27.櫛
──許さない。
そのころ、まだ青の騎士団に所属していたブルーナは、事態を知り怒りで身体が打ち震えた。今すぐにでもその男を、リーマを剣で斬り捨てたかった。
──自分はどうなってもいい。このまま終わらせるわけにはいかない。
ブルーナの必死の願いと調べで、クラルスに手を出した男を捕らえ、牢獄へと送ることに成功した。
──あとはリーマだけ。
捨て身で刺し違える覚悟でいた。
そうして機会を伺っていれば、ラクテウス家を巻き込む事件が起こったのだ。
ラクテウス家は自身が所属する青の騎士団の、団長を務める家系だ。そこの養子マレが、不幸な事故によって命を落としたのだ。
そこに絡んでいたのは第四王子リーマで。
それをきっかけに各所から訴えが上がり、リーマはそれまでの数々の悪事を暴かれ、とうとう捕縛されるに至った。
この仕事の話が持ち上がった際、直ぐに手をあげた。騎士の身分を捨てることなど苦でもなく。ただ、復讐を果たしたい、それだけだった。隙があれば、自ら手を下すつもりでいたのだ。
だが、それを察知したサイアンに、行動に移す事を止められた。
すでにブルーナの身内に起こった不幸は知られていて。そこへ、騎士団を除隊して手をあげたとあれば、目的など一目瞭然なのだろう。
サイアン自身も、愛しい者を奪われ思う所があるようで、この一件は自身に預けて欲しいと懇願された。
それで、仕方なく剣を収め、従者として傍に控える事だけにとどめたのだ。
それでも、その動向をつぶさに監視し、もし、逃げ出そうとすれば、その時こそはサイアンの意を無視してでも、有無を言わさず斬り捨てるつもりだった。
しかし、初めて間近でリーマを見た時、その佇まいに違和感を感じたのだ。
見た目は幾度か遠目から見たことのある、容姿そのままだったのだが、その表情が思っていたものと異なっていたのだ。
こわばり蒼白い顔色をしていたものの、憂いに溢れた表情をしている。自身の置かれた状況を理解し、覚悟を決めている、そう思えた。
一方、サイアンの方は、そんなことなどお構いなしに、一貫して冷たい態度を貫いていたが。
リーマのささいな表情など、気にも留めていない様子で。たとえ、目に入ったとしても、それはすり抜けていくのだろう。
リーマはすべてに遠慮深く、なにをするにもこちらに了解を求めてきた。身の回りも、食事以外はすべて自分でこなしている。
それを苦ともしてないのだ。何かあれば、ブルーナを気遣い、無理を言ってすまないと口にする。
助かるために、ブルーナへの印象を良くして、取り入ろうとしているのか。
──違う。
そう思う。口を開けば、ありがとうと言う。それは自然だ。今までも、ずっとそうしてきたかのように。
──ありえない。あのリーマが。
感謝など、一番遠いところにいた人物だ。人を変える様な、よほどの事があったとしか思えない。
──しかし、あのリーマが心を入れ替える程のこととは?
屋敷にいる間になにかあったのか。それとも、もっと前なのか。ラクテウス家の養子、マレが死亡した事と何か関係しているのか。
だが、死にショックを受けるなど、愁傷な人物ではないはずだ。
──わからない。
ブルーナはため息をつく。
この怒りの矛先は、リーマに向いていたはずなのに。収める気など毛頭なかったのに。
弱っているリーマを見ていると、つい手助けをしてしまう。
もともと身体が弱い所に、あれこれと動き回るからだろう。体力が続かず、身体が悲鳴を上げているのだ。
食事もほとんど取っていないに等しい。ここのところは、パンとスープ、少しの野菜と果物くらいだ。
多めに作ったものを、次の食事に出しても、何も言わずにずっと食べ続けている。出したものに文句を言われたことはなかった。量を減らして欲しいと言われたくらいで。
判決まであと数週間。極刑のみを望んでいる。
──もし、それを免れた時は、この手で。
その思いは変わらない。
変わらないはずなのに、今のリーマと接するにつれ、その気持ちと実際の状況に、ずれが生じてきているのは確かだった。
──生かしておくつもりは、ないというのに。
机の上に置かれた櫛を手に取り、そっと握りしめた。
✢
次の日から、午前中のみ作業とし、午後は休むようにした。
どうもこの身体では無理できないらしく。作業中、邪魔になるからとひとくくりにした髪を、一段落したところで解く。
──この髪、切ってしまおうか。
背中の中ほどまで伸びている。リーマの屋敷にいた頃は、手入れもきちんとされていたから、伸ばしても美しく目に映ったが、今ではすっかり赤茶け、ボサボサとして収まりがつかなくなっている。
それくらいなら、襟足が見えるくらい切ってしまってもいいのかもしれない。
マレでいた時は、サイアンがどうしても切らないで欲しいと言ったため、そのまま伸ばしていた。銀色の髪がもったいないと言うのだ。
自身はどちらでも良かったため、サイアンの希望通り伸ばしていたのだが。今は誰もそんな事は言わない。
──短い方が作業の邪魔にならないし、洗うのも楽だろうな。
ここには井戸もあったが、髪を短くすれば、その分、水を汲む回数も減るだろう。
しかし、切ろうにも刃物を持たせてもらえない。これにはブルーナの許可が必要だった。
台所で昼の準備をしていたブルーナのもとを訪れる。本当は、自室のベルを鳴らせばいいのだが、いままで一度もそれを鳴らしたことはなかった。
自分ごときが、そんなふうに人を呼び出す身分ではないのはわかっていたし、やはり慣れないせいもあったからだ。
一階の台所をのぞけば、ブルーナはこちらに背を向け、調理台で作業している最中だった。
「ブルーナ…」
呼ばれたブルーナはビクリと肩を揺らし、振り返る。声をかけられるとは思っていなかったのだろう。
「はい、なんでしょう?」
「その、髪を…切りたいんだけど…」
「──髪を?」
「うん…。それで、できれば鋏を借りたくて。だめかな?」
「ご自身で切るおつもりで?」
「うん。切ったことはないけど、何とかなるかなって」
すると、ブルーナは軽いため息をついた後、
「ご自身では無理ですよ。私が切りましょう」
「いいの? って、ブルーナは誰かの髪を切ったことがあるの?」
「…昔、妹の髪を」
「そっか。じゃあ、頼んでもいい?」
「…準備をしますので、居間でお待ちください」
「うん。ありがとう。ブルーナ」
ニコと笑んで、言われた通り、居間へと向かう。
──ブルーナが髪を切れてよかった。
自分で切ってもどうにかなるかとは思ったが、やはり若干の不安もある。どんなに残バラになろうとも、自分では見えないのだ。軽くなれば、それでいいと思ったのだが。
──ブルーナは妹さんがいたのか。
きっとブルーナに似て、綺麗な子に違いない。ブルーナはかなり美丈夫な方だった。サイアンとはまた違って、まるで月の光を帯びているような──そんな、雰囲気がある。
そんな事を考えながら、居間のソファに座って待っていると、しばらくしてブルーナが現れた。手にはタオルと大ぶりの布を二枚、鋏を手にしている。
「部屋で切ると髪が散るので、テラスに出ましょうか」
「そっか、そうだね。片づけが大変そうだもの。了解」
言われて椅子を手をかければ、それもブルーナが引き受けてくれた。
「ありがとう」
「いいえ…」
「じゃあ、そこ、開けるね」
テラスへと続く、扉を押して、先にブルーナと椅子を通す。僕はそのあとに続いた。
✢
外は良く晴れていた。風もないため、切った髪もこれなら散らずに済むだろう。
ブルーナはテラスの床に持ってきた布を広げると、その中央付近へ椅子を置くと。
「こちらに座ってください」
「うん」
言われるままそこへ座れば、器用にくるりとマレの首周りにタオルをまき、さらにその上からもう一枚の大ぶりの布で身体を覆った。
「へぇ。そっか。これなら身体にも髪がつかないね?」
「ええ。そうしないと、後で服についた髪がとれませんから」
流石、切ったことがあるだけあった。
ブルーナは続いて、手にした霧吹きで髪を濡らすと櫛で梳かしだす。そうしてから、まだ切らない髪を軽く結って、邪魔にならないようにとめていく。
「器用だね? ブルーナ。凄くなれている…」
「どうでしょう」
「その、妹さんは、今?」
と、そこで梳いていた手がとまる。
「……妹は、一年前に亡くなりました…」
「ごめん! 僕、ぶしつけだったね…。本当…知らないからって…」
「──いいのです。…もう、終わった事ですから」
一呼吸程置いた後、ブルーナははさみを手にして、髪を持ち上げた。
赤茶けた髪はそれでも濡らすと艶が出て昔の面影がある。自慢の黒髪だったのだろうか。現王の髪はブルネット、茶色だった。きっと母方の血なのかもしれない。
「髪は、どれくらいまで?」
「えっと、襟足がみえるくらいまで…。そうしたら、洗うのもすぐに終わるでしょ? いつか短くしてみたいって思ってて…」
「かなり切ることになりますが…。わかりました。暫く、動かないでくださいね」
「うん…」
ジャキ、ジャキっと髪を切り落としていく音が響く。
ブルーナは本当に器用で、迷いなく髪を切り落としていった。気が付けば、顎の下あたりのラインまでの長さになっている。
「──これくらいで、いかがでしょうか?」
そう言って、鏡で見えるように二枚をあわせて見せてくれた。
確かに首筋辺りまで切られている。しかも、まっすぐではなく、きちんと段がつくように切られていた。
「すごい…。思っていた以上だよ。ブルーナ、これで食べていかれるって!」
すると、ブルーナは苦笑してみせ。
「…そこまでは。ただの素人が見よう見まねで切っただけなのですから」
笑ったブルーナを見たのはこれが初めてだった。それを見て、思わずこちらも嬉しくなり。
「そんなことないよ。サイアンだってさすがに──」
「サイアン? ラクテウス家のサイアン様のことですか?」
ブルーナの問いに、はっとして口をつぐむと。
「…ううん。違うよ。違う…サイアンだ」
「そうですか…」
「ありがとう。僕はここを片付けるから。ブルーナ、仕事を中断させてごめん」
「いいえ…」
「これはひとまとめにして、捨てておくね」
「はい…」
それで、ブルーナは家の中へと戻って行った。
──危ない。危ない。僕はリーマなのに。
つい、興奮して我を忘れてしまった。ここでは少し気を許し過ぎているのかもしれない。
──ブルーナしかいないから、つい。
白い布に包まれた髪は真っ黒だ。サイアンの好いてくれた銀の髪ではない。
サイアンもよく切ってくれていた。もちろん、長いのがいいから、少しそろえるだけで。切った髪も勿体ないと取っていたくらいで。
サイアンははじめうまく切れず、ガタガタになってしまい、侍女にたしなめられていたことがあった。
それでも、努力して、最後にはだいぶ綺麗に切りそろえられるようになっていて。
──けれど、僕はどんなにガタガタになっても嬉しくて仕方なかったんだ。
サイアンが自分の事を気にかけてくれることが嬉しくて。髪を褒めてくれるのが嬉しくて。
「……サイアン」
──どうして、こんなことになってしまったのだろう。
くしゃりと、布ごと髪をにぎりしめた。




