第四章 2023年 C評価
車内は異様な空気に包まれていた。普段、眠っているはずの真梨がはしゃいでいる。真梨のチャンネルのロールプレイング動画がバズった。天性のものをまざまざと近くで見せられて、琴音は歯をギシギシとこすった。紗英は「すごい」と心の底から思っているような笑みをたたえ、動画を見ている。
「おでこをあげてみてよ」
「嫌だよ。恥ずかしい」
紗英と真梨が言い合う中、琴音は独り、疎外感を覚える。
「やるじゃん。ダンス動画伸びないかなぁ」
琴音は口先だけの賛辞を真梨に送った。日本がこれまで歩んできた時代にタイムスリップしたかのような音を奏でたASMR。全編、英語で一人称を、おいらと訳していた。それと、和製の侍のコスプレをした男装のASMRの二本がギャップがあって面白いと200万再生以上を獲得している。琴音はバズボックスというアプリに投稿した動画を見る。国境を越えるという意味では、ASMRもダンスも同じ括りのはずなのに、再生数は天と地の差だ。1万回を下回る動画すらある。琴音は、ダンスはこのグループで一番上手いと自負している。このグループ内で比べているから、敵わないのか。ダンスは上手いか下手かの指標が、リズム音痴という線引きがあるけど、バズるとバズらないの指標が明確にないのかもしれない。答えが出ない迷宮をさまよっていると、真梨がルームミラーを見てから後ろを振り返った。ほんの一瞬、真梨がこちらを睨んだ気がした。
「ビッグウェーブ。みんな。この波に乗ろ」
「そうね。ライブ、特典会に関わらず、動画も可能にしましょうか」
随分あっさりとした口調で皆城が言った。グループの舵を切っているのは皆城ではなく、再生数なのかと一瞬、思ってしまった。どうも最近、皆城の舵取りが最近、場当たり的で、マネージャーとしての価値が感じられないからだ。そんな心配は無用と言うように、ドルマリの現場は、冬が深まる前から動画目当ての新規ファンが多数、来るようになった。
澄華はロリータイベントのチケットを入手した。バレンタインイベントの前夜祭と言わんばかりの日時だ。観光名所が目と鼻の先にある。そんな立地にあるライブハウスに向かう前、レンタル衣装屋に向かった。ホームセンターにも売ってあるのは知っていたが、真梨の前では常に最高の私を演出し続けていたくて、質の高いものを借りることにした。着物や浴衣といった和服や、ゴシックロリータまで幅広いラインナップを取り揃えており、まるで、万華鏡の中に自分が潜入したかのようだ。物腰の柔らかいおばさんの勧めで、無花果を思わせる紅に白のフリルスカートがついた一着をレンタルすると決め、6500円を払った。買うより2500円高かったが、構わず借りることにした。それだけではない。ランウェイや三分間のポージングを撮影できるチケットを購入した。真梨が出るから迷いはなく、七人しか購入できないそれをもぎ取った。一般のそれより2000円高く、5700円だ。三脚にデジカメをセットし、真梨が来るのを待つ。紗英が推しメンなのか、時田の夫は立派な一眼レフを携えている。五人ほど、別のアイドルがランウェイとアピールタイムを済ませた後だった。
「続いては、ドールマリンハーツ、江藤真梨さんです」
司会の女性が言った。真梨は上品にスカートの裾を持ったり、指ハートを作りながら、微笑みを振りまいている。
縦に横に一眼レフを自在に操っている様が視界に入る。それに負けじと、拡大したり引いたりしながら、真梨がカメラを見た瞬間を狙ってシャッターを素早く切る。瞬きをするのがもったいないくらい、チャコルグレーと白の衣装が似合っていた。洋館の上品なメイドを思わせた。
ランウェイイベント終演後、真梨とのツーショットチェキ券を買った。入場特典はサインがなく、会話ができない券だったからだ。
「あれ、紗英ちゃん?」
小太りの眼鏡をかけた男に声をかけられた。弁当の仕切りのバランのように、ギザギザした前髪がネットスラングを思い出させる。
「違います。澄華です」
「衣装が似てて。いやぁ、今どきの女性ファンの力の入れ具合はすごいね」
「男性オタクに興味ありません」
「そんなつもりは。すまない」
男は満足したのか、鼻の下を伸ばして立ち去った。好きでやっているだけなのに、カメラを向けられている気さえした。すぐに真梨の列に並んだ。外側のスカートの裾をつまむポーズを頼んだ。
「ロリータ可愛い。もしかして、買ってくれたの?」
「借りたんだ。ホームセンターのだと生地がやわそうで。せっかくなら、良いの着ようって」
「高かったでしょう。嬉しい。すごい似合ってる」
「いやいや。まりまりの方が似合ってるよ。グレーの中でもチャコルかな。色合いが薄めだから、顔が映えるね」
「紗英も琴音もメンバーと見間違えそうだったって言ってたよ」
「そんな、そんな。とんでもない」
きっと、鼻の下が伸びているに違いない。
「お時間です」
拓実が言い終えた直後に、澄華は手を振って捌けた。チェキの下には今日も来てくれてありがとうと書かれていた。それぞれの頭の上には、キュート、ゴスロリとあった。
時田が相変わらず、中央を陣取っている。澄華は初めて、最前列のチケットを取った。松島の姿が見当たらないのが気がかりだ。換気の時間が開ければ、ドルマリの出番。もうすぐ始まってしまう。映画館の開始直前くらいの仄暗さの中、右手でカメラを押さえながら、スマホを見た。
〈急に出社になって。間に合わない。ごめん〉
最前列付近で、デジタルカメラを構えている。
「ちょっと、そこの人。退いてくんない?」
不機嫌な声が耳を突いた。金髪のボブカット、カーキのワイドパンツに英字のTシャツというラフな格好だ。ライブハウスの中は熱いが、外は寒風が吹き荒んでいるのに、よくそんな格好でいられるなと感じた。彼女の手には、スマホとそれを滑らかに動かすためのジンバルが握られている。
「え、あたし?」
澄華が戸惑うと、美緒は舌打ちを隠さずに言った。
「そう。あんたのその巻き髪、画角に入り込んで邪魔なの。ピントが持っていかれるじゃん」
外堀を埋めるように立つ男性オタクたちが、一斉に澄華を見た。可愛いからと場所を譲ってくれた彼らの目から、下心が多分に含んだ思いやりは消え、撮影の邪魔者という色しか浮かんでいないように見える。
「しかも、さっきから手震えてない。震えるくらいなら、壁際や後方のエリアで三脚でも一脚でも使って撮りなさいよ」
「記録係になりたいんじゃない。会いに来たの。見栄えも大事なの。あなたは誰?」
不躾な態度につい、澄華の口調は強くなる。軽蔑を込めて言った。
「楠木美緒。あんたは?」
「すーちゃんって呼ばれてます」
闖入者に対して本名を明かしたくない気持ちが優った。
「まぁいいわ。旧時代のデジカメと勝負してあげるわ」
精神的にもここに立たないと見えない景色があるなんて思いもしなかった。肘がズキンと痛む。
「おい、餓鬼ども。ライブ始まってからうるさかったら、タダじゃおかねえぞ」
頬が熱くなるのを感じる。推しが現れた瞬間、カメラを覗いた。前に後ろに入れ替わり、立ち替わり動くのを見てTとWを切り替える。緊張して手指が震えた。一歩後ろに下がる。ボタンから手を離した。美緒は気を取り直したように、ジンバルを構え、真梨のダンスを追い始めた。その動きは洗練されており、まるでプロのカメラマンのようだった。ライブ終了後、特典会にも松島は姿を現していない。ドリンクカウンターでバナナオレと交換した。
「あなた、隣で撮っていた人よね?」
時田に話しかけられるとは思いもせず、口に麻酔をかけられたように、だらしなく開いていく。飲み口に口をつけてなくて良かった。
「はい。そうですけど」
「琴音ちゃんが亡き娘にそっくりなのよ。和風な佇まいとか。時折見せる憂いを帯びた表情も」
だから、琴音の方にカメラを向け続けていたのか。もしかすると、一人一人に喧伝してスペースを確保し、今の位置を保っているのか。首を左右に振った。
「始まるぞ」
時田に白髪で肌が浅黒く焼けた男が話しかけた。頬に黒ゴマ大のホクロがある。時田が夫だと説明した。立ち話をしている場合ではなかった。時田の後を追う。真梨の列に
は、既に美緒が並んでいた。美緒は真梨にスマホを向けていた。それ以上、見ないように顔を伏せる。今日はカメラ記念日だ。ぴったりなチェキポーズを考える。AIに聞けば、数秒で答えが出るが、聞きたくない。胸の前でカメラを模した四角を作るポーズに決めた。入場特典のサインなしチェキの券を拓実に渡した。
「すーちゃん。最前に来てくれてありがとう。ソロとツーショ、どっちにする?」
ソロと言いかけたが、手ブレが怖くてツーショに逃げた。手ブレの失敗がよみがえる。ファッション性も重視したい。
「ツーショで」
「ポーズは?」
「カメラを胸の前で作ってください」
真梨は言われた通りに四角を作った。拓実によって撮られたそれを澄華は受け取った。
「写真、ビデオどっち撮ってくれたの?見てたよ」
「ビデオ撮ってた。なかなか難しいね」
真梨の目が一瞬、細くなった気がした。瞬きのついでにたまたま細くなっただけだと言い聞かせた。
「ありがとう。あげてくれるなら、確認したいな」
「あぁ、いや」
しどろもどろな返事になり、カメラをさすっていた。
「上達したら言うね」
「ありがとう」
真梨の鼻から下は依然としてマスクで覆われている。目が、以前ほど笑っていないような気がした
「時田ご夫妻、さすがだな」
ソロのチェキ、20秒動画、20秒静止画を2回ずつ、夫婦合わせると、18ループもしている。夫は琴音のみならず、紗英にも2回並んでいる。最後尾に並んでその日の最後の客になれば、存在感がよみがえるかもしれない。そう計算する自分がいることに気づき、息を吐いた。せめて、美緒には負けないようにしよう。皆城は、二人しか横並びに座れなさそうな机に座っている。その隣に黒服のスタッフがいる。初めて見る顔だ。茶髪に黒いマスクをつけている。狐目が鋭い男だ。1500円を支払い、20秒動画を撮れる券を購入した。手元のタブレットを操作する様子が目に入った。男の指先が、名簿のような画面をスクロールした。それを覗き込むと、私の名前の横には、冷ややかな青色でCというマークがつけられた。時田の欄には、燃えるような赤色でSと書かれている。Cはカットの略か、客の評価か。何を示しているのか分からない。首を振って切符サイズの券を強く握りしめる。ソロのチェキで拓実に真梨を撮ってもらって載せるのでは意味がない。柄にもなく強がっていた。
ライブから帰宅して、真っ先にチェキを写真に収めた。
〈【本日のチェキ】カメラ記念日でした。カメラ、上達できるように頑張るね。笑っているのが目を見て手に取るように分かるんだ。表情管理してくれていて尊い。まりりん、今日もありがとう〉
Zに投稿したついでに、美緒がアップした動画を見た。デジタルカメラと違って投稿までが早い。瞬く間に数万再生を超えた。コメント欄には「神動画」「編集うますぎ」という称賛が並ぶ。一方で、自分の動画は、真梨の動きに合わせてカメラを動かす際に、ブレていて画面酔いしそうな仕上がりだ。現場の華だと思っていた澄華は、いまや、バズるためのアイドルを隠してしまう、ただの障害物に成り下がっていた。松島に連絡したくなった。
〈次、いつ来てくれますか?〉
仕事が終わったのか、数分後に返事が来た。その内容に目をみはった。
〈ごめん。仕事以前にもう現場に行けないかもしれない。バズるのが正義みたいな風潮息苦しくてさ。まぁ、仕事が忙しいんだけど〉
松島に縋っていたことに、今になって気づく。愛でる会が無ければ、松島が酒の勢いで誘ってくれなかったら、アイドル現場に再び行くことはなかったかもしれない。酔いを誤魔化すために酒を煽った。缶を置いた後、通知が来た。真梨ではなく、紗英からのラブマークだった。
特典会が終わり、紗英は楽屋に戻った。どのアイドルよりも長引き、もう既に終演後の物販を共にやっていたアイドルはいなかった。琴音が投稿を見せた。3万2000もラブマークがついている。
「まりまりのファン、誰だっけ?最先端のカメラじゃない人。切り捨てなって」
「琴音。さすがに言い過ぎでしょ」
「紗英だって、時田夫妻の恩恵受けてるじゃん。しかも、カチューシャやバンダナつけ始めたの、最前管理がついて伸びると確信したからでしょ」
数万再生を持つ中途半端な人間が、何も持たない者に私もそちら側の人間です、と語りかけて絶望させる様が浮かんだ。琴音の目はバズるのを境に何かに取り憑かれたように据わっていた。喉元が大きな石で塞がれたように、返す言葉が出てこない。皆城はどこへいるのだろう。呼びに行こうとしたが、金縛りにあったように足がすくんで動かない。
「すーちゃんの事悪く言わないで。切り捨てないよ。不器用でも足を運んでくれるんだもん」
「動画もバズったのに、何で。美緒ちゃんの方が伸びてるの。分かりきってる」
「美緒ちゃんはバズ世代ど真ん中じゃん。すーちゃんは私たちと同じで、大学入ってから急にそっちの世界になっちゃって。なんか、20代がニーハイ履いてるみたいな。一昔前の流行りを、今になって取り入れてる感じ? 分不相応っていうか。 頑張ってるのは分かるんだけどね」
真梨は両手で口を塞いだ。その表情が最後の一言が本心である証拠だと紗英には思えた。物語った顔を琴音は見逃さなかった。
「センスがないのは認めるんだ。すーちんだっけ?聞いたら悲しむね」
「センスじゃなくて込められた想いの方が大事なの。最近琴音、どうしたの?数字に目が眩みすぎだよ」
「支度できた?そろそろ出るわよ」
皆城が戸を開けて言った。琴音が声色を変えて一番に戸に向かった。末恐ろしい。紗英は皆城との個人メッセージで、この件を密告した。
〈そんなことがあったのね。でも、バズるは大事よ。最初が肝心だから、年明け、カメコのためのコンテストを開こうと思ってる。リーダーとしてどう思う?〉
そちら側でやっていくしかないのか。思い出とバズるの間を深い溝がへだてる。どうにか、両立できないのか。紗英は気持ちを切り替えるために、真梨に連絡を入れた。
〈ごめん。真梨みたいに強くなれない。思い出も大事だけど、バズると天秤にかけると、ねぇ。さっきの発言忘れて〉
その日の間に真梨からの既読はつかなかった。




