2.出会い
「サイアン──」
その日、自室で勉強中、父親に呼ばれたサイアンは、呼びに来た執事と共に階下の客間へと向かった。
執事が扉を開けた向こう、光の差す室内に父親ラーゴの他にもうひとり、小柄な姿が見える。
眩しさに目がなれず、何度か瞬かせて目をこらせば、父の陰に隠れるように所在なげに立つ、銀色の髪と褐色の肌をもつ少年がいた。目は鳶色だ。
「ルボルの息子のマレだ。今まで何度か会ったこともあるだろうが、今日から正式にうちに迎える。今年で七才だ。弟ができたと思ってかわいがってやれ。仲良くな?」
──マレ。
父の親友でもあった、不幸にもせんだっての戦で命を落とした部下ルボルの息子。
マレにはこの屋敷で催した晩餐会で、何度か顔をあわせてはいた。けれど、かなりの人見知りで、ルボルの傍から離れようとせず。それで、ちゃんと話した事はない。
サイアンは進み出ると、右手を差し出し、
「こんにちは、マレ。僕はサイアンだよ。よろしく──」
マレは差し出された手に、困惑したようにラーゴを見上げた。ラーゴは笑ってその頭を撫でると、
「息子のサイアンだ。十四才になる。兄だと思って存分に甘えていいぞ?」
「……」
ラーゴの言葉に、おずおずと視線をサイアンへと戻し、
「…マレです…。よろしく、お願いします…」
消え入りそうな声でそう口にして、手を差し出して来た。その手を握ろうとして、サイアンは一瞬、眉をひそめる。
小さな手はあかぎれ、所々ひび割れていたからだ。しもやけもある。
後で知った事だが、父親とふたりきりの生活だったため、家事も手伝っていたらしい。そのせいで、貴族の子のように傷一つない手、というわけにはいかないようだった。
改めてその小さな手をそっと握り返すと、かすかに震えているのに気がついた。
──怖いんだな。
父親を亡くし、突然、こんな見知らぬものだらけの屋敷へ連れてこられれば、緊張や恐怖で怯えるのも仕方ない。サイアンはできる限り、優しい笑みを浮かべると。
「マレ、怖がらなくても大丈夫だよ? 僕がずっと傍で面倒をみるからね?」
マレは小さく頷いて見せた。
しかし、マレは相当の人見知りで、ラーゴ以外、サイアンほか、家の者達は打ち解けるまでかなりの時間を要した。
マレは我儘などひとつも言わないが、どう声をかけても、ずっと部屋の片隅でじっとしているのだ。
無理に庭や遠出に連れ出しても、カチンコチンに固まって、歩き出しても右手右足が同時に出る始末で。出したお菓子やお茶もほんの僅か、口をつける程度。
この年のこどもにある、無邪気さや遠慮のなさがまったくない。もともとの性格もあるだろうが、父親の死とともに、どこかへ置き忘れてきてしまった感がある。
唯一、ラーゴと一緒の時だけ、表情が和らぐが、早々、ラーゴもマレにかまってはいられない。騎士団団長としての用務があるからだ。
とにかく、気が気でないのだが、心配して声をかければかけるほど、緊張して頑なになってしまう。どうしたものかと気をもむ日々が続いていた。
✢
そんなある日。夕食後、就寝前のあいさつを言いに、マレの寝室へと向かえば、
「──父さん。それ…」
「ああ、眠ったらしいな…」
ラーゴはどこか照れ臭そうに笑んで見せた。ラーゴはソファに座っていたのだが、マレがその膝に乗り上げ、丸くなってすっかり寝入っていたのだ。
マレは父ラーゴにだけは緊張を解いている。よくルボルの家を訪れていたせいもあるのだろう。それに、年格好の近いラーゴに、亡き父の姿を重ねているのかもしれない。
皆の目のあるところではこんな姿を見せたことがない。うたた寝でさえ、緊張してできないでいるくらいなのだから。
「様子を見に来たんだが、寝付けないようでな。あいにく、子どもに話せる様な昔話は知らない。それで、プルウィラがお前によく歌っていた子守唄を歌ったんだ。──そしたら」
そう言って視線を眠るマレの顔に落とした。プルウィラとは母の名だ。サイアンが十歳の時にはやり病で亡くなった。
子守唄、といっても鼻歌で、それはプルウィラの創作だった。
時折、調子を外したものの、とても綺麗な旋律で。けれど、どこか物悲しくもあり。それでも聞いていると落ち着いて、いつしか眠りについたものだった。
サイアンはそっとその傍らに近寄り、マレの顔を覗き込む。起きているときはこんな傍まで近付くことができないのだ。
隣に座っただけで、まるで石のように緊張して硬くなってしまう。会話もできなくなるため、仕方なく少し距離をとって話しかけるようにしているくらいで。
「…眠れてよかった」
「だな。──そうだ、明日からはお前が歌ってやってはどうだ?」
「僕が?」
「ああ。これを機会にして、な?」
ラーゴも皆が苦労しているのは知っている。そこで、サイアンに子守唄を──とラーゴは提案してきたのだ。
──いい機会、なのかもしれない。
父の言う通り、これがきっかけで少し近づけるのではと思えた。打ち解ければ、ラーゴのみを頼る必要はなくなる。
「分かりました。明日、様子を見てみます」
「そうか。マレには黙っていよう。言えばきっと緊張してしまうからな?」
「はい」
そう言ってから、すやすやと寝息を立てるマレに目を落とした。
薄くピンク色に色付いた頬が年相応で可愛い。微笑めば、きっともっと可愛いはずだった。
✢
そうして、次の日の夜。
前夜と同じように父ラーゴが来るのを待っていたマレは、サイアンが先に訪れたことを不思議に思っている様子だった。
まさかサイアンがその代わりとは、思ってもみないだろう。サイアンは、ベッドに休むマレの傍まで来ると、お休みの代わりに尋ねた。
「マレ、少しお話をしても?」
「……はい」
か細い声が震えているのに気づく。
マレがここへきて数週間が経つ。なのに、いまだ慣れずここまで緊張するのはどうしてなのか。それでも、無理にそれを探るようなことはせず、そっとそのベッドサイドに腰かけると。
「僕にはね。十歳まで母上がいたんだ。マレと同じように今はいないけどね…。その母上がいつも寝る前に歌ってくれた唄があるんだ。──マレも昨日、父上から聞いたよね?」
すると、マレがあっと、声を上げずに口の形を変えた。
「あれはね、母上が作ったものなんだ。時々、調子を外したけど、とても楽しそうに歌ってた…。僕と父上しか知らない、大切な唄なんだ。父上は寝付けないマレに歌ってあげたんだってね? マレがよく眠ってくれたって、とても嬉しそうだったよ?」
「……」
「ね、それを僕がここで歌ってもいい?」
そこで、マレに顔を向けた。マレはピクと身体を揺らし、こちらを見上げてきた。
「マレが僕と同じように、すっかり安らいで眠れるなら、いいなって思うんだ。僕の歌声だって、父上には負けないよ?」
「……」
マレが緊張にすっかり身体を固くしているのが分かった。まるで野生のネコの様。
普段ならここでひいてしまうが、今日は父ラーゴの後押しもある。覚悟を決めて、布団の上に置かれたマレの小さな手を取った。
ビクリと肩を揺らす。それに気付かないふりをして。
「じゃあ、歌うね──」
そう言って、鼻歌で旋律のみのそれを歌った。マレがどうしているかはあえて見ずに。見ればきっと緊張するからだ。
そうして、一節歌い終えた所で、こつり、と確かな重みがサイアンの肩に加わった。
「──マレ?」
傍らを見ると、マレの頭が肩の辺りに当たっている。その目はすっかり閉じていた。
──眠った。
くすと笑んで、マレをベッドの中へ横たえると、自分も傍らで横になった。そうして、唄をまた歌う。起こさない程度の声量で、手は握りしめたまま。
その小さな温もりはとても温かく、尊いものに思えた。




