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月の光に  作者: マン太


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22.夢

 そのあと、また意識を失って。

 次に気が付いた時には、屋敷のベッドに寝かされていた。

 見覚えのある寝室。だが、それはマレの借りていた部屋ではない。

 華やかな唐草模様の彫刻の施された天蓋、薄いカーテンには細かい刺繍が施されている。それは、リーマの世話をするときに目にしていたものだ。


 ──どうして、ここにいるんだろう…。


 ここへ寝かされる理由が分からない。ここで眠れるのは主だけ。マレのはずがない。

 と、目を覚ました気配に気づいたのか、控えていた看護師が声をかけてきた。


「お目覚めですか?」


「…は、い」


 そこで、あれ? と思う。出した声が思っていたよりも低い。水を飲んで咳き込んだせいで枯れたのだろうか。それにしては喉に痛みがない。


「すぐに医師をお呼びします…」


 看護師は別室へと医師を呼びに向かった。

 おかしい。何かが腑に落ちない。そうだ。意識を失う前。おかしな事を耳にした。


(あと、数日後には…帰るはずだったのに…。マレ…)


 ──マレは僕なのに。


 と、にわかに部屋の外がにぎやかになり、慌ただしく医師が入室してきた。


「リーマ様、具合はいかがですか?」


 白髪の医師が鼻眼鏡ごしに、そう言って顔を覗き込んでくる。


 ──なぜ、リーマと呼ぶのだろう。


 そう思いながらも、問いかけに答える。


「…少し、身体が重いくらいで、あとは…。──その、なぜリーマと?」


 すると、医師は片眉を上げて驚いた表情を見せたあと、同じく入室した執事に目を向けた。

 すると、執事はそれに軽く首を振って見せた後、こちらに向け柔らかな笑みを浮かべ。


「あなたはリーマ様です。…先生、少しお記憶が?」


「……そのようですな。診察して、身体に異常がなければ、当分横になっていた方がいい。時間が経てば混乱した記憶も、ただされるでしょう…」


 ──混乱? って、だって。僕はマレだ。間違い様がない。


 本人がそう思うのだ。幾ら時間が経ったところで、変わるはずもないと言うのに。


「そうです、リーマ様はどうなったのですか?」


 すると、執事は諭すような顔つきになって。


「リーマ様はあなた様です。…マレについてお尋ねなら、お答えします。彼は──亡くなりました…」


 そう言った執事の表情に影がさす。


「亡くなった? だって、マレは僕だ。僕は生きてる! なのにどうして? 亡くなったのは、リーマ様では?」


 わけが分からなかった。


「『マレ』は足に岩を挟まれ、溺れたようです。リーマ様がなんとか助け出したようですが…。そのあと、リーマ様もマレと共に流され。リーマ様は助けられましたが、マレは……。残念です」


「そんな……」


 執事の言葉に絶句する。

 するとそれまで聴診器を胸に当て、診察をしていた医師はそれをしまい、改めて執事をみると。


「…やはり、混乱されておられるようですな。これ以上は興奮させない方がよろしいでしょう。お話しは、またあとがよろしいかと…。睡眠薬をご用意いたしますので、眠れないようでしたらそれを。今は安静にするのが一番ですな」


「わかりました…」


 執事は頷き、退出する医師の後に続いた。


「……信じられない」


 ──どうして、僕がリーマだと?


 起きている事態を飲み込めず、ただ混乱するばかりで。

 すると、控えていた侍女が、


「お休みください…」


 そう言って上掛けをかけようとしてくるが、マレはそれを手で制し。


「…そこに、手鏡は?」


「ございますが…」


 いつもベッドわきの棚にそれは置かれていた。美しい銀細工のついた手鏡。


「とってもらえるかな…?」


「はい…。でも、それが済んだらお休みを」


「…わかったよ。──鏡を」


 侍女は仕方ないと言った具合に、棚に置かれていた鏡を手に取り、こちらに差し出してきた。それを震える手で受け取る。美しい銀細工のそれを表に返せば──。


「…うそ…」


 鏡の向こうに映る顔を見つめ、凝視した後、それを思わず伏せた。


 鏡に映っていたのは──。

 濡れ羽色の黒髪に、氷のように冷えたアイスブルーの瞳。

 口元を手で押さえる。信じられない状況を理解しようとするが、無理だった。理解したくとも、理解できない。したくない。

 なぜ、こんなことが起きているのか。これは夢だろうか? 溺れて意識を失くしている自分が見ている夢。


 ──けれど──。


 怖くなって、それ以上、鏡を見ることができなかった。


「リーマ様、御鏡をお預かりいたします。さあ、お休みを…」


 そう言って、侍女がベッドの上に落とされ伏せられた鏡を持っていく。

 周囲の者は、自分を『リーマ』だと言う。でも、自分はマレだ。

 言われるまま、ベッドに横になるが、形ばかりで寝ることなどできず。次に人の気配がするまで、ずっと起きていた。



 その後、しばらくして執事に話を聞くと、ことの次第が知れた。

 どうやら、この屋敷で最近雇った下僕が、リーマを敵視する者たちと通じていたらしい。

 下僕の様子を怪しんだリーマが捕らえて詰問すると、リーマごと橋を爆破し亡き者にしようと計画しているというのだ。

 しかし、リーマの代わりに馬車に乗ったのはマレで。

 マレの家までの道は城へ行く道と重なる。爆薬を仕掛けた橋も当然通ることとなった。

 すでに計画は実行に移されており、馬車に乗って出たのがマレだと知った下僕は、慌てて連絡に走ろうとしたが、そこを捕らえられ。今からではきっと間に合わないだろうと口にした。

 それを聞き、リーマは自身で馬を駆ってマレを追いかけたのだ。

 馬車の方が速度は遅い。一か八かで追いかけ、橋を渡りかけた所に間に合ったらしいのだが、そのまま爆破に巻き込まれ。

 川に馬車ごと落ち、二人とも溺れたのだと言う。

 すぐに無事だった御者や近くにいた村人に助け出されたが、マレは死亡し、リーマはかろうじて息を吹き返した。

 マレはやはり、岩場に足を挟まれたのが良くなかったらしい。


「…それで、『マレ』は?」


 今の状況を理解できないが、周囲にそれをいくら訴えた所で通じるはずもない。外見上は自分は『リーマ』なのだから。

 執事は声音に落胆をにじませながら。


「ラクテウス家が喪主となり、明日、葬儀がとり行われます。式はいかがなされますか? まだ、お身体の加減がよろしくないかと思われますが…」


 執事は行かせたくはないらしい。けれど。


「……行くよ。準備を」


「しかし──」


「大丈夫。…どうしても、会いたいんだ」


「…わかりました」


 そうして、執事は下がった。

 会った所で、サイアンに分かるはずがない。姿はリーマなのだ。

 しかも、リーマの所為でマレが命を落としたと言ってもいい。サイアンにとって憎い仇だ。そんな途方もない話しを信じるはずもない。


 ──それでも、僕は生きている。


 例えこの姿になったとしても、サイアンに会いたかった。マレが死んだ事で、どれほど悲嘆にうちひしがれているか。

 それを思うと胸を突かれるように痛んだ。もし、逆の立場であれば、マレは立ち直れないだろう。


 ──サイアン。どうしても、ひと目会いたいんだ。



 そうして、当日。

 教会で葬儀が行われた。参列者は近親者のみ。マレと生前、親しかったものたちだけだった。

 リーマは出席を望んだが、ラクテウス家からは丁寧に断りの連絡を受けた。身内だけで静かに送りたいから、そう伝えられ。

 しかし、どうしてもサイアンに会いたかったマレは、少し離れた場所に馬車を待たせ、引き留める従者を後にひとり徒歩で向かった。ひと目見て、帰るつもりだった。

 教会の入口の木戸を押すと、丁度、司祭の言葉が終わり、皆がお別れを告げている最中だった。あとは運び出し地中に埋めるだけ。

 やや上段に据えられた壇上に、棺が置かれ、そこに伏すようにしてサイアンが片膝をついていた。周囲からも嗚咽が漏れる。


 ──サイアン。


 美しい金糸は乱れ、顔色は健康からはほど遠い蒼白さを示していて。遠目からもやつれたのが見て取れる。

 今にも走り出して、僕はここにいるのだと叫びたかったが。


「…リーマ様」


 一番後ろに座っていたものが、扉が開いたの気付き、ふりかえった所で、その主をみて僅かに声をもらした。

 見つかってしまった。どうしようかと戸惑っていれば。


「──リーマ…?」


 棺に伏していたサイアンが顔を上げた。

 姿をみとめるや否や、その表情が一変し、険しいものとなる。

 ふらりと棺から立ち上がり、コツコツと靴音を立てながら、石畳の敷かれた寺院の通路をこちらに向かってきた。

 周囲の者が不安げな視線を送る。そして、その手がゆっくりと腰に帯びた剣にかけられた。


「サイアン!」


 気付いたラーゴが声を荒げ、あとを追った。


「貴様──! よくも──! お前のせいで、マレは! マレは…っ。──ここで、叩き斬ってやるっ!」


 すらりと鞘から引き抜かれた刃は、ためらいなく、驚きその場から動けなくなったマレに向けられた。

 振りかざされた剣の先を見つめる。刃のきらめきが美しくもあり、悲しくもあり。


 ──サイアン……。


 涙があふれた。


 ──僕は、ここにいるのに。


 避けなければ殺られる。けれど、そんな事も忘れて、ただ呆然とそれが振り下ろされる様を見つめていた。

 しかし、振りかぶられたそれは、ガン! と音を叩て、動けなくなったマレの肩を掠め、その横に落とされた。石畳にぶつかり火花が散る。


「やめるんだ! サイアン! そんなことをしても、マレは帰らん!」


 背後からラーゴが羽交い絞めにしていた。そのおかげで間一髪、逸れたのだ。

 後を従者や葬儀に参加した隊員が続き、サイアンを押さえる。そのまま、ラーゴはこちらに目を向け。


「リーマ様、今は帰ってください。──お願いします!」


「逃げるな! お前を生かしてはおかない! おまえがっ! おまえが、マレを殺した…っ!」


 サイアンはひきとめられながらも、尚もこちらに食ってかかろうとする。


「……っ」


 石のようにそこへ固まっていたマレを、追いついた従者が引き戻し、教会を後にした。

 そのまま馬車に乗せられ、屋敷へと帰ったが、その後の記憶がない。何か言われても耳に入って来なかった。

 気が付けば寝室で寝かされていて。サイアンの言葉とあの目が忘れられない。

 荒げられた声音、見たことのないこちらを断罪する鋭い眼差し。愛するものを奪われれば、皆そうなるだろう。


 ──愛するもの。


 そう、このリーマはマレが命を失うきっかけとなった。恨まれて当然だ。

 この屋敷に、リーマに仕えなければ、こんな事態にはならなかった。今も、サイアンとラーゴらに囲まれ、日々を楽しく平和に、幸せにつつまれ過ごしていたに違いない。


 ──なのに。


 それを、リーマが奪った。


 ──でも、サイアン。僕はここにいるんだ。


 声にならない叫び。

 しかし、この姿で幾ら訴えた所で、誰も信じないだろう。それを証明してくれるものなど何もないのだから。



 その夜、夢を見た。

 明け方近かったのかもしれない。目覚めた時に朝だと知れたからだ。

 夢の中で、マレは淡く白い光に包まれた場所にいた。どこをみても真っ白。まるで濃い霧の中のようだ。手を伸ばすと、その指先が見えなくなってしまう。

 暫くそんな中を進むと、視線の先に蹲る影を見つけた。


 ──あれは。


 蹲るのはまるで赤子のように丸く身体を縮めた人だった。白い着衣を身につけ眠っている。その姿に見覚えがある。

 黒い髪に、透き通るほど白い肌。


「……リーマ様?」


 目を閉じたままピクリともしない。深く眠りについていた。

 その傍らに膝をつき軽く肩に触れ揺さぶった。──起きない。

 それならと、もう少し強くゆすってみたが──やはり、目覚めなかった。


『起きたくないんだ』


 ──え?


 背後から唐突に聞こえた声に振り返れば、そこにリーマが立っていた。

 まるでヴェールでも被っているように、色が薄く今にも消え入りそうだ。マレと同じように眠る自身を傍らで見下ろしている。


『もう…。ここで眠りにつきたい。あとは──君に任せる…』


 何を言っているのだろう。訝しく思い首をかしげるが。


『君は生きたいと願った。そして私は、君に生きろと願った…。私は人生を終わらせたかったんだ。──未練はない。あとは好きにするといい…』


「どこへいくのですか?」


 リーマは薄く笑うと。


『命が尽きるまで、ここで眠る。それだけだ。君は私の分まで生きてくれ…』


「でも! 生き残ったのはあなただ! 僕は──」


 すると、リーマがそっとその白い指先をマレの唇に押し当てた。ひんやりとした感触が唇に伝わる。


『生は存外、短いものだ。マレ、よく聞け。これからどんなに辛くとも最後まで生き抜け。お前のしたいように生きろ。君なら道を間違えないだろう。勝手を言ってすまない。だが、それで、私も安心して眠りにつける…』


「リーマ様!」


『最後に君に会えて、良かった──』


 それだけ言うと、あとはすうっと白い光に溶けて消えていった。


「待ってください! リーマ様!」


 真っ白な空間に手を伸ばしても、それは空を掴むばかりで。

 振り返って、足元に蹲る人影を見下ろした。それもまたリーマのはずだった。


「リーマ様! 起きてください! リーマ様!」


 必死にその身体を揺すって起こそうとするが、ピクとも動かない。そうしているうちに目覚めた。

 気が付けば、頬に涙が伝っている。

 ぼやける視界に映るのは、美しい装飾の施された天蓋。刺繍の施されたカーテン。否が応でも、現実をつきつけられた。


 ──僕はリーマなのだと。



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