24.幽閉生活
馬車はそれから小一時間ほど走り、王都からはかなり離れた森の傍まで来た。
横に幅広い川が蛇行しながらゆったり流れている。遠方に民家の赤い屋根がちらほら見えた。のどかで風光明媚な景色だった。
高い塀を過ぎ、分厚い門扉をくぐった所で馬車が止まった。背後の門扉が固く閉ざされると、衛兵に馬車を降りるように促される。ここが幽閉先なのだろうか。
揺れる馬車にずっと閉じ込められていたせいで、気分が悪かった。酔ったのだろう。昔からそうだった。身体は変わったのに、それは変わらないのだと、心の内で笑ってしまう。
馬車をおり、蒼白い顔をあげれば、そこにあったのは、古びた石造りの建物だった。
二階建てで、どうやら反対側の壁は川に面している様。片側に更に五階ほどの高さの塔がある。取ってつけたようなそれは、かなり異質で目立つ。まるで見張り台のようだった。
建物自体は古く、至る所に枯れたツタが絡まり、庭も似たようなもので。飾りに置かれた石像は朽ちかけ、同じくツタに覆われている。
いわゆる荒れ放題だった。最近、人が住んだ気配はない。
と、衛兵の一人が、マレの手首の拘束をナイフで断ち切った。サイアンの指示だ。ようやく縄が解かれほっと息をつく。
「ここは…?」
痛む手首を撫でながら、思わず口をついてでた言葉に、背後いたサイアンが答えた。
「国で管理している病人を隔離するための施設だ。今は使われていないが…。──ブルーナ」
サイアンが背後に目を転じて、部下の名を呼ぶと、それに応じて一人の長身の男が進み出た。
背はサイアンと同じか少し高いくらい。肩まである黒い髪にグレーがかった緑の瞳。やや俯く顔色は蒼白い。どこか影がある様に思えた。
「この男が当分、身の回りの世話と監視をする」
サイアンの簡潔な紹介に、ブルーナはこちらに目を向ける。そこで初めて目があった。
と、一瞬、冷たい光を放ったように見えたそれは、次にはその色をなくしていた。見間違いだろうか。
「…ブルーナ・ノワールです。以後、お見知りおきを」
そう告げて軽く目礼して見せた。それを引き取ったサイアンが。
「ノワールは世話係と監視を兼ねている。あなたは罪人だ。彼のほか、人はつかない。以前のような贅沢な暮らしは許されない。彼がするのも最低限だ。身の回りのことは自分でするように。以上。──ブルーナ、後を頼んだ」
「は」
ブルーナは目礼でそれに答えた。
サイアンはその後、部下にも屋敷周辺の監視につかせ、そこを後にした。
門の前に二人。周辺を巡回するものが四、五名ほど。
そう大きな建物ではないから人数は必要ないのだろうが、やはり厳重だと思えた。逃げ出すつもりはないが、そうしようとしても一人の力では、到底無理だと思えた。
「では、中へ──」
持ってきた荷物もない。そのまま、先に進んだブルーナの後に続いて屋敷の中に入った。
──屋敷じゃないな。
中に入って、そう思った。
ごく普通の民家だ。一階に炊事場と食堂、居間兼客間、使用人部屋、その他水回りがある。二階が寝室になっている様だった。すると、先に入ったブルーナがこちらへ振り返り。
「お部屋は二階になります。ご案内します」
「はい…」
ブルーナは歩きながら、
「私は階下の部屋を使わせていただきます。用がある際は、お部屋の呼び鈴を鳴らしてください。──とはいっても、急な用の時だけでお願いします。普段の身支度はご自分で。湯あみは階下へ降りてなさるように。洗濯ははじめのうちは私がさせていただきますが、後でお教えしますので、ご自身でなさるように。お食事だけは私が用意させていただきます。ただ、ここでは以前のようなお食事のご用意はできません。かなり簡素なものとなります…」
それなら、大丈夫だと思った。父ルボルと過ごした時に戻るだけ。
「身支度も洗濯も、自分でできるから大丈夫だよ。食事も…」
「──おできになるので?」
ブルーナは驚いて目を見開く。それまで、無表情に近かった顔に、初めて表情が現れた。
いや。リーマはできなかっただろう。けれど、マレはできた。どうせ、ここはブルーナ以外に人の目はない。本来の自分になっても問題ないと思ったのだ。
「一応、できるよ。完璧にじゃないけれど…」
「しかし…。──では、お食事だけは私がご用意させていただきます。指示されたものがあるので…」
「わかったよ。ありがとう、ブルーナ」
「…いえ」
口調は落ち付いていたが、訝しんでいるようだった。
それはそうだろう。蝶よ花よと育てられ、かしずかれるのが当たり前だった王子が、まさか、そんな事ができるとは思わないはずだ。
──でも、これで少し気晴らしになるかな。
見れば屋敷内はどこも荒れていて、室内も掃除が行き届いているとは思えない。やることは多そうだった。
身体を動かしていれば、色々考えないで済む。判決が下るまでの間、ただ、何もせず怯えながら過ごさなくて済みそうだ。
そうと決まれば、ここでぼんやりとしている時間はない。
「この屋敷の敷地内なら、自由にしても問題はないんだね?」
「はい…。ですが、以前のようなふるまいは。私にはあなたの監視の任もあります。手を下すことも許可されています。──それに、籠絡も私には効かないので…」
──ああ、僕が無体を働くと思っているのだろう。
今までのリーマの行いを知っていれば警戒もするはずだ。リーマに仕えていたころ、護衛を身辺に侍らせていたのを思い出す。マレはくすと笑うと。
「…大丈夫だ。そんな事、しないよ」
だって、僕は『マレ』なのだから。
「──わかりました」
やはり、どこか納得のいかない顔のブルーナだったが、そのまま二階の部屋へと案内してくれた。
✢
案内された部屋はそれなりに広い部屋だった。不釣り合いに、部屋の中央にベッドがぽつんと置かれている。あとはクローゼットがひとつ。それだけだった。壁は石造りのまま、床は木が貼られている。
「広いね…」
「ここは以前、病室に使われていたようです。一時は、数十人が寝起きしていたようです」
病人を隔離する為の施設と言っていた。そう言えばと思い出す。
「かなり昔に肺病が流行ったと聞いたことがあったけれど…。その時かな?」
この地方の歴史を習った際に、聞いた気がする。
「そうかと思われます…。もう、八十年は前になるかと」
「それで、こんなに広いのか…」
一人で使うには余りに広い。
「他に部屋は?」
「となりに看護師たちが、控室に使っていた部屋がありますが──」
「そっちの方が、狭くて使い勝手がいいかも知れないね。僕はそっちに行くよ。その方が掃除も楽だろうし」
「ですが…」
「それくらいなら、言いつけを破っても怒られないだろう? 狭い部屋に移るだけだもの。だいたい、僕がここにいるのは僅かな間だろう? その間だけだから…」
判決が下るまでの間だけだ。長くともひと月がせいぜいだろう。なにも広い部屋を使う必要はない。
「…わかりました。許可は取る様に致します」
「わがままを言ってごめん。──でも、その方が楽だと思うんだ。お互いにね」
「はい…」
それから、となりの控室のドアを開けた。
中は隣の広間と続きになっていて、確かに控えの間らしく、こじんまりとしていて、人ひとりで生活するのに丁度いい広さだった。
簡易ベッドと古いクローゼットが置かれている。小さいけれど別室に水場もあった。
「うん。こっちの方がいいね。窓も大きいし。決めた。……で、さっそくなのだけど、掃除をしたいんだ。道具はある?」
「え…? ええ、それは……」
「よかった。この部屋から始めるから、ブルーナは好きにしていて。掃除道具はどこ?」
「──階下に。いまご案内を…」
「ありがとう」
にこと笑んで、先にたったブルーナに礼を言った。
掃除道具は全て揃っていた。ここへ入ることが決まって、簡単に掃除をしたせいだろう。
各部屋は初め見た通り、ざっと掃除しただけで、あちこちに埃と汚れを残していた。
「やりがいがあるな…」
長い黒髪をひとまとめにすると、むんと腕まくりし、早速始める。
自室にはじまり、廊下、隣の広間、廊下に階段、客間と、隅々までハタキをかけ、モップで水ぶきし、箒で掃いた。
蜘蛛の巣、埃がかなりある。埃まみれになりつつ作業を進めた。
僅かと言えども、過ごす場所を快適に過ごしたかったのだ。汚れていれば気持ちもすさむ。
それに、たつ鳥後を濁したくはない。心意気、とでも言うのか。
やはりリーマはそんな人物だったのだと思われるより、少しは感心する所も見せて置きたかったのだ。
──僕はマレでリーマじゃない。
けど、リーマがまったくの悪者として思われるのは、悲しいから。
確かに悪事の限りを尽くした。けれど、リーマにも善の部分はあったのだ。
思い込みから起こった悲劇。それがなければ、互いに思いを伝え合っていれば、その後の悲劇は起きなかったのかもしれない。
──今さら、そんな事を言っても遅いけれど。
その行いに、悲しんだもの、苦しんだものも数多くいる。彼らにしてみれば、どんな理由があるにしろ、許せるものではないのだから。
──ただ、今の僕が残された時間でできることをするだけだ。僕ができる精一杯を。
そうして、掃除を進めた。
✢
結局、掃除は一日では終わらず、数日に渡った。
ブルーナも初めこそ、ずっと様子をついて回って見ていたが、最後には手伝ってもくれるようになっていて。
モップ掛け用の水を変えてくれたり、軽く叩きをかけてくれたり。申し訳なくも思ったが、流石にひとりでは疲労困憊で。かなり手助けとなった。
最後に一階にある塔の入口まで来て、鍵がかかっているのに気付いた。例の見張り台の様な塔だ。
重い木戸のドアノブは、ガチャガチャと音を立てるだけで開く気配はない。
「ブルーナ、ここは入れないの?」
ついてきたブルーナを振り返る。
「はい。そこは…」
「きっと、蜘蛛の巣だらけだと思うんだけど…」
「この塔は、昔、病人が逃げ出さないよう、見張りの為に建てられたとか。上からは、あなたが、そこから身を投じる危険を考え、許可はしないようにと言われております」
「あはは。なるほど…。うん、そうかもしれない。──けど、僕はそんなことしないよ。掃除をするだけだから。その間だけ、開けてもらえないかな? もちろん、ブルーナもついてきてくれれば。──ダメかな?」
この数日の様子を見ていれば、その気がないことは十分わかっているはずだった。ブルーナは暫く考えたのち、
「…いいでしょう。ただし、丁寧に掃除する必要はありません。ここはそう立ち寄りませんから」
「だろうね…。でも、見晴らしはいいだろうなぁ。──って、じゃ、早速開けてもらっても? すぐに終わらせるから」
「わかりました」
建物の鍵はすべてブルーナが持っていて、今もその腰に下げていた束から迷いなく一つを取り出し、鍵穴へと差し込んだ。
回すとガチャリと音がして、重い木戸が動くようになる。
ブルーナがやや力を入れて押すと、ドアがきしんだ音をたてて開いた。
「わぁ…」
見上げた先には細い階段がらせん状に続くのだが、その先、所々にのぞき窓があり、そこから空が見えたのだ。
真っ青な空が切り取られた様にのぞく。
「きれいだなぁ…」
そう呟いた後、はっと我に返り、ブルーナを見た。どこか困った様な顔をしている。
「ごめん! 直ぐ始めるね」
急いで、手にしたはたきをかけ出した。
のんびり景色を楽しんでいる時間はないのだ。せっかくブルーナが約束を破って入れてくれたのだ。手早く済ませるのが礼儀だ。
はたきをかけ、箒で掃き、モップがけをし。それを五階分の高さまでやるのは、少々息が切れた。終わるころには汗だくで。
「ふー…、これでなんとか…」
終わりだ。階下まではきだしたごみを集め、塵とりで受けた後、最後に階段を見上げた。
やはり所々に青空が見える。きっと最上階にある窓からは、素晴らしい景色が広がるのだろう。
と、背後で様子を見守り、時には手伝ってくれたブルーナが。
「せっかくです。上から眺めてみましょう。私がついていれば、問題はないでしょうから」
「やった! ありがとう。ブルーナ」
「…いえ」
ブルーナの言葉に、マレは意気揚々と階段をあがった。ブルーナも後に続く。
息を切らして上がった先、ブルーナが窓を開けてくれた。開けた途端、光が洪水のように差し込む。あまりの眩しさに目を瞬かせ、それから外をのぞいた。
「わ…」
ふわと涼やかな空気が流れ込み、目の前に青空と、その下に広がる森が見えた。こちらは陸側がよく見渡せるようになっている。
続いて反対側もブルーナが開けてくれた。直ぐにその窓際にかけ寄って、景色を眺める。
あまりにはしゃいだせいで、落ちるかと危ぶんだブルーナが手を差し出したほどだ。
こちら側は川の流れる先が見渡せた。蛇行する川がどこまでも続き、遠くに水平線が見えた。こちらは海に続いているようだ。
光を受け銀色にキラキラと輝く水面が、糸のように長く続いている。
「はぁ…。綺麗…」
なぶる風が髪をかき上げていく。それは以前の銀色ではなく黒い髪だ。
なんでこんなことになったのか、本当の所はわからない。分からないけれど、今言えることは、この時を十分感じる事だと思った。
生かされた以上、この身体で感じられることを感じる。できることをする。
難しいことを考えても答えなどでない。それが、ここ数日で出した結論だった。
「…リーマ様、そろそろ」
「あ、うん。ごめんね。つい──。もういいよ。行こう。ありがとう、ブルーナ」
「…いえ」
控えめにそう返事を返すと、ブルーナはそっと窓の扉を閉めていった。




