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第一章 2019年 出会い

 「一緒にライブ行かないか?きっと、ハマると思うんだ」

 緑が生い茂った頃、白鳥澄華は、サークル終わりの居酒屋で松島陸斗に声をかけられた。卓を挟んで15人ほどが、思い思いに話に花を咲かせる。松島はアイドルを愛でる会の会長で、地下アイドルの対バンによく行くらしい。そんな彼から、今、スマホに電子チケットから送られた。女子校で男子と隔絶されていた澄華にとって、異性の誘いは悪い気はしない。松島はサワーを飲んでいた。澄華も酔う雰囲気だけでも味わいたいと思い、ノンアルコールのお酒をちびちび飲む。

「先輩は推しのグループどこなんですか?」

「ドールマリンハーツ。地下アイドルでさ。芽中紗英どう?可愛いでしょ」

 ショルダーバッグから、ジップロックを取り出した。新聞紙に包まれているものを丁寧に、ほどいた。出てきたのはアクリルスタンドで、右足の膝から下を折りたたみ、片足立ちをしている。たぬき顔で、綺麗な二重だ。  

「こいつ、芽が出るってうるさいんよ。ライブに70回以上通ってるんだぜ。執着を他で活かせって言ってんだけどな」

「一人一布教って決まってるだろ。矢辻も布教しとけよ」

「押し付けられる身にもなって見ろって。白鳥さん、置いてけぼりじゃないか」 

 愛想笑いは苦手だ。二人のやりとりが小気味が良いからか、ノンアルコールのはずなのに、口が軽くなっている。

「高校まで、みんなの趣味に合わせていたので、肩身狭かったんです」

「前からアイドル好きなの?」

「はい、卒業して他界しちゃったんです」

「他界って、界隈を卒業したって感じ?」

「はい。メジャーアイドルで。高校卒業前に、綺麗にお別れして」

 卒業と濁した。小骨を飲み込んだときのようにチクリと胸が疼く。今、蓋を開ければ、目から涙が湧き出して、せっかくの楽しい雰囲気を壊すことになる。しんみりとした場にはしたくない。

「会長、踏み込みすぎですって。グラスさすり始めちゃったじゃないですか」

「会長のお話も聞きたいです」

 松島は箸がある壁際のスペースの隣にグラスを置いた。

「紗英、地味だけど、いないと回らないんだ」

 酒が進み、松島の口調は饒舌になっていく。矢辻はちびちびと松島が話しているときだけ、グラスに口をつけているように見える。

「まぁ、俺は真梨派だけど。底抜けに明るいし、ライブのMCだしな。ドルマリのアイコン的存在だし」

 酒を飲みながら話していても、下世話な動機が一つとして出ない。矢辻も真摯な思いで推している気がする。二人がまぶしく見える。松島があぐらをしていた右足を立て、正座に組み替えた。

「どんな子がタイプなの?」

「自分にないものを持っている子です」

「琴音って子もいるんだけど。まぁ、百聞は一見にしかず」

「合わなかったら、対バンだし、新規の特典でどこかしら他のアイドルと話せるから」

 矢辻が補足して、しなしなになった枝豆を取った。

「行ってみます」

 推しメンが不在な今、渡りに船だと思った。澄華はスタートダッシュを決めた。


メジャーアイドルのライブしか行ったことがない。澄華にとって、地下アイドルのライブは初めての連続だった。関係者ブースが後方にある。カメラを構えている方がいて、背をかがめて、前を通り過ぎ、左の後方を陣取った。松島会長と矢辻の到着を待つ。オタクの営みが見渡せる。土曜日だからか、午後1時でもすでに賑わっており、フロアの中腹まで人でごった返している。ペンライトも持たずに、ジャンプをしながら、ステージに手を伸ばしている人。端でスマホをステージに向ける人、ペンライトを振る人が混ざり合い、違ったベクトルで熱をステージに集めている。バラードになると、一転して、静かになる。聴く場面では耳を傾け、ペンライトを灯す。メジャーアイドルのライブのとき、タオルを回す場面以外は、静かにステージを見るのが普通だったから、最後まで新鮮だった。ライブ直後、松島が手を振った。

「おー、白鳥。来てくれたんだ。せっかくだし、前行こう」

「矢辻先輩は来てないんですか?」

「あいつ、シリウス・シンフォニーってグループが目当てで、同じイベントに出演しないと来ないんだ。ついでに見るくらい」 

「ありがとうございました」

 前のグループのオタクが、肩を叩き合って、健闘を称え合いながら、フロアから出ていく。すみませんと言いながら、前に進んだ。十人ほどが前にいる。男性ばかりだ。二列目の右寄りを確保した。澄華はお腹が隠れるほどのショルダーバッグから、ペンライトを取り出す。松島はナップサックを地べたに置き、同じくペンライトを取り出し、慣れた手つきで青に切り替えた。ライブが始まった。スマホやカメラを向ける人はいない。穏やかにペンライトを振っている。メンバーが登場するたびに、コールがかかる。

「ことね」

「まり」

「さえ」

 センターに紗英が立った。ひまわりのような黄色、空のような青、淡いピンクの照明がポップで明るい曲調に合っている。真梨はステージを隅から隅まで使い、指でハートを作ったり、ウインクや目線をあちこちへと飛ばす。琴音と紗英が大きなハートを作る。琴音は控えめに片手で指ハートを作った。間奏で、メンバーが一斉に左に寄って手を振り、右に小走りして手を振った。松島に手を引かれて、メンバーに合わせて身体を動かした。縛られずに重い思いのスタイルで応援できるのが、新鮮な体験として胸が揺らいだ。ジェットコースターに乗っている感覚を思い出した。曲が終わり、程よい疲労感の中、紗英が高らかに声を張った。

「あたしたち、ドールマリンハーツです」

「はい。あなたの目の真ん中に芽吹かせます。芽中紗英です」

「ことこと、音楽を岸辺まで、奏でます。ドルマリのビックウェーブ、根岸琴音です。そして」

「はーい。あたしの干支はー」

「bird」

「みんなーに幸せ運びます。えとまりこと、江藤真梨です。センキュー」

 コールアンドレスポンスをした瞬間、真梨と目が合った気がした。クセのない真っ直ぐな黒髪。今は懐かしい重めの前髪。マツエクをしていそうな長いまつ毛。澄華にないものをすべて持っている。目の大きさが対称で鼻も高い。他の二人がシースルーな前髪だから、量産型にはない輝きを放っていて、目に焼き付いた。

「グループ名だけでも覚えて帰ってください」

 二曲目から、気がつけば、江藤真梨を追っていた。


「先、ドリンク交換しに行く?」

 松島がドリンクチケットをポケットから取り出す。切符サイズのそれを澄華も手に持った。

「喉乾きましたしね」

 フロアの端に、知る人ぞ知るコンカフェのような空間が広がっている。メニューから澄華はパイナップルジュース、松島はジンジャーエールを頼んだ。無愛想な金髪の姉ちゃんが、プラカップにそれらを注いだ。

「常温のペットボトルのときもあるから」

「一気に飲まないといけなくなって、焦りません?」

 他のグループも見る前提で話していた。胸の内が見透かされそうで松島から目を逸らす。

「そうかな。ドルマリ終わったら帰るからさ。中途半端に残るよりいいけどね」

「そういうもんなんですね」

「何事も慣れだよ。矢辻が来てないのは多分、このカップのせい。あいつ、エチケット気にするのよ。ちびちび飲みたいから、ペットボトルありがたがるんだ」

 ちびちび飲んで、他のグループの特典会にも顔を出す。先日の矢辻の飲みっぷりを見たから、容易に想像がついた。一人のアイドルが近寄ってきた。

「あたし、綺羅星クリエイトの美山あかりって言います」

 ビラを差し出した。

「初めての方、無料で一枚チェキを撮れるので、ぜひ」 

 澄華は軽く会釈をした。

「先にチェキ券買って待ってるね」

 松島は、フライヤーをしまい、そそくさとドールマリンハーツの特典会が行われるBブースに戻っていった。

「お友達ですか?」

「サークル仲間で。誘われたんです」

「良いですね。うち、大学生メンバーもいますし、ぜひ」

 目の下の涙袋が濃い。透けた前髪にポニーテール。自分に似ていて現実感が優ってしまった。気になってブースを見る。他のメンバーの列は片手に収まる程度の人数だが、並んでいる。見ていて切なくなったし、ある程度、会話の中身が想像できてしまう。無料で話してくれたのに申し訳ない。ドリンクを一気に飲み干す。人工甘味料の過剰な甘さが口内に漂った。チェキは撮らずにブースBへ逃げるように足を早めた。

松島がチェキ券を二枚持っていた。

「長くなるかなって思ったけど、早かったね」

「話しましたけど、ビビッと来なかったです。話聞かなくて良かったんですか?」

「ビラもらってメンバーに見られるのが嫌でね。苦労話聞かされたこともあって」

「苦労話ですか?お客さん六人しかいなかったって話、聞いたことあります」

「特典会終わった後も会場でビラ配りさせられたって」

 そうでありませんように、と先ほどの彼女の行く末を願う。

「次元が違いますね。他に行ってるアイドルないんですか?」

「一途だから本当に無いよ。それぞれ楽しもう」

 そのとき、フロアのそこかしこで、たむろするオタクをかき分けて、Bのブースにやってきた。メンバーは左から、真梨、紗英、琴音の順に人が、一人入るくらいの間隔を空けて立った。

「ドールマリンハーツ特典会始めます。よろしくお願いします」

 早速、松島は紗英の列の先頭に並んでいる。オタクのものだろうか。向かいの壁沿いにバッグがいくつも置かれてある。紗英には七人ほどの列ができ、琴音には三人、真梨は二人で、紗英が圧倒的だ。並ばずに他のファンとの交流を様子見して推しを決めるのは、無礼だ。あたしがアイドルだったら、絶対にそう考える。真梨の列に並ぶ。隣の琴音は手隙の時間に鏡を見て、前髪を整えている。ほとんど崩れていないのに、確認を怠らないなら、あたしはどうなっちゃうんだと思った。スマホのカメラで前髪を確認し、小さな櫛で整えていると、男性から声をかけられた。まつ毛が長く、程よく焼けた肌。キリッとした目で同年代に見えた。おじさんが撮っていると思っていたので、軽いカルチャーショックを覚えた。チェキ券を渡す手が思わず震えた。真梨が軽く口を開いた。

「来てくれてありがとう。初めて?」

「はい」

「ポーズ何にします?」

 松島に聞いておけばよかった。

「オススメありますか?初めてで」

「グループのポーズが、人形で。ハッシュタグを胸元で作って。バッチリ」

「撮ります」

 チェキが現像されて、真梨の小さな手に渡った。カラコンを入れていると思うほど、透き通った茶色の目が、小動物のようにうるうるとしている。真梨自体が、フランス人形のようだ。

「前髪重い女の子が好きで」

「最近、仲間いなくて。おでこ出してるときもあるの。あっ、聞くの忘れてた。あだ名ある?」

「すーちゃんって呼ばれてます」

「まりりんって呼んで。コロコロ表情変わるって意味で、鈴が名前の後ろについてるみたい。変わってるかな?」

予測不可能な会話に脳をかき混ぜられた。話しながら、ペンを素早く動かしていて、顔を上げたときに目が逸れないことに感心させられっぱなしだ。

「表情豊かなファンサに惹かれて来たので」

「個人チャンネルもやってて。あと、公式のチャンネルもあるから、ぜひ時間ある時に見てみて。Zやってる?チェキあげてほしいな」

 澄華はアカウントを見せた。チェキを渡して、ポーチからポケットに入るくらいのメモを取り出し、何かを書き記した。

「真梨、お時間です」

「また来てね」

 真梨がウインクをした。松島はバッグが直置きにされている隣のスペースでチェキを見ていた。

「お疲れ。どうだった?」

「思ったより高い声だったのも含めてあたしにないものばかりで新鮮でした」

「アイコン的存在だからな」

 紗英に並んでいた人の何人かが、真梨の列にも並ぶ。紗英は澄ました顔でペットボトルの中身をストローで吸っている。

「俺は帰るけど、まだ残る?」

 松島は目線を外さず、試すような目をした。特典会の時間が終わるまで、まだ40分近くある。

「特典会、いつも、終わりまで見ていかないんですか?」

「チェキ撮らないのに、張り付いて見ているような野暮なマネはしないよ」

「そういうもんなんですね」 

 ビラをもらわなかったときも薄々感じたが、松島はこだわりが強い。背骨に太い芯が入っているんじゃないかと思うほど、姿勢が良いから、妙に説得力がある。

「ごめん。強引かな?矢辻っていただろ。あいつがいるときはオタクと話したりするんだけどな」

「矢辻さんの方が人見知りかと思ってました」

「どうして?」

「ちびちびお酒飲まれていたからです」

「白鳥さんに配慮してじゃないかな。二人ともベロンベロンに酔っ払ったら嫌でしょ?」

「そうですね」

「あと、他のグループの特典会行っちゃうと、巡り巡って推しに他に行ったことが知られちゃう可能性あるし。他、見ちゃうと余韻に浸りづらくなるし。メリットないんだ」

 二人きりに早くなりたいという思いから出た提案ではなさそうだ。経験に裏打ちされたものだと納得し、澄華は会場を後にした。

 帰宅後、澄華は「# ドルマリ」とZで検索した。他のオタクの投稿が出てくる。自分の顔をスタンプで隠して投稿する人が多い。ほとんどが手をくっつけてハートを作っているチェキで、文面は特典会で話したことだったり、ライブの感想が載せられている。投稿を参考にして綴る。

〈先輩に誘われて、新規でドルマリに行ってきました。曲のバリエーション豊富で楽しかったぁ。目があった?江藤真梨ちゃんと。まりりん話すこと話すこと面白くて沼落ちしそう。メジャーアイドルしか行ったことなかったけど、コールも届くし想いも伝えられてサイコー。推しメンはまりりんに決まり〉

 真梨の雰囲気に合わせて、テンション高めな文で投稿した。お風呂からあがり、保湿のボディミルクを塗る。香りを楽しんでいると、Zの通知が来た。真梨からのラブマークだった。

 葉桜が新緑に衣替えを終えた頃、澄華は地下へ続く階段を下りていく。ドリンクカウンターの近くに松島と矢辻がいた。二人とも、ペットボトル片手にスマホを覗き合っている。松島が澄華に気づき、手招きした。

「お疲れ。間に合って良かったよ。一年は大変だよね」

 五限の講義を終えて、そのまま足を運んだ。

「19時スタートで助かりました」

 事前に予定を合わせて事前にチケットを購入し、当日券より500円安く入場でき、便利だと思う。ドリンクカウンターの先がすぐライブフロアとなっており、最低限のスペースで、シリウス・シンフォニー、シリフォンとのツーマンライブが行われる。松島がライブフロアへ繋がる重厚な扉を開け、二列目の中央より右手を陣取った。ペンライトを用意していると、前方で話していた男性二人が振り返った。左は、鳥籠のようにチリチリとした灰色の髪で、おじさんかおばさんか分からない風貌だった。右は白髪を後ろで一つ結びに結えており、パッと見て性別が判別できない。

「見ない顔だね」

「この子、定期公演は初めてなんです」

「今日、最前チケスペースないし、前いいよ」

 対バンではなく主催のライブだ。澄華が同じ状況になったら、少しでも前で見たい。

「いや、それは」 

 松島は関わり合いになりたくないのか、スマホに目を落としていた。アイドルにしか興味がないのかもしれない。他のグループの特典会にも行かないという澄華の仮説が、真実味を増す。

「推しのグループってどちらなんですか?」

 まごついていると、矢辻が当たり障りのない口調で助け舟を出した。

「シリウス・シンフォニーだけど」

「連れは、ドルマリなんで。大丈夫です」

「勝手にシリフォの新規だと思って、つい。ごめんね」

「まぁ、俺はシリフォなんですけど。ドルマリのとき、前譲ってくれませんか?」

 彼らは揃って渋面になり、前を向いた。松島がその場を離れて、周りに頭を下げてフロアを出た。怪訝そうな目で矢辻を見た。

「図々しすぎだろ。紳士淑女たる者、穏やかでないと」  

「どう見ても、女オタを狙うおじさんだった。頼みますよ、会長。強く言わなきゃ。俺も幅を利かせられるようにならなきゃな。まだまだか。白鳥さん、大丈夫?」 

「危なかったです。ありがとうございます」

「俺がいないときが心配だ。女子校出身だったよね?一人で行くときは気をつけなね」

親切心だと思い違いをして、女子校であったことが、もろに出た。世間知らずだと思われただろうか。いや、決めつけるのも良くない。様々な考えが波のように押し寄せる中、コールが漏れ聞こえた。

「やべっ」

 矢辻の後を追うように、フロアへ駆けた。


 


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