28.使者
その日は朝から雨が降っていた。
おかげでいつもの庭仕事はできない。
しとしとと冷たい小雨が降り続く中、すっかり季節は秋へと衣替えし、手入れをした庭の草花も枯れるものがあった。
代わりに庭木が色づく。赤や黄、橙色に変わっていくのを見るのは楽しい。秋にも秋の色があるのだ。
窓辺にもってきた椅子に座り、自室で読みかけの本を手に、その様子を眺めていれば。
「…リーマ様」
ブルーナが扉の向こうから声をかけてきた。
「どうぞ。入って」
すると、表情を硬くしたブルーナが、部屋へ顔を出す。それだけで、良くない知らせなのだとわかった。
「──城からの使者が、午後に到着すると連絡がありました」
「そう…」
とうとう、判決が決まったのだ。使者が来るとは、そう言う事だった。ずんと、心の奥が重くなる。
「準備をさせていただきます…」
「──いいよ。ブルーナ」
「リーマ様?」
椅子から降りると、手にしていた本を閉じ、それをブルーナへと差し出した。
「──もう、この本も読み終えていたんだ。ありがとう。色々無理を言って済まなかったね…。ここに来てからずっとそうだった。それを全部叶えてくれて…。最後に一緒にいられたのがブルーナで良かったよ。…ありがとう」
「リーマ様…」
「準備はなにもいらない。もう寒いからローブがひとつあれば十分だよ。新しいのでなくて、いつものでいい。どうせ途中で取りあげられてしまうんだから…。ここも少し片づけておくよ。あとは残していくことになるけれど…。最後まで面倒をかけてごめん」
「…いえ」
「ブルーナは仕事に戻っていいよ」
「──では…」
退室するブルーナの背を見送ったあと、ふうと息を吐いたと同時、涙が頬を伝って落ちて行った。
「…っ…」
なんだろう。とても悲しい。
最後まで、サイアンには何も伝えられずに、終わるなんて。
──ああでも、最後にできることがある…。
部屋の片づけを簡単に済ませると、マレは備え付けの机に座って手紙をしたためた。
✢
お昼過ぎ、城からの使者が到着した。
エントランスホールは物々しい雰囲気に包まれる。使者とは名ばかり、来たのは王宮仕えの兵士達だった。
すっかり武装したその様子は、罪の重さを物語っている様で。先頭にいるのはもちろん、司令官のサイアンだ。
マレがエントランスに向かうと、すぐさまサイアンが処遇を伝える。
「リーマ・グラシアール、これから貴殿を裁判所へ連行する。──危険物がないか確認しろ」
「は」
命じられ部下がすぐに、身体に何か潜ませていないか確認した。それが済むと、来た時と同じように、前で手が組まれ縛り上げられる。
その様子を、サイアンはただ黙って冷めた眼差しで見ていた。その表情からは感情を読み取ることはできない。
──サイアン…。
最後にブルーナがそっと肩にローブをかけてくれた。直前までストーブにかざしていたのか、ほんのりと温かい。そこに、ブルーナの優しさを感じた。マレは背後を振り返り。
「…ブルーナ。ありがとう」
それだけを笑んで告げた。ブルーナは軽く会釈して見せる。
──これで、終わりだ。
書いた手紙は二通。全てブルーナに託した。
一通は、自身の刑が決まったら、サイアン・ラクテウスに渡して欲しいと頼んである。多分、極刑だろう。
署名しなかった。けれど、字体を身れば、それが『マレ』からだと分かるはず。
そこには、今までの感謝をしたためてある。
初めて出会った時から今まで。ラクテウス家に引き取られ、ずっと幸せだったこと。サイアンに出会い、愛されたことがどんなに恵まれていたか。最後の時まで、それは変わらないと。
──愛している。サイアン。
読んでくれるのかは分からない。死者からの手紙など、ふざけているのかと、その場で破り捨ててしまうかもしれない。
それでも、これが今のマレのできる最大限のことで。
もう一通は、もしもを考えて書いたものだ。極刑となれば必要ない。そうなった場合、ブルーナには処分して欲しいと頼んである。
書いたことで、気持ちは少し落ち着いた。
馬車に乗り込む前、傍らに立つサイアンをちらと盗み見る。
冷めた眼差しは変わらない。その裏にどんなにリーマを恨み、マレを想っていたかが伺える。
──あなたをこんな目にあわせたのは、僕にも責任がある。あなたはもっと笑顔が似合う人なのに…。僕が無理を言って、期間を延ばしたばかりに──。
もっとずっと、長くサイアンといられるのだと思っていた。こんなふうに人生とは、終わってしまうものなのだろうか。それでも──。
──あなたに出会えて、僕は幸せだった。
✢
連れて行かれたのは、王宮の地下にある牢獄だった。
暗くじめじめとして、それだけでも陰鬱な気分になる。王族だと言う事で、独房に連れて行かれた。他の牢獄とも隔てられている。
通されたそこは空気穴があるばかりで、窓など一つもなかった。周囲はすべて固い岩で作られていて、鉄製の格子がこちらとあちらを隔てている。
中には用を足すように壺がおかれているだけだ。寝具などはなにもない。直に石の上に横になるしかないのだろう。
手の拘束は解かれたが、今度は鉄製の足枷をつけられた。牢獄の壁に繋がれたそれは、簡単に逃げ出せないようになっている。
「ここで明日の法廷までいてもらう。──監視を怠るな」
「は」
部下にそう命じると、サイアンは踵を返して出ていった。
この牢獄の出入り口にはもう一つ重い鉄扉があって、格子の外には衛兵が二人、槍を手に待機している。警備は厳重だった。
逃げる気など毛頭ないが、これを見ればその気も失せるだろう。
他にはカビの匂いと、汚物の匂い。錆びた鉄の匂いが混じり、悪臭を放っていた。石でできた床は、どこもじめじめしていて、座ればきっとそこから直に寒さが伝わって来るだろう。
それでも立ち尽くしているわけにも行かない。肩に羽織らされたローブはすでに取り払われ、薄いシャツ一枚だった。
秋も深まるこの季節、それだけではかなり冷える。しかもここは日も差さない地下牢だ。
空気穴からは終始冷たい風が吹き付けている。が、その仕打ちも仕方ないと受け入れていた。それ相応のことを、リーマはしてきたのだから。
──当たり前だ…。
力なく自嘲の笑みをこぼした。
その風が一番吹き付けない場所、なんとか乾いていそうな床に腰を下ろす。
隣は鉄製の格子だ。片足が壁面と鎖で繋がっていて、動くたびに鉄の鎖が音を立てた。音がするたび、衛兵がこちらに視線を向けてくる。
髪を切ったことを後悔した。こんな場所では、髪が首筋を隠していた方が暖かかっただろうに。
──そこまで、思いつかなかったな。
少しだけ笑って、膝を抱え頭を伏せる。髪を切った時を思い出したからだ。お世辞抜きでブルーナは切るのが上手だった。せめて、最後の時間をブルーナと過ごせたのが唯一の救いだっただろう。
できるだけ、身体を丸めて寒さから身を守る。
──でも、じきにこんな必要もなくなるんだ。
暑さも寒さも、何も感じない世界へ行くのだろう。
せめて、想像の中だけでも、幸せだったころに包まれていたかった。
ルボルと暮らした幼い頃、そして、サイアンとともに生きた日々。それを一つ一つ、思い出しながら目を閉じた。
✢
──あれは、リーマか?
地下牢を出たあと、任務に戻るため、騎士団の執務室へと向かっていた。
サイアンは、久しぶりに幽閉されていたリーマと会い、驚きを隠せなかった。もちろん、表情などには出さなかったが。
身に着けているものはかなりくたびれ、褪せている。確かに高価なものは与えなかったが、以前のリーマなら、こういう時こそ、王子の矜持として美しく着飾ろうとしただろう。それなのに、肩にかけられたローブも普段使いのもののようで。
長く艷やかだった髪は短く切られ赤茶け、細い首筋が見えていた。その首筋、シャツからのぞく手、顔に至るまで、すっかり日に焼けている。指先はすっかり黒ずんで、ささくれていた。
まるで以前のリーマとは別人だった。
人が変ったわけではない。なのに雰囲気や面差しが異なっている。
そう感じる一番の原因は表情だ。
以前のように人を凍る様な冷たい目で見ることはなく、眼差しが柔らかい。憂いを帯びてはいるが、どこか微笑を浮かべている様な。人を見下すような視線はどこにもなかった。
──ブルーナの報告でも、その変化は感じていたが。
自身の身支度のみならず、幽閉先の家屋の掃除を進んでやっていると聞いていた。自室から始まり建物の隅々まで。しかも、庭先の手入れまで始めたと言う。
確かにここへ当初訪れた時とは、庭も家の中も見違えるようにこざっぱりとし、居心地のいい場所となっていた。
建物の古さは否めないが、丁寧な暮らしぶりがうかがえる。
──まるで、以前、マレの暮らしていた家の様だった…。
古いけれど、手入れの行き届いた家は、とても居心地がよく。窓から入り込むすきまかぜも、軋む床も。なにもかもその家の一部で、愛おしいものと感じられた。
しかし、そこまで考えて首を振る。
──マレと重ねるなど、どうかしている。
そうなのだ。リーマはマレを失う原因を作った男なのだ。どんなに改心した素振りを見せた所で、過去は帳消しになどならない。
いくら善行を積んでも、失ったものは戻っては来ない。自分のした責を負う義務がある。
──奴は、マレを奪った張本人。
生かすことなど容認できなかった。できればこの手で斬り捨てたい所だったが、そうもいかない。それなら、きっちりと裁判で裁かれ、法の下で手を下すのみ。
失った命の数々を想えば、極刑は免れない。
──例え王族と言えども。
過去に例はないが、だとしたら、これが初となるのだろう。たとえ、極刑となったとしても、この気持ちが晴れることなどないが。
──マレ…。
視線の先を、笑うマレが手を差し伸べてくる。
もう、二度とこの手に戻って来ることはない。一生、この寂しさを抱えて生きていくのだろう。マレと過ごしたあの日々を胸に。
「……っ」
唇を噛みしめ、俯きかけた顔を上げると、再び歩き出す。
今はただ、冷静に判決を待つ、それだけだった。
✢
「極刑──という、声もありますが…」
時は遡り、王レマンゾが宰相と皇太子を呼び出した日に戻る。
それは、密かにもたれた会議だった。
レマンゾと同じテーブルに着いた宰相が低い声でそう口にしたが、言ってから首を振ると。
「──しかし、仮にも王族です。流石にそこまでは…」
レマンゾは深いため息をついたあと、
「リーマをあのように育てた責任は私にある…。だが、やはり命を奪うことはできない。あれは…第一王妃の唯一の希望だった…」
「しかし、何も断じない分けにはいかないでしょう。リーマの行いにより、これまで、あまたの命が失われてきたのですから」
皇太子である、第一王子トレンテがそう口にした。
直に手を下さずとも、命を絶たれるような目に遭わされた者も数多くいたのだ。宰相は暫く思慮したのち、
「──すぐに処罰が決まらないのであれば、当分の間、幽閉が妥当かと…。屋敷も財産も没収し、僻地へと送る。そこまでせねば、民も騎士団も収まりません」
「収まらぬ、か…」
レマンゾは肩を落とす。トレンテはそんな父王をはげますように。
「今は時を待つしか。改めて詮議し、処罰を決定する。──時間が経てば、皆の気持ちも少しは収まるかも知れません」
しかし、レマンゾは首を振ると、
「……いや。無理だろう。おまえの言った通り、リーマの犯した罪はあまりにも多すぎる…。しかし、やはり極刑は避けたい」
そう言って、しばし沈黙したのち。
「──私が退位することでその責任を取ろう」
「王! しかし、それはあまりにも──」
宰相が制止の声をあげたが。
「──いいのだ。そうまでせねば、リーマの極刑は免れぬ。正しい道に導くことができなかった私のせめてもの罪滅ぼしだ。次期王に、トレンテお前を指名する。あとを頼んだぞ」
「……わかりました」
「リーマの罪に対する詮議が終わり次第、宣言する。ひと月はあるだろう。その間に準備を整えよ」
「──は…」
宰相は深々と頭を垂れた。
それで、王レマンゾは王位を退き、隠居することが内密に決まった。




