実は知りませんよ。都市伝説の類でしょう。
それくらい素晴らしい義足ということです」
それを遠目で見ていた夫人たちも、声をひそめて話していた。
「確かに美しいわね。
職人のアーヴィンも相当美しいとか」
一人が扇で口元を隠す。
「でも……、お聞きになって?
アーヴィンは婚約者の義足や義手を作って愛でてるとか……」
「え……?
ご婚約者様は五体満足でいらしたわよね」
「えぇ。わざわざ作ってるのよ」
「ちょっと……、あれですわね」
「えぇ……ちょっとね……」
噂は、夜更けまで絶えることがなかった。
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その日も、工房には金属の音が響いていた。
大きな工房の窓からは、薄いカーテンを透かして、柔らかい光が彼の手元を包んでいる。
アーヴィンは、鋳型から外した義足を固定台に載せ、関節の噛み合わせを一つずつ確認していた。
扉の開く音。
彼は、顔を上げない。
「失礼します。アーヴィンさん」
部屋に入ってきたのは、ヴァレンティア補助機構に勤める青年、ローレンスだった。
きっちりと整えられたウェストコートとクラヴァットを身につけた彼は、柔和な笑みを浮かべながら室内を見渡す。
「アーヴィンさん。明日納品の品はできていますか?」
アーヴィンは手をとめない。
魔導溶筆を手に持ち、先ほどの義足に魔導補助回路を組み込んでいるところだった。
青白い火花が飛び、彼の端正な頬を微かに照らしている。
「……アーヴィンさん。その……」
「……棚」
「え?」
ローレンスは視線を壁際の棚に向け、義足に差し込まれている走り書きのメモを手に取る。
手に取っては戻しながら、目当ての品を探す。
「あぁ、あった。
……こちらですか?」
「……見ればわかるだろう」
ローレンスは、義足を丁寧に棚から下ろし、改めて商品番号と客の名前を確認する。間違いのないことを確認すると、アーヴィンのメモを、そっと義足の隙間に差し込んだ。
工房には、アーヴィンの作業する音だけが、わずかに響いている。
金属音。
それから、微かに鉄が溶けるような匂い。
ローレンスが顔を上げて彼を見ると、アーヴィンはこちらを見ることもなく、淡々と作業を続けていた。
「今作っているのは、来週納期のものですか? クライアント様も、楽しみにされていまして――」
「うるさいな。今作業中なんだ。
出てってくれ」
ローレンスは、一瞬だけ目を見開くと、静かに義足を抱え、アーヴィンに向かって一礼した。
「……お邪魔しました。
それでは、また、よろしくお願いします」
「……」
沈黙。
ローレンスは工房を出た。
木板の廊下に、彼のため息が漏れる。
「アーヴィンさん……。
腕がいいのは確かだけど、偏屈にも程があるだろう……」
腕に抱えた義足は、ずしりと重い。
ローレンスはそれを丁寧に持ち直すと、静かに事務所に戻っていった。
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王都ルミナリエンのとあるティールーム。
通りに面した大きなガラス窓からは、霧に濾された淡い光が差し込み、店内を白く満たしていた。
食器の触れ合う小さな音。
客たちのささやき声。
アーヴィンとセラは、テーブル越しに向かい合って座っていた。
二人の間に会話はない。
セラは穏やかに微笑み、アーヴィンは終始無表情だった。
彼らの席の向こうで、その様子を見ていた令嬢たちは眉をひそめ、互いに目を合わせた。
「セラお嬢様だわ」
「あの方が? ヴァレンティア補助機構を運営されている男爵家の?」
「そうよ。お美しいでしょう?」
アーヴィンがカップを置く。
令嬢たちは言葉を途切れさせた。
立ち上がった彼は、椅子の背にかけていたコートを手に取った。
「戻るの?」
「あぁ」
「納期が近いものね」
「……あぁ」
「分かったわ」
アーヴィンは踵を返すと、ティールームを出ていく。その背を、セラは微笑みながら静かに見送り、カップの縁に唇を寄せたまま、わずかに目を細めた。
見ていた令嬢たちは、さらに眉を寄せる。
声をひそめ、食器の音に紛れこませた。
「あんなに素敵なお嬢様なのに、婚約者があれなんて……」
「でも、相手の男性も見た目は美しかったわ」
「見目は、ね。見たでしょ? あの態度。
しかも、天才職人とはいえ、貴族ではないのよ」
「えぇ……。まぁ、ね。
あのヴァレンティア補助機構のお嬢様なら、もっと上も狙えるでしょうに」
「本当にそうよね。
機構にお勤めのローレンスさん、ご存知?
物腰も穏やかで、仕事もできて、素敵な方なのよ」
「まぁ。その方のほうがお嬢様には合っているのでは?」
「みんな、そう言うわ」
二人は、もう一度セラを見る。
彼女は美しい所作でカップを口に運んでいた。
「それにあの噂……」
「あれって本当なの?」
「わからないわ。でも、火のないところに煙は立たないと言うじゃない」
「……お嬢様はあんなにお美しいのに」
「本当にお可哀想だわ……」
令嬢二人は揃ってため息をついた。
窓の向こうでは、蒸気を纏った魔導式の馬車が通り過ぎる。
灰の煙が、ガラス窓を静かに撫でた。
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王都の中心部。街に馴染む灰色の小ぶりな石造りの建物の脇に、真鍮の看板が掲げられている。
――〈ヴァレンティア補助機構〉
セラはその扉を開け、中へと入る。
木板の廊下。白漆喰の壁に深色の腰壁。その壁の上方には青光が走る魔導配管が這っていた。
足音とともに、僅かな蒸気の音が微かに響く。
一階の応接フロアを抜け、二階へ。
赤茶の仕事机が十ほど並ぶだけの、こぢんまりとした実務フロアに入ると、書類仕事をしていたローレンスが顔を上げた。
大きな窓からは夕陽がよく差し込んでいる。ほとんどの者は外回りに出ているようで、空席が目立っていた。
「お嬢さん。こんにちは」
「あら、ローレンスさん。こんにちは」
セラは柔らかく笑み、そのまま父親の取締室の扉へ向かう。
「何か、お忘れ物ですか?」
駆け寄ったローレンスが彼女の前に立つと、セラはその唇を弧にした。
「えぇ、父が打ち合わせの書類を忘れてしまって。代わりに取りにきたの」
「……お急ぎですか?」
「いえ? 打ち合わせは明日ですもの」
ローレンスの瞳が少し明るくなる。
「お嬢さん、良ければ、この後お茶でも……」
セラは小さく首を傾げた。
遅れて、にっこりと笑う。
「……ふふ。ごめんなさいね。
これでも婚約者がいる身なの」
「でも……あの方は……」
ローレンスの眉が下がるが、セラは穏やかに笑んだまま。
「素敵な方よ」
磨かれてはいるが傷だらけの木板の床。彼は一瞬だけそれを見つめ、また顔を上げた。
「……私なら、あなたが穏やかに笑っていられる場所を用意できます」
窓の向こうの夕陽が、書類が積まれた机をゆっくりと撫で、二人の横顔を金色になぞる。
セラは小さく笑うと、ローレンスの瞳をまっすぐに見た。
「……あなたに愛される女性は幸せね。
でも、それは私ではないわ」
「お嬢さん……」
彼女は軽く頭を下げると、取締室に入っていく。
ローレンスは閉まった扉を見つめた。
彼女の気配だけが、わずかに残っている。
遠くで、鐘楼の音が鳴っていた。
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アーヴィンの工房は街の中心部の外れにあった。
ヴァレンティア補助機構が抱える職人は何人もいるが、この赤煉瓦の二階建ては、彼専用の工房だった。
ローレンスはこの日、その扉をくぐった。
玄関扉を開けると正面に木の階段があり、横には短い廊下。
その廊下の先は、アーヴィンが生活するエリアだが、今は、静まり返っていた。
ローレンスが階段を上がると、仕切りのない明るい工房に出る。
大きな窓は明け放たれ、薄いカーテンがわずかに揺れていた。
王都の蒸気の匂いと、工房の鉄の溶ける匂いが、この部屋では複雑に混ざり合っている。
中央の大きな作業台で手を動かしていたアーヴィンは、ちらとローレンスを見たが、視線はまたすぐに手元に戻る。
彼の背後では、魔導炉がゆっくりと青光を明滅させていた。
「アーヴィンさん」
アーヴィンは義手の指を一本ずつ折り曲げ、戻していた。規定値を超えないことを確認しながら、淡々と記録に印を落とす。
「不躾なことを申しますが、身を引いてはいただけませんか」
「……」
アーヴィンは顔を上げない。
ローレンスは一歩だけ、彼に近寄る。
「……セラお嬢さんの義足を、貴方が作っているというのは本当ですか?
気持ち悪いと、噂になっているんです」
窓の下に並んだ低い棚には、工具類が丁寧にしまわれている。
作業台も、道具も、その全てが丁寧に磨かれており、淡い光を弾いていた。
「小さな機構です。
噂ひとつで潰れかねません」
アーヴィンは尚も作業を続けた。研磨をしては光に当て、角度を変えてまたそれを繰り返す。
「アーヴィンさん……」
魔導炉が低く唸る。
「……貴方は、彼女が足を失うのを願っているのですか?」
「……そんなこと、あるわけないだろう」
彼は一瞬だけ手を止めたが、ローレンスを見ることはない。
「とにかく、貴方は彼女に相応しくない」
「仕事中だ。出てってくれ」
アーヴィンは布巾で手を拭っていた。
それを台に置くと、また別の工具を手に取る。
ローレンスは奥歯を噛み締めた。
頭を下げ、工房を出る。
扉の閉まる音。
アーヴィンは、手を止めた。
彼は義手と工具を丁寧に棚に戻すと、席を離れた。
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「何してるの?」
セラは、椅子を引き寄せ、それに腰掛けた。
高窓の向こうには月が浮かんでいる。
高い金属音。
散る青い火花。
その日、セラがアーヴィンの工房を訪れると、工房の奥、鍵付きの一室で、彼は義足を叩き割っているところだった。
「壊してる」
「見れば分かるわ」
アーヴィンの足元に転がる、金色の金属片。埋め込まれていた魔導石が、淡青に明滅している。
壊されたパーツの破片には〈Eternally S Series〉の刻印がかろうじて残っていた。アーヴィンがセラのために作った、彼女の義足と義手。
アーヴィンは工具を静かに机に置くと、椅子に引かれるように身を下ろした。
「僕は……、君には相応しくない」
「なぜ?」
彼の端正な横顔を、セラは淡く微笑みながら見つめる。
「僕は、……気持ち悪い男だから」
「そう?」
この部屋には、セラのための義足や義手が壁一面に並んでいたが、今は代わりに沈黙が横たわっていた。
机の上のオイルランプが、その影を僅かに揺らしている。
アーヴィンは、ちらと彼女を見た。
「君は美しい身体を持ってる」
彼の繊細な指が、膝の上で力なく垂れる。
「君に、僕は、必要ない」
セラは椅子から立ち上がると、砕かれたパーツの一つを拾いあげ、指先でそっと撫でた。
「壊しちゃったの……」
それを机に置くと、彼女はアーヴィンの前に立ち、彼の顔を覗き込んだ。
「私が足を失くせば、貴方は私のために義足を作ってくれる?」
「……え」
アーヴィンが顔を上げる。
「貴方が私のための義足にキスをしているのを、私は知ってる。
――貴方が愛しているのは、私?
それとも、私の義足?」
「君だよ」
セラは、彼の髪に手を伸ばすが、触れはしなかった。
「そ。良かった」
アーヴィンの頬のすぐそばに、指先をかざす。
「愛する人の身体の予備を作って愛でるのがいけないことなら、本物にしてあげる。
……足と手、どちらからつくる?」
彼の呼吸が止まる。
「そ……、そんなのだめに決まってるだろう!」
セラはふわりと笑い、逃げ場のない距離で彼を見下ろした。
「じゃあ、なぜ作っているの?」
アーヴィンの視線が下がる。
「君が身体を失う未来が来ないように……。
祈ってるんだ」
セラが静かに見つめていると、アーヴィンの視線が少しだけ持ち上がった。
「祈ってて。私には貴方の祈りが心地良いわ」
彼は眉を寄せる。
「そばにいて。
他の人の言うことなんか真に受けないで。
――わかった?」
床に散ったパーツが擦れ、パチリと鳴った。
「怖い人だ、君は」
「……こんな私が好きでしょ?」
また視線を下げたアーヴィンの唇に、セラは視線を落としただけだった。
困ったような彼の顔を見て、彼女は楽しそうに笑った。
---
ヴァレンティア補助機構、事務所。
窓の向こうは夜の貌をなしていた。
等間隔に並ぶ魔導街灯の青白い光が、僅かに部屋に滑り込んでくる。
ローレンスは、鞄に書類を詰め、帰り支度をしているところだった。
扉が開く音がして、振り返る。
「……お嬢さん」
「こんばんは。ローレンスさん」
部屋は、ローレンスの机上の魔導ランプだけが灯され、薄暗い。彼の鞄に置かれた手が、ぼんやりと照らされていた。
セラは、ゆっくりと彼に近づく。
ローレンスは、ただそれを待った。
「夜遅くまで、ご苦労さまね」
「いえ……大したことでは。
それより、セラお嬢さんはどうしてこちらに?」
セラは淡く笑う。
「貴方に会いに」
ローレンスの眉が僅かに上がる。
セラは、彼の机に指を這わせた。
「ねぇ、私の子犬ちゃんに悪いことを教えたのは――」
彼女の血色の良い唇が、弧を描く。
「あなた?」
ローレンスは、思わず息を止めた。
胸の奥を掴まれたような感覚。
セラはにっこりと笑むと、彼に背を向けて事務所を出ていった。
遠ざかる足音。
ローレンスは息を吐き出し、自分の服の胸元を強く掴む。
机に置いていた鞄が倒れ、書類が、彼の足元にはらりと落ちていった。
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明け放たれた窓から柔らかい風が吹き込み、薄いカーテンが揺れた。
アーヴィンの工房に響くのは、金属の擦れる音だけだった。
彼は一度も顔を上げず、淡々と手を動かし続ける。
彼の隣で椅子に座っていたセラは、アーヴィンの横顔を見つめていた。
彼の指先。喉元。顔。
また、その手に視線を戻す。
「ねぇ、私にも貴方の義手が欲しい」
アーヴィンは手を止めない。
「……なぜ?」
「毎朝キスしたいから」
「そんなの……いらないだろう」
「貴方はしてるのに?」
一瞬だけ手が止まる。
「……してないよ」
セラは彼の唇に視線を落とす。
「……じゃあ、誰がしてるの?」
アーヴィンは顔を上げ、セラを見た。
「……僕以外に触れさせるわけないだろう!」
彼女はにっこりと笑む。
彼は眉を寄せ、また手元に視線を戻した。
「……愛してるわ、子犬ちゃん」
アーヴィンは、小さくため息を吐いた。
「僕の婚約者は、怖い……」
「愛してるくせに」
セラは、彼の端正な横顔を、目を細めて見つめた。
彼はまた、淡々と義足を作り始める。
今日も変わらず、赤煉瓦の工房には金属音が響いていた。




