エピローグ
「ブルーナ、当分ここで滞在かな?」
宿屋に落ち付き、荷物をほどきながらブルーナに声をかけた。
通りに面した窓からは、行きかう人々の賑やかな声や馬車の走る音が聞こえてくる。
クレーネー王国からは街を三つほど越えた辺り。そこまで大きくはないが活気のある街だった。
「そうなりますね。ここは気候も穏やかですし、仕事もありそうです。先ほど食事をした食堂で、商人が野獣が出て困ると嘆いていましたから。護衛や討伐の仕事もあるでしょう」
「…そう。──でも、ブルーナ。あまり無茶はしないでね? 怪我をしたら大変だよ」
するとブルーナは笑んで。
「この荷物を背負うものがいなくなりますからね?」
いま荷ほどきしている薬作りの道具の山を差しているのだ。
──確かにそうだけれど。
「…いじわるを言わないでよ。そうじゃない。ブルーナは大切なひとだから。今の僕にとって貴重な存在なんだ。──なくしたくない…」
クレーネーを後にしたマレにとって、たったひとりと言っていい、信頼のおける人物だった。
するとブルーナは少しの沈黙の後、うつむくマレに向かって。
「あなたを一人にはしません。──誓います」
「……ありがとう」
ブルーナからひたと向けられた眼差しに、急に照れ臭くなった。
ここまで自分に尽くしてくれるなんて、もったいないと思うばかりだ。
──もっと、別の生き方もあっただろうに。
いまだにそう思う。これだけ美丈夫で、剣の腕も立つ。また、騎士団に戻ることもできたはずだ。
──なのに。
マレと行く道を選んだ。
「そうだ、ブルーナ。もう、僕を主と思わなくていいよ。普通に話しかけてくれていい。王族でも何でもないんだ。…もともとの僕は流民だったんだし」
「…そうですね。確かにこのままでは、周囲の者も変に思うでしょう。…見た目だけなら、友人同士の旅と言う所でしょうか。他には薬師とその護衛に雇われた者か──」
「そうだね。それがピッタリだ」
「あとは──」
そう言ってから、マレを見つめる。その眼差しの優しさに、マレはドキリとするが。
「──いえ。これはよしておきましょう。まだ早い…」
「ブルーナ?」
「なら、話し口調はかえましょう。──マレ」
「うん?」
「この先も、俺はあなたを守る。何があっても、あなたの傍を離れない。──皆があなたを断罪しても、俺はあなたの味方だ」
「……ブルーナ」
「──ほら、さっさと荷ほどきを済ませて、街の様子を見てみよう。異国は初めてだろう?」
「あ、うん! 初めてだよ? 今まで旅になんてでたことなくて…」
ブルーナの砕けた言葉使いに戸惑いつつも、急に距離が近くなった様で落ち付かなくなる。それに、真摯な言葉。まるで愛の告白だった。
──なにをバカな。
でも、あながち間違ってはいないと、気づいている。これだけ熱のこもった眼差しで見つめられ、真剣な言葉を投げかけられ。気付かない方がおかしい。
マレは赤くなった頬を意識しつつ、急いで荷をほどき始めた。
あらかた片付いて、ブルーナと街を散策する。
外にはヒナの為にせわしなく餌を捕りに向かう親鳥の姿があった。渡り鳥だ。
今頃、あの巣箱も、きっとにぎやかな鳴き声で溢れかえっているはず。
──サイアンも、あの巣箱を見上げているだろうか。
「マレ?」
ぼんやりと飛び交う渡り鳥を見上げていれば、先を歩いていたブルーナが振り返って声をかけてきた。
どうしたのかと言った表情だ。マレは小走りになると、ブルーナに追いつく。
「…なんでもない」
言ってから、勢いでブルーナの腕に手を絡ませた。驚いたのか、ブルーナが見下ろしてくる。
「──ごめん」
人ごみに、離れないようにとそうしたのだが、少し馴れ馴れしかったかも知れない。手を解こうとすれば、
「いや。このままで。──むしろ、そうしてくれた方が嬉しい」
ブルーナは笑みを浮かべると、更に腕を絡ませ歩き出す。
ブルーナの存在が、自分の中で大きくなっているのを感じる。向けられる思いも、多少なりと意識していて。
この先、どうなるかは分からないが、ブルーナと離れると言う選択はないと思えた。それくらい、大きくなっている。
人に思われる嬉しさを、一番初めに教えてくれたのはサイアンだった。彼がいなければ、今の自分はない。
──どうか、あなたが幸せと共にありますように。僕の大切なサイアン。
そう願ってやまなかった。
✢
視界の先を黒い影が横切り、ラーゴは空を見上げた。渡り鳥だ。
今日は久しぶりにルボルとマレの墓参りに来た。マレの件以降、申し訳なさが先に立って、殆ど訪れずにいたのだ。
木高い丘の上にある為、風がやや強い。でも、ここからは街が一望できて、なかなかの眺望だ。
墓前に花を供えて息をつく。マレが育てていた薬草がつけた花だ。春先、真っ白な花をつける。
育てるのが難しく、水を毎日与えないと直ぐに枯れてしまう。できる時はサイアンが、そうでない時は管理人に頼み、冬の間は囲いを作り、ずっと大事に育てていたものだ。
──そう言えば、ルボルの家に巣箱がかけてあったな。
息子のマレと共に、嬉しそうに見上げていたのを思い出す。
今は、その二人共がいない。冷たい土の中にその身体は埋まっている。けれど、きっと魂は自由になっているに違いない。
──そう言えば。
先日、クシャクシャに丸められた手紙を見つけた。内容は二通ともサイアンに関わるものだった。
亡き前王レマンゾ宛とサイアン宛。客間の屑入れに入っていた。サイアンが捨てたのだろう。
──なんでこんなものが?
しかも字体には見覚えがある。マレのものだ。どうして、マレがこんなものを書いたのか、皆目見当がつかない。
まさか、自身の死を予見して? ──そんなはずはない。
──まるで、遺書だ。
しかし、レマンゾ宛は──分からない。マレがどうして、自身の死に対して、王にその相手の免罪を申し出ているのか。
──分からないと言えば。
数日前、国外追放を命じられたリーマ王子を、遠目で見る機会があった。
出立前に兄でもある、王トレンテとの秘密裏の謁見が、トレンテの自室でもたれた為だ。
関わったのはごく僅か。サイアンも知らないだろう。ラーゴはそのごく僅かに含まれ、護衛として立ち会ったのだ。
その時見たリーマは、以前の容姿とはだいぶ異なって見えた。
黒かった髪は白髪に。冷たい色の青の瞳は、人の温もりがある色になっていた。
もし、何も知らなければ、リーマだとは気づかなかったかも知れない。
──えらい変わりようだ。
サイアンから報告はうけていたが、これ程とは思っても見なかった。
火傷の跡が、首すじや頬にも僅かに残る。先の騒ぎで負った傷だ。背中はもっと酷いらしい。
──人格も変わったと聞くが。
確かに、王と謁見しているリーマは穏やかで、反抗的な素振りは一つもない。
謁見が終わり、去り際、ふとリーマの視線がこちらに向けられた。ラーゴを認めて、フワリと懐かしがる様に笑顔を見せた。
驚いた。そんな顔をするのかと。
しかし、直ぐに監視及び側付きとなった、ブルーナがその背を押し、急ぐようにその場を退出して行った。
城内にもリーマへの処分に反感を持っている者は多い。ブルーナはリーマ寄りだと言う。長時間の滞在は避けたいのだろう。
──あれは何だったのか。
思わずマレの笑みと重なって、首を振った。
──何を考えているんだ。俺としたことが。
マレが命を落とす原因となった相手と重ねるとは。自分の感覚を疑った。
──だが、なんだろう。
あの笑顔は妙に懐かしかった。
風が吹き、髪が巻き上げられる。白い花びらが散った。
──ルボル、俺は結局、約束を守れなかった。けど、マレはサイアンとずっと、幸せだったんだ。
いつの間にかマレの墓石に止まっていた渡り鳥が、首を傾げるようにして、こちらを見ていた。
「な? だろう、マレ」
ついそう声をかければ、まるで、聞いているように更に首を傾げたあと、パッと飛び立った。
どうやらひな鳥だったらしい。小柄な身体は、それでも力強く空を舞った。
──なあ、ルボル。マレはなんて言ってるんだ?
飛び去るひな鳥を見送りながら、今は亡き友に声をかけた。
✢
「ねぇ、あれはなんて鳥?」
アロは傍らに立つサイアンを見上げた。問われたサイアンは同じく空を見上げて。
「ああ。あれは──」
マレが好きな渡り鳥だ。飛び交うのは、巣だったばかりのひな鳥だろう。
サイアンは医者の元を訪れていた。マレから手紙が来たのだという。用務を早めに切り上げ、その元を訪れれば、先にアロも来ていたのだ。
屋敷での幽閉期間、マレはこの少年と会っていたのだ。マレを見送った日も、ここへ来ていた。
「サイアン?」
アロは物怖じしない。サイアンが騎士団の一員と知っても、ふーんと言っただけで、あとは興味がないのか、話題はマレへと移った。
小さい頃から大人になるまで。特に子守唄の話は興味津々だった。あの唄は特別だったと知って、アロは誇らしげになる。
「マレは僕にもたくさん、歌ってくれたんだ」
アロの中で、リーマは『マレ』だ。
──いや、あれはマレなのだ。
サイアンは苦笑した。
いつか、アロの『マレ』と、サイアンの『マレ』とが違うことに気づくだろうが、その時は──本当の事を話そうと決めている。
──信じても信じなくても。
「あれは──渡り鳥だ。春先になると、渡ってくる──」
「どこからか来るの?」
「南の島からだ。あちらが寒くなると渡って来て、ここで子育てをするんだよ」
「へぇ~。すごいね。ねぇ、お休みはどこでするの?」
「他の外敵に襲われない、軒先や木の洞、あとは──巣箱だな」
「巣箱?」
「──ああ。人が住む家を作って、木にかけてあげるんだ。そこで卵を産んで子育てする…」
マレと二人で、毎年それを作った。しかし、これからも、ひとりで作ることになるだろう──。
「ねぇ、サイアン。僕も巣箱を作りたいな」
「──巣箱を?」
サイアンはアロを見つめる。アロは頷くと。
「作ってみたい。僕みたいに小さいとだめ?」
サイアンは笑って首を振ると。
「大丈夫だ。──マレもその位の歳で作っていたよ。私と一緒に…。アロも作ってみるかい?」
「本当? やった!」
「今年の分はもう作ってしまったから、また来年、作る事になるが──。それでもよければ」
「うん! いいよ。来年、約束だよ!」
──来年。そう、マレとも約束した。
これからも、この先もずっと続くものと信じていた──。
「……サイアン? 泣いてるの?」
頬を一筋の涙がこぼれ落ちていく。しかし、それを直ぐに拭うと。
「──いいや。何でもない」
と、そこへ仕事を終えた医者がようやく顔を出した。
「いや、待たせたね。──これが、『マレ』からの手紙だよ」
医者はまだ一度も封を開けていないそれを差し出してくる。
──マレ。
「サイアン、読んで! 早く、早く!」
「──ああ、わかった」
そうして、無事を知らせるマレからの手紙を、アロに読んで聞かせた。
窓辺に渡り鳥がとまる。
首を傾げながら、その後二人を見つめる様にして、また飛び立って行った。
✢
「あ、ひな鳥…」
借りた宿の窓辺に、野鳥が降り立った。渡り鳥だ。それを見て、マレが嬉しそうに声を上げる。
驚かさないよう、動きを止めてジッと見つめていた。その横顔が本当に嬉しそうで。
つい、つられてこちらも笑みになる。
マレはリーマとはまったく異なる表情を見せるせいで、マレだと意識して以来、別人にしか見えない。
──かわいいな。
そんなふうに思ってしまう自分に、苦笑する。すっかりマレに心奪われているのだ。
あれから、マレとの距離は、縮まった様で縮まらない。
あれだけ露骨にアプローチしたせいで、少しは意識しているようだが。
──やはり、サイアン様か。
心に他のものが住んでいれば、無理な話だ。サイアンに嫉妬を覚える。しかし、それも仕方のないことで。
幼い頃より供に過ごし、思いを通い合わせていた相手に叶うはずがない。もし、今後、サイアンが訪ねて来るような事があれば、どうなるのか。
──それでも。
この思いを抑える事はできない。今はただ、マレの側で彼を支えるだけだ。それが、今の自分にできること。
その結果、マレがサイアンを選ぶなら、仕方ないことだった。
「…ブルーナ?」
マレが黙り込んだままのブルーナに気づき、声をかけてくる。
「…なにも。ただ──少し、寂しくなって…」
「寂しく? どうして?」
ブルーナはひと呼吸、置いてから。
「──どんなに大事に育てても、その時が来れば、飛び立ってしまう…。親鳥の気持ちになってた」
苦笑して誤魔化すが。
「僕は──飛び立たないよ…」
「──マレ?」
「ずっと、ブルーナの傍にいる…」
そう言ってから、
「──なんて、ひな鳥の気持ちになってみた」
笑う。
──ああ。──なんて愛おしい。
「──あなたが、好きです」
その言葉に、マレの顔が夕陽を受けた様に赤くなった。
遠くにいる、あなたを思う。
──どうか、幸せに。
それぞれの思いを受けて、渡り鳥は空高く舞った。
ー了ー




