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最終章 2024年-2025年 忘却と決別

 新年早々、ドルマリがアイドル業界を揺るがすイベントを打ち立てた。その詳細を見て、澄華は息をのんだ。第一回、ドルマリ・カメココンテスト。部門は、リバース数部門、ラブマーク数部門、メンバーお気に入り部門の三つだ。1月中に撮った写真や動画が対象となる。時田の資本力や美緒の拡散力とは違う土俵で戦う。澄華は、メンバーお気に入り部門に絞って写真を撮り続けた。

「負けないから」

 美緒が鼻息荒く、中央のスペースで時田と澄華を順番に睨んできた。不平等がないように、最前列の両端に三脚を使ってもいいエリアが設けられた。土日のライブはもちろん、平日も早く仕事が終われば、ライブに行った。カメラを初心者仕様の一眼レフに新調した。手に汗を握ってピントやアングル、距離感を調整し、来る日も来る日もシャッターを切り続けた。最初はピンぼけや露出オーバーの失敗ばかりだったが、三脚に甘んじず、手ブレを無くそうと苦心した。カメラを通さず、肉眼で真梨を見ていたい。その気持ちを堪えて、カメラ越しで見続けた。澄華が提出したのは、真梨が横を向いた瞬間、衣装のスカートと髪が綺麗になびいた一枚だ。雪が道端にぽつぽつと残る。澄華は、かじかんだ手をカイロで温めてワンマンライブに向かった。左には時田夫妻、右には美緒が揃い踏みだ。中には、野次馬なのかファンになったのか分からない客もいて、一段と人が多い。普段は20組が対バンをやるライブハウスだ。メンバー三人がスクリーンの脇に立った。紗英が高らかに言った。

「皆さんお待ちかね、ドルマリ・カメココンテスト、結果発表を始めます」

 まず、リバース部門の結果がスクリーンに映し出された。時田奈津子が撮った、琴音の毛穴ひとつない超高画質の写真が選ばれた。895リバースされていた。続くラブマーク部門では、美緒が撮影した動画が選ばれた。真梨がさまざまなチェキポーズを見せる映像だった。ラブマークの数を示すラブ指数が9200でぶっちぎりの受賞だった。メンバーお気に入り部門に移る。紗英部門は、つめぞーという男性が選ばれた。撮った青のスポットライトが紗英に当たった一枚だった。

「琴音部門の受賞者は、時田……」

 会場の視線が二人に向いた。

「冬彦さん」

 写真がスクリーン一面に表示された。手から浮かんだ何かを見上げている一枚だった。左目がうるうるしている。

「黄色の照明によって、手のひらが稲穂のような色に透けていて。目も宝石みたいに潤いを感じられて、気に入りました」

 深々とお辞儀をした。真梨が前に来た。

「最後は、江藤真梨が選ぶお気に入り賞です」

 真梨の声が弾む。ドラムロールが鳴り響く。鼓動がさっきとは比にならないほど、加速する。全身が太鼓になったようだ。生唾を飲んで目を開けた。スクリーンに表示されたのは、美緒が撮った写真だった。最新のアプリにより、肌は陶器のように白く、目は不自然なほど大きく、顎はシャープに最新のアプリで加工されていた。真梨のチャームポイントをこれでもかと誇張した。真梨ではない、量産型の「美女」だった。

「これ、めっちゃ盛れてて最高!あたし史上最高なあたしで綺麗」

 真梨は無邪気に笑い、振り返ってその写真を指差した。

「これが今のあたしってことで。みんな、この写真拡散してねー!」

 会場が拍手と歓声に包まれる中、心の芯をえぐるように澄華は凍りついた。真梨が求めていたのは、澄華が愛した「ありのままの彼女」ではなかった。加工され、数字を稼げる商品用の虚像だったのだ。自分が応募した写真が、ひどく惨めなものに思えた。時代遅れの愛の押し付けでしかないじゃないか。澄華は膝に手をつき、その場にうずくまった。

帰宅後、Zを開いた。否応なく、続々と画像が澄華の頭に流入する。美緒のアカウントだろう。美音という名のアカウントが投稿した写真には、先ほど見たばかりの強調された真梨の画像に、本人から返信がついていた。

〈この写真、良すぎる。ありがとう!〉

 澄華の投稿には、真梨からラブマークすらつけられてない。忙しいから仕方ないとは思えない。スッとアプリを閉じた。


 2025年冬、コロナ感染者数がニュースに上がらなくなった。真梨がいなくなってから急激にすべてが崩れた。澄華は一年間の休職期間を終えて、久々に対バンのチケットを予約して足を運んだ。もうコロナ禍は終わり、声出しも可能に外しているのに、物販のフロアにビラ配りをしているアイドルが一人も見当たらない。メンバー同士で話したり、公式アカウントに載せると思われる写真を撮影しているグループばかりだ。売れたい思いで必死に声を張っていた空間は、もうここにはない。一抹の寂しさを感じてSNSを見る。撮影の可否を告知するアカウントが出現し、ドールマリンハーツを探す。出演順の上から探したが、ドルマリは見当たらない。トリから探す。トリから数えて3番目にその名があった。ライブ人気、知名度があるグループをイベンターは最後に置きたがる。最近まで、中盤辺りを行ったり来たりしていたことを思うと、感慨深い。終演後物販。ライブ終了後のアイドルとチェキを撮影して話ができる。端に寄って時計を見た。出番までまだ5時間もある。コロナ禍の前は目当てのグループの番になるまで、ビラを配るアイドルと話していたから、時間を潰そうにも潰せない。目当てではないグループの新規特典をもらいに顔を出そうか、右往左往するうちに入り口へと足が向いていた。黒髪に白髪が混じったおじさんが、気怠げに座っていた。

「再入場って追加でドリンク代かかりますっけ?」

「700円ね」

 また値段が上がっている。新規の特典も写メが無料か、トーク30秒無料が大半を占めるようになっている。ドリンクも500円で再入場も無料でできたし、チェキ無料だった日々が恋しくなった。懐かしい。他のグループを見ることにした。キャラメルに近い色のブレザーの制服を着ているアイドルだった。チェキの練習台にしよう。邪な思いが胸をよぎった。あたしとタイプが違う子を探す。茶髪の三つ編みが特徴的な子を選んだ。彼女の右に立とうとすると、彼女は立ち位置を変えた。結局、左側に立った。彼女は身体を斜めにして、顔の右側を前に出した。

「あたふたしちゃってごめんね。右が利き顔で」

 利き顔なんてあるのか。ポーズは彼女に委ねた。人差し指と親指を顎に沿わせた、キラーンと効果音が鳴りそうな小顔に見えるポーズだった。

「ありがとう。今日はどうして来てくれたんですか?」

「推しを新しく見つけたくて」

「どんな子がタイプなの?」

 バズるに惑わされずに、自分の揺るぎない芯を持っている子と言いたいが、説教くさいし古いと思われそうだ。

「自分の考えを持ってる子かな。何か持論あったりする?」

 口から出たのは別の言葉だった。

「持論ですか」

「ごめんね。難しいよね。利き顔、自分で考えて編み出したのかなって気になって」

「目が非対称なのが嫌で、左の目少し小さいんです。お姉さん、気にしたことないですか?」

「ごめんね。なくて。気づいたら、アイドルが年下ばかりになっていて、25だけど、場違いじゃないかな?」

「大丈夫です。また来てください」

 結局、年齢も聞けないまま、時間となった。

黄色のブレザーにチャコルグレーのカーディガンを羽織っている。なんちゃって制服に見えなくもない美緒が、アフロ頭の男と話していた。三歩ほど離れた位置で澄華は耳を澄ませる。TO、通称トップオタク。大金を使う同士が話している。

「悲しいことがありましたで有名な方ですよね?すごいバズってますよね。つめぞうさん。ネタが尽きないなんて凄いです」

「美緒さんこそ、去年、カメココンテスト、二冠だったらしいじゃないですか」

「時田さんっている?インタビューしたくて。一番つぎ込んでいるって風の噂で聞いたんですよ」

「琴音の列にいますね。あの人」

 つめぞうは、琴音の列に近づいていった。澄華は入場特典だけをもらう。サイン入りチェキだった。マネージャーも隣にいる男も特典会で購入できる特典の種類も敗北を味わった日から何も変わっていない。黒服の男はタブレットに何も入力しなかった。つめぞうが20秒動画券と20秒写真撮り放題券、チェキ券を一枚ずつ買った。真梨の列に並ぼうとして振り返る。男がタブレットを操作した。前の人もその前の人も動画券だった。それを渡すたびに、拓実はスマホを操作した。澄華の番が来た。拓実は受け取っただけで、スマホを触りもしなかった。

「ソロ、ツーショどちらに?」

 拓実が淡々と言った。「ソロチェキで」と頼んだ。

「真梨撮るよーはい。チーズ」

「前来てくれてたよね?デジカメの人?」

 一眼レフで撮って負けたのを真梨は忘れたフリをしているのか。それとも、馬鹿にしてるのか。後者に近いと感じた。

「よく覚えてくれてたね。ありがとう」

 チェキにサインを書いている。

「名前なんて言うのかな?ごめんね」

 その優しさが不規則な波となって胸に広がった。

「みかちゃんで」

「可愛い名前だね。ASMRや日本文化好きなんだ。好きなものある?」

「今あまり趣味がなくて。自分の考えやこだわり何かある?」

 澄華の胸が早鐘を打つ。これが最後の質問だ。

「みんなの思いやりが数字につながったら嬉しいかな。カメココンテストを年一でやってるから、ぜひ」

 拓実が二人の間に身体を入れてきた。

「お時間です」

 無機質なタイマーの音が鳴るのと同時だった。真梨の口元に張り付いていた笑みが、ほんの一瞬だけ引き締まった。

「ありがとね」

 最後まで、真梨はすーちゃんというあだ名を思い出すことはなかった。あぁ、そうだったのか。誰よりも賢く、冷酷にバズるために自分を演じていただけだった。ありがとの言葉の語尾は、澄華に向いていない。真梨の茶色い瞳は、背後にいる次の客。五十万人のフォロワーを持つインフルエンサーの美緒を既に捉えていた。澄華はベルトコンベアに乗せられた不良品のように、ブースの外へ押し出される居心地の悪さを感じた。その直後だった。

「おー!来てくれたんだ!待ってたよ」

 背後で、真梨が二度ジャンプした。ビックリマークや音符マークが語尾についていそうな声だ。澄華は足を止めて振り返った。拓実は、タイマーを止め忘れたかのように動かない。真梨は身を乗り出し、美緒の手を両手で握りしめている。

「この間の動画、見たよ!英語の発音、めっちゃ褒めてくれてたよね?シェアしちゃった!」

「ありがとう。嬉しい」

「あ、美緒ちゃんの昨日の動画見たよ! あれめっちゃバズってたね! 今度さ、コラボ動画撮ろうよ!」

 美緒は満更でもない表情で真梨の言葉を受け止めていた。三十秒、一分。澄華のときは一分できっかり切られた時間が、永遠のように引き伸ばされていく。変わってしまった真梨の姿を目の当たりにした。自分の指先が冷たくなるのを感じる。真梨ちゃんは我が道を行く子なんかじゃなかった。誰よりもシビアに人間の価値を値踏みしている。今の美緒にとって、インフルエンサーの一分間は、自分のような数字のないオタクの一生分よりも価値があるのだ。振り返らずに嗚咽を漏らしながら、会場を後にした。

 真梨はその夜の配信で言った。安普請のアパートからセキュリティが備わったマンションに引っ越せたと語った。その家賃の一部になったのは、澄華のこれまでの給料だ。真梨は、澄華を見下ろすための城を、せっせと築き上げていたに過ぎなかったと今更ながら思う。食べ物を粗末に扱った配信で見たコップも二度と出てこないだろう。澄華はパソコンを閉じ、チェキケースを取り出した。ファンの音がする中、台所へ向かう。真梨の笑顔に手をかけた。

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