5.魔法使い
「マレ、これはここでいい?」
サイアンがそう言って、戸口に姿を現した。その腕には、木箱に入った二人分の食糧が抱えられている。
今週もまた、ここで二人きりで過ごすのだ。なんて、ワクワクするのだろう。あのサイアンを独り占めできるなんて。
屋敷にいる時のサイアンは、いつも何かしら忙しい。勉強に剣術体術の鍛錬に。乗馬に狩りの練習もある。その隙を突いてサイアンに声をかけるのは至難の技だった。
もちろん、どんなに忙しくても、マレが声をかければ直ぐに対応してくれるが、逆にそれが申し訳なくて。
そうやすやすと声はかけられなかったのだ。
でも、ここに来れば二人きり。誰も何も邪魔しない。
「うん。そこにおいてくれれば、あとは僕がわけるよ」
「とりあえず、あと二箱で終わりだよ。ほんの一週間だけなのに、すごい荷物になったね? こんなに食べきれるかな?」
呆れた様に声を上げるがマレは。
「あっと言う間だよ。足りなければ、そこの川で魚も釣って食べられるし。ムニエルもいいけれど、塩を振って焼くだけでも美味しいんだ。父さんがよく焼いてくれたよ」
「マレのお父さんはすごいね。なんでも作れるんだもの」
その言葉に嬉しくなって、胸を張ると。
「そうなんだ。まるで魔法使いみたいなんだ」
「魔法使い…?」
「うん。できないことはなにもなかったよ。父さん、言ってたもの。できないのは、空を飛ぶことくらいだって」
「ふふ。それはそうかもしれない。この家だって、一人で直したんだものね。確かに魔法使いだ」
サイアンが楽しそうに笑い出して、さらにマレは得意気になった。
✢
サイアンからみれば、マレの方が魔法使いの弟子なのかと思うほどだった。
たった七才なのに、食事の用意から洗濯、ベッドメイキングまで、サイアンのできないことができてしまうのだ。
もともと、サイアンにその必要がなかったせいでもあるのだが、それを差し引いても、同じ年の子らと比べれば、マレは優れていた。
それに加えて性格もいい。拗ねた所がまったくないのだ。
わがままも言わず駄々もこねない。逆にそれが心配にもなるが、見ていると、そう言う心がないらしいのがわかった。
「あ、いけない。薪が足りないね? 明日にでも割らないと──」
今夜の分も怪しかった。朝晩はかなり冷える。マレはまだ小さい。自分より寒さに弱いだろう。しかし、マレは積まれた薪を見た後。
「今ある分なら、夜と朝の食事を作る分まではあるよ。寝るときの分はないけど…」
「いいの? 寒いのに?」
するとマレはにこりと笑んで。
「寝るときは、くっつけばあったかいから大丈夫だよ。いつも父さんとそうしていたから。朝までぐっすりだったもの」
「そう…」
少し驚いた。貴族の子どもなら考えられないだろう。泣き出して、そんなの耐えられないと騒ぎ出すに決まっている。
「ここは朝日があたるから、夜が明ければあったかいよ。どうしても寒かったら、早起きしてすぐに薪を割るんだ。そうすれば、あったかくなるから」
身体を動かしてあたためる、と言う事だ。なんとも、七歳の子どもの言葉とは思えず、ただ目を瞠ってマレを見ていれば。
「サイアン?」
薪を大きさごとに分けていたマレは、こちらを振り返って不思議そうに見上げてきた。我に返ったサイアンは、
「僕も手伝うよ。ほかにも色々教えてくれるかい?」
「もちろん!」
嬉しそうに笑んだマレが、とても頼もしく好ましく思えた。
✢
その夜、早々に二人で一つのベッドに潜り込み、そこから見える夜空に目を向けた。
この家は納屋だったのを、父ルボルが村人からもらい受け、少しづつ建て直していったと言う。
以前は窓もなかったが、ルボルがそれでは日もささないし、夜空も見えないだろうと、作ったのだ。
「母さんも好きだったんだって。ここから見える星空」
「へぇ…」
ベッドに肘をついて、ガラス窓の向こうに広がる夜空に目を向けた。大きく取られた開口部からは、星の瞬きがよく見える。
わざわざベッドから良く見えるように作ったのだろう事が伺えた。こうしてベッドに横になっても、星がよく見えたからだ。
時折吹く風に、窓枠がガタピシと鳴ったが、二人でくっついていればそこから入り込む隙間風も気にならなかった。
「僕は覚えてないけど…」
「そっか。僕もやっと子守唄を覚えているくらい。マレはもっと早くに亡くしたんだものね?」
「…でも、生きているんだって、お父さんは言っていたよ」
「生きている?」
「うん」
そう言ったあと、マレは夜空を見つめたまま。
「僕たちのいる世界とは、ちがう世界で生きてるんだって。向こうでこっちと同じように生きていて、シャーマンを使えば、話すこともできるんだって…」
「シャーマン?」
「お父さんとお母さんの生まれた国にいるんだって。向こうの世界と話せる人。どうしても様子を聞きたくなった時だけ、特別に教えてくれるんだ」
「そうなんだ…」
サイアンにとって、それは初耳だった。世界は広く様々な民族がいる。父の友人ルボルは流民だった。きっとそんな風習のある民族だったのだろう。
すると、マレはふいにこちらに顔をむけ。
「だから、父さんとも話したくなったら、その国に行って、シャーマンに聞くんだ。──でも、今は大丈夫」
「どうして? 話したくはない?」
「…だって、サイアンがいてくれるもん。だから寂しくない。ちっとも話したいと思わないもの」
「……」
思わず、マレを見つめてしまった。
ルボルには悪いが、素直に嬉しいと思った。自分の存在が、たった一人になってしまったマレを救っているのだと思うと。
「サイアン?」
「──ううん。なんでもない。僕はずっと傍にいる。ね? さ、唄を歌ってあげる…」
「うん」
笑んだマレは横になって目を閉じる。身体はサイアンにぴったりと寄せていた。サイアンもさらに引き寄せるように抱きしめると、ぽかぽかと暖かくなってくる。
マレを抱きしめるようになって、初めてひとの温もりが心地よいのだと知った。
そうして唄を歌った。誰かの為に歌うのは、きっとマレにだけだと思った。




