35.噂
その日、ブルーナは月に一度の報告に城へと向かった。
報告が無事終わり、帰ろうとした所で、サイアンに呼び止められ、別室へと連れて行かれる。
「どうかされたのですか?」
月の報告はすでに先にあげた通り。詳しい日々の報告書も渡してある。別室へと呼ばれた事をブルーナは訝しむ。
いつになく険しい顔つきのサイアンに、不穏な空気を感じた。
「街の──貧困層が住む地域で、最近、よく効くと言う薬が出回っているらしい。その出所で、聞き捨てならない報告を聞いてな…」
「……」
さっと緊張が走る。それをサイアンも見逃さず。
「卿は知っているのか? ──その出所を」
黙っていることは不可能だと悟ったブルーナは、口を開く。
「…それは、リーマ様が手づから、お作りになっているものかと」
「やはり、噂は本当だったのか…」
サイアンは腕を組むと深いため息を吐き出した。
「しかし、私も毒見しておりますが、人を害するようなものではありません。確かに幽閉されている罪人が外と関わるのは許されないと分かっております。ただ、これには訳があって──」
「必死だな?」
言い募ろうとしたブルーナに、サイアンは冷たく言い放つ。しかし、ブルーナはひるまず続けた。
「…ある時、壁にあった穴から街の子どもが入ってきたそうです。穴と言っても、小さい子供がやっと通れる程度の、ひびのようなものです。初めは菓子を与える程度でしたが、リーマ様はその少年の母親の体調が思わしくないのを知って不憫に思い、薬を作って渡した様で。それから今にいたるのです」
「……」
サイアンは黙したまま、話を聞いていた。その目には、ずっと怜悧な光が浮かんでいる。
「私が知ってからは、その少年が屋敷を訪れるのは禁止としましたが、何分、少年には薬が高価で買えず。それならと、リーマ様が作られた薬を私を通して渡すようになったのです。それが近所にひろまったのかと」
「卿は黙っていたのだな…」
「黙ってはおりました。ですが、話せば禁止となるでしょう。そうなれば、少年の母親を見殺しにすることにもなりかねません。私にその判断はつきませんでした」
「薬の効能については、こちらでも調べた。王宮雇いの薬師にだ。確かに、いい薬の様だった。だが出所が問題だな。それに──もう一つ、噂がある」
サイアンはブルーナから視線を外し、窓辺に立った。
「幽閉された第四王子が、毒薬を作ってまいていると…」
「──は?」
「薬の出所を知られたのではないか? それだけ評判が良ければ、良く思わない連中もでてくる。薬の出所が知られればそんな噂も立つだろう。…どんなにいい薬を作ろうとも、罪人が作った薬など誰も飲もうとは思わない。しかも、あの第四王子だ」
「それは──」
「本日以降、薬を作ることも配ることも禁止とする。それに、今回の件の処分として、当分の間、自室での謹慎をいいつける。自由にふるまうことも禁ずる。リーマにそう告げよ」
「……わかりました。ですが、今日の分まではよろしいでしょうか?」
「好きにするといい。だが、周囲には気をつけろ? リーマの悪名は轟いている。それを運んでいるおまえも同罪とみなされるぞ」
「……」
「ブルーナ、卿にも処罰が必要だ。通常ならその任を解く所だが、以前、奴を生かすつもりはないと言った…。その言葉を信じて、今回は不問とする」
「は…」
唇をひきむすび、ブルーナはその場を後にした。
──いつからそんな噂が。
城を後にし、足早にアロの家を目指す。その道中、そのことばかり考えていた。
確かに、薬は以前より多くの者へ与えている。だが、不用意にリーマお情報を漏らした事はなかった。
アロの住む部屋に到着し、ドアをノックしたが応答がない。
「アロ、いないのか?」
何度か叩くと、ようやく僅かにそのドアが開いた。しかし、そこから覗いたのは母親でアロではなかった。
「アロは外に出ております…」
「薬をもってきました。それで、今後の事で話したいことが──」
「薬はもういりません。持って帰っていただいて結構です。今後も一切、必要ありませんので。それでは──」
「待って下さい、それは──」
しかし、ドアは鼻先で閉められてしまった。ガチャリと鍵をかけた音がする。
と、気が付けばちらほらと隣家の窓や通路から人の顔が見えた。こちらの様子をうかがっているらしい。いい空気とは言えない。
ブルーナはサイアンの忠告を思いだし、腰に帯びた短剣をいつでも抜けるように手をかけながら、その場を後にした。
街をぬけるまで、暫く誰かがついてきたようだったが、あちこち歩き回るうち、それもなくなった。
そこでほっと息をつき、改めて屋敷を目指した。
✢
薬の噂を知ったのは、部下の報告だった。
街の酒場で飲んでいたおり、居合わせた商人が話していたのを、耳にしたのがきっかけで。
第四王子が幽閉先で薬を作って、ばらまいているらしい、どうやら毒薬らしいぞ──と。
まさかと思い、同じ商人を装いその男に詳しく尋ねると、貧民街でその薬が出回っていて、なんでもすでに亡くなった人間もいるのだとか。
ただの噂にしては物騒だと思い、部下はさらに周辺を探り、貧民街の住人にも話しを聞いて回った。
すると、最近よく効くと言う、薬を手にしたものが現れたのだ。
まだ貧民街には、第四王子うんぬんの噂は伝わっていないらしく、その住人はほこらしげにその薬を見せてくれた。とても良く効くのだと言う。
見た目はなんの変哲もない丸薬だった。それでも貴重だと言うそれを、ひとつぶだけ買い取り、すぐさま城でお抱えの薬師に見せた。
すると、丁寧につくられた正真正銘の丸薬で、成分に悪いものは一つも含まれていないと言う。
使っている薬草はその辺にあるものだが、それでも、良く効くように成分を調整して作られていると言った。
急いで出所を探ると、どうやら森の奥に住む人物が作っているとのことで。その人物は、黒髪で青い目をしていると言う──。
それを知って、サイアンに報告してきたのだ。
確かにリーマの幽閉先は森の奥。容姿もあっている。だが、本人は外には出られない。部下からも変わりないと報告を受けている。
──ブルーナに聞く必要があるな。
それで、問いただしてみればあの通り。
──すっかり、リーマに籠絡されていると言う事か。
だが、あの男が早々に妹に対する、リーマの所業を忘れるはずがないのだ。
ブルーナは大層、妹を可愛がっていたと言う。その婚約もかなり喜んでいたのだとか。
それを全て奪ったリーマを許すはずがない。
──しかし、薬師が妙な事を言っていたな。
丸薬について、再度尋ねに行った際、
『まるで、マレの作った薬のようでしたな』
そう言って笑ったのだ。
薬師には作り主のことは伝えていなかった。この薬師はマレが師事していた男だ。この男から全て手ほどきをうけ、薬草についても深く知るようになった。だから、見ればそれと分かるのだろう。
──すべて、マレがリーマに教えたとでも?
そんなことは手紙にひとつも書いていなかった。それに、そこまでの時間もなかったはず。
第一、薬作りに必要なものは、書籍を含め何一つ持って行かなかった。たったひと月程度の事だと思っていたからだ。
短期間で覚えられるものではない。真似しようとも無理だった。適当に作った所で、国お抱えの薬師をだませるはずはないのだ。
ブルーナにその手の知識はないはず。それに、今のリーマへそのような本を与えているふうも無かった。
納得はいかないが、ブルーナの話から、とにかくその薬は確かにリーマが作り、分け与えていたのだ。
すでに禁止にした。今後、それが出回ることはないだろう。噂もしばらくすれば収まるはず。
薬によって死人が出たと噂にはあったが、調べれば、とうに助からない病人で、薬の効能もそこまでは効かなかっただけのことだったらしい。
だが、いまではすっかり貧民街にもその噂が伝わり、今後、誰もその薬を受け取るものはいないだろう。
──あのリーマが、な。
人助けなど、まるで縁がない人物だろうに。
幽閉期間に、心を入れ替えたとでも言うのか。サイアンには信じがたいことだった。
本当だとしても、信じたくないと言う思いの方が強い。今頃、善人になったからと言ってなんなのだ。
──それでマレが帰ってくるとでもいうのか。
罪滅ぼしだとしても、それで犯した罪が償えるとは到底思えない。
亡くなったものは、二度と帰ってはこないのだから。
✢
その日、幾分、体調が良くなったマレは、久しぶりにお菓子でも焼こうかと、階下へ下りてきた。
ブルーナは城へ報告に行っている。アロの家にも寄ると言っていたから、帰りは少し遅くなるだろう。
それならと、こっそりお菓子を焼いて、ブルーナを驚かそうと思ったのだ。
最近、ろくに動けないマレの代わりに、家事の一切を引き受けたブルーナは、働き詰めだった。そう広くない家だが、それでも一人でとなるとそれなりに重労働で。
手伝えない代わりに、せめて感謝の気持ちを込めて──そう思ったのだ。
作ってもスコーンかクッキーか。スコーンの方が、食事の代わりにもなる。
──よし、スコーンだな。
少しだけ砂糖を多めにしようと思った。
ブルーナは意外に甘いものが好きだ。マレ様の為に買ってくるお菓子も、若い女性が欲しがるような、甘いお菓子を必ず選んでくる。興味が無ければ選ばないものだ。
──きっと喜んでくれるはず。
そうして、階下の調理場に立ったのだが。バター、砂糖、牛乳、卵、ふくらし粉と用意して、最後に小麦粉が見つからない。
──いったい、どこにしまったんだろう?
ブルーナが切らすはずがない。そう言ったことには几帳面で、かならずそつなく予備を置いている。
あちこちガサゴソと探って、ようやく戸棚の奥に小麦粉の入った袋を見つけた。と、その傍らに紅茶の缶がある。
──なんでこんな所に?
紅茶はいつも使いやすい様に、棚の上に置かれていた。
小麦粉の入った袋とともに、それも引っ張り出す。小ぶりな缶を手に持って振って見ると、カサコソと茶葉ではない音がした。
──なんだろう?
不思議に思って蓋を開ければ、中に小さな袋が入っている。中身はずいぶん減っているようで、中で小さく折りたたまれていた。
気になって取り出せば、外袋に貼ってあるラベルに目が行く。その文字を目にして、言葉を失った。
「─…」
それは、小動物避けによく使われる薬だったからだ。薬局に行けば、誰でも簡単に手に入れることができる。それが小麦粉の袋の傍に置かれていた──。
別にこれが納屋や台所の隅に置かれていたなら、気にはしなかったのだが。
「……っ」
冷たい汗が頬をつたう。
以前、ブルーナが言った言葉を思い出した。
リーマが善なのか悪なのか、判断するために、またこの任についたのだと。
ブルーナは大切な妹をリーマのせいで失っている。その恨みを、早々忘れるはずがないのだ。
この薬は無味無臭だ。小麦粉に含ませても気づくことなどない。毎日、少量含ませれば、不審がられることもなく弱り、体調を崩したと思うだけだろう。
ふと、そこで窓辺で死んでいた野鳥を思い出した。いつも、マレの食べきれなかったパンを与えていたのだ。
──死んだのは──寒さのせいじゃない。
思わず、その場へ倒れこみそうになり、調理台に手をついた。
これは、目にしていいものではなかったのだ。小麦粉の袋とともに、また同じようにあった場所に終い直す。
他に取り出した材料も、元の場所へと戻した。
──作るときは、ブルーナに尋ねてからにしないと…。
そう言えば、いつもお菓子を焼く際、必要な分量をブルーナが分けてくれていた。
気遣いをありがたいと思っていたが、それは、薬の存在にきづかれないためだったのだろうか。
ブルーナの暗い思いに気づき、愕然とするとともに、それは至極当然のことなのだと思った。
憎い仇が目の前にいて、のうのうと生き延びている。それは許せはしないだろう。
──それを僕は……。
なんて能天気だったのか。愛しいものを失った気持ちを、分からないはずがないのに。
すっかりブルーナは自分を許したのだと思い込んでいた。信頼さえしていたのだ。自分の浅はかさを呪った。
「…っ」
目の端に浮かんだ涙を手の甲で拭き取ると、そこを後にする。
──なにもかも、見なかったことにしよう。
ブルーナには、やはり悪に映ったのだろう。それも仕方ない。ブルーナの思いはよくわかる。
魂はマレでも、この身体はリーマだ。リーマの仕打ちを思えば、ブルーナの思いを受け止めるのは当たり前で。ここまで生かされたことを、逆に感謝すべきなのだろう。
──けど、辛いな。
今のマレにとって、ブルーナは唯一の、信頼の置ける人物になっていたのだから。




