30.移送
そのまま、ろくに眠ることもできず朝を迎え、再び馬車へと乗せられ移送された。
行き先は以前いた屋敷だ。民家とも言えるそこは、出て行った時と何も変りない。
数日の間のことだ。早々変わることもないのだろう。
門扉が固く閉ざされると、馬車を降ろされる。行きと同じ様に警備にあたったサイアンは、今度は何も指示を出さなかった。
代わりに警備隊の副隊長が、今後の扱いについて簡単に説明する。それは以前と変わらぬ内容で、特筆すべきものはなかった。
行き来できるのはこの施設の中のみ。必要最低限の質素な生活、法典や教典、辞書のみ閲覧可で、ほかに遊興品は許されなかった。
刃物は基本的に持ってはならず、必要な場合は必ず申請し、許可が下りた後、監視員の指導のもと使用可能とされた。
外部との接触は不可で、外部のものが要求し、認められた場合のみ、監視員を通じて接触が許される。直接の面会は不可だった。
今後、この規則がより厳しいものになる事はあっても、緩和される事はないと言われる。
ここへ生きて帰るつもりはなかった為、そう言われても落胆することはなかった。
説明後、手首の拘束が解かれた。なんの感慨もなくそれを見つめる。
──どうしようか。
そんな思いが頭の中を占める。
──生かされた事に意味はあるのか。
一通りの説明が終わると、初めてここへ来た時と同じように、サイアンと衛兵は見張りを門の外へ残し去っていった。
その間、一度たりとも、サイアンと目が合うことはなかった。去って行く金の髪を虚しく目で追う。
──意味は、ある。
罪を償うため、残りの人生を淡々と生きて行くこと。失った命を思い、自らの過ちを悔いる人生を生きることが、リーマに課せられた事なのかも知れない。
──でも、僕はマレだ。
ただ、大好きな人と、一緒にいたかっただけ。共に生きたいと、願っただけだった。
──それが。
短く切った黒髪が、風に舞い上がる。
──これが現実だ。
冷たい風に背を押されるようにして、家の中に入ろうと一歩踏み出した所で、玄関の扉が先に開いた。
「…リーマ様」
聞き覚えのある声が正面からかけられる。
驚いて顔を上げれば、開いた扉の向こうにブルーナが立っていた。以前と同じ、黒髪
落ち着いた眼差しに懐かしさを覚えるが。
「……どうして?」
──ここにいるのだろう。
すると、ブルーナは僅かに笑んでみせ。
「引き続き、監視と世話係を務めさせていただきます。…得手ではないですが」
「……僕を、恨んでいるんだろう? ──ラクテウス卿から聞いた…」
リーマのせいで妹は命を落としたのだ。酷い話しだった。しかし──。
「…お聞きになりましたか」
ブルーナはため息をついたあと、こちらをまっすぐな眼差しで見返し。
「確かに、いまだ許せるものではありません。ただ──」
「……ただ?」
「あなたは私が聞き知っていた人物像とまったく重ならない。サイアン様にはそれも手の内だと諭されましたが…。私にはどうにも判断がつかないのです。あなたは憎い敵だ。──けれど、身近で見ていたあなたは、憎むべき要素が見当たらない…。私もそう人の気質を見誤らないと自負しております。その私が迷う…。いったいあなたが善人なのか悪人なのか、それを見定めたく、再度、この任に就かせていただきました」
「…そうか」
悪人と判断すれば、どうなるのだろう。ふと思ったが、それは口にしなかった。
「今後、人の入れ替わりがある可能性もありますが、当分は私が担当となります」
「ありがとう。──よろしく。ブルーナ…」
礼を言って中へ入ろうとすれば。
「…頬が」
ブルーナがそっと左の頬にふれてきた。チリと痛みが走って、打たれた頬が腫れていたのだと気づく。
サイアンに打たれた頬だ。もう二度と、彼のもとに帰る事は出来ない。そう思うと、たまらなくなった。
「……っ」
枯れたと思っていた涙が、再び目の端に盛り上がり、頬を流れ落ちていく。
「──手当てをしましょう」
ブルーナは何も言わず、そっと背に腕を回すと、支ええる様にして中へと入った。
✢
──許せない。
ただ、それだけだった。
マレだけが知る、あの子守唄を歌ってまで、命乞いをするなど。
──同情を誘おうと言うのか。
サイアンは確かに、リーマの命を奪うため、あの地下牢を訪れた。周囲のものも承知の上だっただろう。だから、何も言わずにサイアンを通した。
それなのに、返り血も浴びずそこを出てきたサイアンを見て、みな驚いた様子だった。
多かれ少なかれ、リーマにいい印象をもってはいない。中には知り合いや家族を奪われた者もいる。
手に掛けると知って、反対するものなど、いなかっただろう。
──しかし、手が下せなかった。
マレが止めた。自分の中にある良心だ。
──マレ…。
あの時。なぜかリーマの瞳がマレのそれと重なった。それで、手が下せなかったのだ。
あれは、マレが止めろと、そう言いたかったのだろう。そう思った。でなければ、憎いリーマとマレのそれを同じものと捉えるわけがない。
──奴には、二度と自由などやらない。
マレの生きるはずだった未来を、奪ったのだから。
サイアンはそれを固く誓った。
✢
「あれは偽りだ」
移送の前、城内にあるサイアンの自室に呼ばれたブルーナは、リーマの様子について伝えた際、そう口にした。
「──偽り、ですか?」
「そうだ。奴がそんな愁傷な人間ではないことは承知済み。なにもかも、欺くために取っている行動だ。奴を甘く見るな…。現にあれほど奴を憎んでいた卿を籠絡しただろう?」
それまで窓辺に立って、こちらに背を向けていたサイアンが振り返る。
金糸が陽射しをうけキラと輝く。眩しいばかりの容貌だが、今はその表情に以前の陽光のような明るさはない。
今あるのは怜悧な冷たい光のみ。眼差しはどこまでも凍てついていた。
「しかし…」
「卿は今回も、この任を志願したとか。それは、奴への同情からか? ──少しでも温情をかけようと言うのなら、この任を解く」
「いえ。そのようなつもりは──」
「奴を憎むお前だからこそ、この任を与えたのだ。その場で斬り殺した所で、誰にも文句は言わせない。──いや、言うものなどいない。いくら王が退位したとはいえ、被害を被った者からすれば、生涯の幽閉など、ぬるすぎるのだから…」
サイアンは拳を握り締めた。顔色は怒りの為に蒼白となっている。
「──私は、直ぐ手に掛けるつもりはございません」
サイアンが冷えた一瞥をブルーナに向ける。
「私にもう一度、善悪の判断をする機会をいただきたいと思い、志願したのです」
「善だと判断したらどうするつもりだ? 奴を解放しろと訴えるか? ──被害者であるお前がそう言えば、少しは効果がありそうだな? ──だが、許さない」
「閣下に、一緒に過ごせとは申しません。…ですが、どうしても違和感をぬぐえないのです…。その違和感のありかを知りたいのです。──ただ、私にとって妹の仇というのは変わりありません。このまま何もせず、生かすつもりはございません…」
その言葉にサイアンはブルーナを見つめ。
「──なら許可しよう。行って、満足が行くまで確かめてくるがいい。──だが、得心がいったあかつきには、選択を間違えるなよ…」
「は…」
ブルーナは目礼でそれに答えた。




