36.守るべきもの
ベッドに横になり、丸くなっているうちに、眠ってしまったらしい。
裏の門扉が開く音で目が覚めた。ブルーナが帰ってきたのだ。
──いつも通りにしないと。
「──おかえり、ブルーナ」
しばらくして、支度を解いたブルーナが部屋へ顔を出した。マレはベッドから起き上がり、笑みで迎える。
が、なぜかブルーナの表情は硬い。早々に、しまわれた薬の件がバレたのではないはずだが。ブルーナは暗い面持ちで。
「──作られた薬は、もう、お渡しする事が出来なくなりました。全て、サイアン様の知るところとなり…。中止するよう言い渡されました。それに自室での謹慎も…」
「……本当?」
予想もしなかった答えだ。
「街に噂が出回っていたようです。薬の出所がここだと…。それに尾ひれがついて、第四王子が毒薬を作ってまいていると…」
「──そんな……」
「サイアン様のお話では、薬の効能に羨んだ同業者の仕業もあるのではと。──その後、アロの家を尋ねましたが、もう必要ないと断られました…」
「そう…」
マレはきゅっとシーツの端を握り締めた。
──なにもかも、自分から離れていく。
やはり、この身で何かを望むと言う事は、無理なことなのか。
ブルーナの姿を視界にいれまいと、更に俯く。もう、この男の顔もまともには見られない。
「……わかったよ。ありがとう。薬はそこに置いて行ってくれ」
「わかりました…」
ブルーナは袋に入れていたそれを、そっと机の上におくと、一度こちらを振り返ったようだった。
だが、マレは俯いたまま、顔を上げることができない。察したのか、ブルーナは何も言わずに退室していった。
──僕はもう、誰にも必要とされていないんだな…。
机に置かれた袋を見つめる。何度もアロとの間を行き来した袋はすっかりくたびれていた。
いくら薬を作った所で、もう誰も口にはしてくれない。虚しさが胸を覆う。
──なぜ、僕はリーマとしてここに生きているのだろう。
何度目かの自問だった。
次の日、ブルーナが朝食を運んで来た。
トレーに乗せられたのは、ミルク仕立てのスープと軽く焼いたパンが一切れ。スープからは優しい香り、パンは香ばしい香りがする。
いつもなら、食が進まないまでも、手を伸ばそうとするが、今日に限っては手が止まる。
「いかがされました?」
こちらの様子を伺ってくる。自分を害そうとする様子など微塵も感じられなかった。
「……ううん」
──あれが、夢だったらいいのに。
足付きのトレーと共に、ベッドの上に置かれたそれをしばらく見つめたあと、スープに手を伸ばし、ひと口スプーンで掬って口に運んだ。
ミルクにバターが少し香る。野菜は少し。量も多くはない。濃すぎずいい味だった。
続いてパンをひと口分、千切って口に含む。
この食事のどれかに、何が入っていようとも、リーマであるなら、食べるべきだった。
──それだけの事をした。
それを思えば、拒む選択肢はない。もう、このパンも鳥に与えるわけには行かなかった。
✢
それから、自室だけに籠もる日々が始まった。何も起こらない静かな毎日。
机の上には、薄っすら埃をかぶった乳鉢がある。あれから一度も触れていなかった。もちろん、それが上から下された処罰で。
守る必要があるからそうしているのもあるが、あれ以来、作りたい、役に立ちたいと言う思いが失せていた。
──生きる意味が分からない。
虚しさを抱え、窓の外に目を向ける。つい、アロの姿をそこへ探してしまった自分を笑った。
その日の夜、寝静まった頃、表の門の方が急に騒がしくなった。
誰かが怒鳴るような声が聞こえる。怒号だろうか。それで目が覚め、ベッドから起き上がった。
──なんだか、妙な匂いもする。
異変に気が付き、室内履きに足を通した所で、部屋の扉の下から煙が入り込んできているのに気が付いた。見れば、灰色のそれはすでに天井を薄っすら覆っている。
──まさか、火が?
急いで窓を開ければ、やはり表の門の辺りが騒がしい。
と、表からひゅっと紅い炎が一塊になって飛んできた。それが屋敷の屋根辺りにあたったよう。
乗り出してみれば、すでに何個かがあたったらしく、屋根の方からぱちぱちと爆ぜる音も聞こえてくる。
──火矢だ…。
慌てて踵を返し、扉に飛びつき押し開けた。
すると、どっと灰色の煙が入り込んでくる。すでに奥の広い部屋が、かなり炎に包まれていた。
──どうして? いったいなにが。
燃えているのは二階だ。階下からまだ火の手は上がっていないよう。
──ブルーナは? 無事なのか?
煙が充満する中、腰をかがめ這うようにして廊下を進んだ。口を袖で覆ったが、煙は容赦なくマレを襲う。吸い込むと喉が痛んだ。
と、どこからかマレを呼ぶ声を聞いた気がした。耳をすませば、炎の爆ぜる音の合間に幼い声に聞こえる。
──アロだ!
どうしてここに。
「アロ!?」
「──マレ? マレ、逃げよう! 迎えに来たんだ!」
階下から幼い声がする。すでに廊下の半分は炎に包まれていた。階段までの道のりが遠い。
「アロ! 危ないから来ちゃだめだ! 外に出て!」
「マレ! こっち!」
アロはかまわず声を張り上げた。
すっかり視界を煙に巻かれていたマレは、アロの声にようやくそちらが階段だと知る。
半分炎で焼け落ちた廊下を声の方に進めば、煙の中に小さな影を見つけた。必死にこちらに手を伸ばしてくる。
「アロ…!」
「こっちが階段だよ! 早く!」
小柄なアロは煙に巻かれずに済んだらしい。とにかく腰をかがめ、アロの手を取ると、引かれるようにして廊下を進んだ。
と、半ばまで来たところで、突然、天井の柱がきしんだ音を立てた。
「危ない…!」
支えが燃えてなくなったのだろう。それがアロの進む先に落ちて来ようとしているのだ。
「アロ──!」
──守らねば。
半ば叫ぶようにしてその名前を呼び、腕を掴むと胸にだき抱えた。
同時にバキバキという、今まで耳にしたことない木が裂ける音と共に、焼けた梁が落ちてくる。
押し潰され、一瞬、意識が遠のいた。
「──マレ!」
腕の中のアロの声に意識を取り戻す。
と、同時に背中に激痛を感じた。背中が焼けたのだ。梁の重さも相まって、息をするのが苦しいくらいだ。
梁の下部分はそこまで燃えていないせいで、なんとかこらえられている。マレは非力ながら、腕をついてぐっと背で梁を押し上げると。
「…アロ! 早く出て! ここはもう、危ない…!」
「でも、マレが…!」
「僕は大丈夫。早く、逃げて──」
支える腕が震えてくる。梁の重みと焼け着く熱が増した。もつのもあとわずか。
とそこへ、
「リーマ様!」
煙の向こうからブルーナが姿を現した。
「ブルーナ…! アロを!」
「……!」
察したブルーナは、直ぐにアロをリーマの下から取り上げ、続いてマレの腕のつかみ引きずり出そうとした。
背中が痛みを訴える。マレが動けば、梁は一気に落ちて来るだろう。
「ブルーナ、僕はいい…! あなたも危ない! 早く逃げて」
「なにを! 大丈夫です! 今のうちに、さあ──」
焼ける梁を、ブルーナは同じく落ちてきた手近な木材で押し上げ、マレの腕を掴むと、外へといっきにひきずり出した。同時に梁が音を立てて崩れる。
重みは去ったが、代わりに焼け着くような痛みが襲ってくる。思わず身体を縮めた。
「っ!」
「さあ、こちらです! アロも!」
ブルーナはアロの背手を押し、マレに着ていた上着を脱いでかけると、半ば抱きかかえるようにして、階下へと逃れた。
✢
煙を吸い込みながらも、なんとか階下まで降りることができた。
煙で咳き込み、ろくに目も開けられない。
そのまま、ブルーナに連れられ、ようやく裏口から庭へと出ることができた。
その頃にはすっかり二階は焼け落ち、一階も時間の問題だった。
炎に照らされながら、ブルーナはそれを見上げる。
「間に合って良かったです…。本当に…」
「──ブルーナ…。でも…」
──あなたは僕に生きて欲しかったのだろうか。
危険を冒してまで、助ける必要があったのか。問いたかった言葉を飲み込む。
「表門に例の噂を聞きつけた民衆が押し寄せていたんです。リーマ様を出せと…。でなければ火をつけるとものすごい剣幕で。──それがこの結果です。そちらの対応に手間取りました。とにかく、怪我が酷い…。すぐに医者に診せねば」
マレを直ぐ様抱きかかえようとしたブルーナを、腕を掴み引き止める。
「……いいよ。もう、いいんだ…」
「リーマ様?」
「──もう。いいんだ…」
ブルーナは義務でそうしているのだ。これ以上、無理をさせるつもりはなかった。
アロが腕にすがりつく。
「マレ! だめだよ! お医者さん、すぐに連れてくるから!」
「いいや、アロ。それでは間に合わない。連れて行った方が早い」
「でも…」
アロが心配げに周囲を見回した。
まだこの壁の向こうには、民衆が多く残って、取り囲んでいる。
警備兵が対応していたが、間に合わず城へ早急に増援を頼んだ所だった。その増援はすぐには到着しない。
「アロの通ってきたひび割れがあっただろう? あそこから行く。そうすれば、見つからない…」
「でも、僕しか通れないよ?」
「大丈夫だ。──さあ」
すると、ブルーナは拒むマレを無視して抱きあげ、直ぐに裏庭の木立の奥へと向かった。
ひび割れ前に到着すると、有無を言わさず、それを足でけりあげる。
と、それは簡単に砕け、向こうに崩れ落ちた。それを何度か繰り返すと、あっという間にかがめば大人一人通るのに充分な広さの穴ができあがった。
「以前にこの穴の場所を聞いて、強度を確かめてあったのです。リーマ様は気付かなかったようですが、ここは腐食も激しく、痛んでいました。ひび割れもそのせいだったんです」
「ブルーナ……」
「さあ、行きましょう。まだこちらには人が来ていませんから」
「うん! 行こう!」
アロを伴い、ブルーナに抱きかかえられたマレは、そのまま森を抜け、町医者の元へと向かった。




