18.手紙
マレからの手紙は日々届いた。
その日、あったことや、したことを事細かに書き記してある。が、どうやら、この手紙をメイドに託している件は、リーマに知られているらしい。
ただ、メイドはそのまま雇われている。このやり取りが途切れれば、ラクテウス家が黙っていないと分かっているため、自由にさせているのだろうと推測できた。
けれどそのためか、マレの記す内容は当たり障りがなく。自身のことより、こちらの心配ばかりしていた。辛いとか帰りたいとか、そんなことは一言も書かれていない。
──マレらしいが。
逆に気になる。だが、正直にはかけないのだろう。もし、書いた内容がリーマに知られた時のことを考えると、無難な内容の方が安心できると判断したのだろう。
この字はマレのもの。誰かがまねて書いたものではない。
──無事でいることは確かだと分かるが。
心配は尽きなかった。ここの所のサイアンは、すっかり笑顔をなくし覇気がない。
マレがリーマのもとに使わされているらしいと、噂が立っていた。皆、サイアンの事情に同情を示している。
ラーゴはそんなサイアンを心配し、王に期間を短くできないかと談判もしたが、やはり無理だと却下された。
かなり絞ってひと月だったのだ。しかも、マレでなければならないときつく言われ。王にリーマを諭すまでの力はなく。結局いいなりにならざるを得なかったのだ。
──あのリーマが、何もしないわけがない。
毎晩、気が気で睡眠もろくに取れずにいた。
そんな中、マレがリーマの屋敷での勤めも半ばを過ぎる頃、リーマの元から手紙が寄こされた。
折り入って相談したい件があると、サイアンを名指しで呼び出してきたのだ。今日の任務が終わり次第、屋敷に来るようにと。
──これは何かある。
ラーゴは渋ったが、その日の任務を終えた後、サイアンは呼び出しに応じた。
何かたくらみがあるとしても、心ははやる。そこにはマレがいるはずだからだ。随分顔を見ていない。リーマの思惑に警戒しつつも、会える事に心が浮き立った。
──手紙にあるように、元気に過ごせていればいいが。
マレへと思いを馳せた。
✢
「サイアン・ラクテウス様がお見えです」
初老の執事が居間で休むリーマに向けてそう告げた。マレはリーマの背後に控えている。
その言葉にハッとするが、リーマは飲んでいた紅茶を優雅な動作でテーブルに置くと、ついと視線をマレに移し、
「君は──そうだな。隣の間で控えていろ。──お前、しっかり見張っていろ。部屋にはいれるな」
「は」
指示された護衛官は、マレの腕や肩を掴み、連れ出そうとする。
「まって下さい!」
すると、リーマはふっと笑んで。
「従者の立場で、主と客人の大切な話し合いに参加できるとでも? 身分をわきまえろ」
「──でも!」
「君は指をくわえて、隣の部屋で様子を伺っているといい。──サイアンが堕ちる様をな」
「考え直してくださいっ! 意思を無視して手に入れようとしても、サイアンは手に入りません! むしろ、余計に孤独になるだけ──」
言いかけた所を、つかつかと歩み寄ってきたリーマがマレの頬をはった。パンと、乾いた音が室内に響く。
「…よくもここまで、私も我慢したものだ。こいつを放すなよ」
「は」
「リーマ様!」
マレは腫れる頬もそのままに、詰め寄ろうとするが、護衛に阻まれる。リーマは振り返りもせず、まるでマレの声など聞こえていないかのように、背を向け。
「連れて行け」
そうとだけ口にした。
✢
屋敷の中はしんとしていた。まるで、すべてのものが訪れるだろう災厄に、今か今かと恐れ息をひそめているかのよう。
サイアンが案内されたのは書斎だった。隣室につながるドアが右手側にある。
部屋の奥に置かれた机は、繊細な彫刻や装飾が施されたもので、男性が使うにしては華美すぎるようにも思えた。
中央には応接用に、ローテーブルと共にソファが置かれている。こちらは大理石でできていて、中央には美しく咲き誇った赤いバラが生けられていた。
その香りか、むせかえるような甘い香りが室内には漂っている。しかし、バラの香りにしてはどこか甘すぎる気もした。
そうこうしていれば、執事が主の来訪を告げる。
「リーマ様がお見えです」
その声に、それまで座っていたソファから立ち上がり、主を迎える。
「サイアン、久しぶりだな? 息災にしていたか?」
ゆったりとした足取りで入ってきたリーマは、華やぐような笑みを浮かべている。
が、それはリーマの気質を知るものが見れば、ただ空恐ろしいものに見えるだけだった。
サイアンは素早く周囲に目を向けたが、マレの姿は見えない。
「…お気遣い恐れ入ります。──それで、本日はどのようなご用件で?」
「マレは隣に控えさせている」
サイアンの問いには答えず、リーマは心の内を見抜いたようにそう口にした。その口元には微笑が浮かんでいたが、目は笑ってはいない。鋭くこちらを見据えていた。
サイアンは思わず、隣へと繋がるドアへと目を向けた。それを見たリーマは声を上げて笑う。
「そんなに恋しいのか? あとで会わせてやろう…。だが、今日の本題はそれではない。いや、関係はあるか…」
そう言うと、中央に置かれたソファに座り、サイアンにも再び座る様に示した。
それにしたがって、サイアンも向かいへと腰を下ろす。その際、視界が揺れた気がしたのは気のせいか。
同時に執事が入室してきて、お茶の準備を整えた。すべて終えると、恭しく首を垂れ退出する。
そこで再び、リーマはサイアンに目をむけ。
「私の日頃の行いが響いているのだろうが、実はまだ従者の後任がみつからなくてな。それに、マレを気に入ってもいる…。ついてはマレの務めを、もうひと月、延ばしたいと思っている。父上にはこれから申告するつもりだ。その間に代わりが見つかれば、すぐにでも帰そう──」
「話しが違います」
言い終わるか終わらないうちに、サイアンは言葉を返す。リーマは悪びれた様子もなく。
「──延びるのはたったもうひと月だ。なにも今後ずっとというわけではない。マレがせっせと送っている手紙で、その無事は確認できているのだろう? ──なら、心配する必要はないと思うが?」
手紙の件を暗に揶揄する。意地の悪い笑みが、口元には浮かんでいた。サイアンはそれを、冷静な眼差しで見返しながら。
「ひと月と言う話しだった為、受けたのです。──もともと、マレは従者の扱いを受けるようなものではございません。ラクテウス家の大事な子息です。それに私のパートナーでもある──。これはご存じかと思いますが」
「そうだったな…」
リーマは顎に手をあて、意味深な笑みを浮かべた。
「おまえの様に秀でた容姿を持ち、武勇に優れた者が、あんな、どこにでもいそうな流民の子を愛でるとは。──意外だった」
リーマはすでに、マレの生い立ちについて調べ上げていたらしい。サイアンはリーマを睨みつけると。
「出自など関係ありません。どんな優れた容姿や地位を持った相手でも私の心は奪われません。奪うのはただ一人きり。マレだけです」
「…本当に、バカのようにマレを好いているのだな」
すると、リーマは立ち上がり、サイアンの傍らに席を移すと、
「──おまえがもし、ここで私を抱くなら、マレをすぐさま帰そう。あとひと月の延長もなしだ」
来たかと、心の中で思う。サイアンはリーマの顔を睨みつけると。
「──受けるとでも?」
「受けたくなるはずだ。──そら、動悸が早くなっている」
「!」
リーマの白い手が頬に触れてきた。冷やりとする心地に背筋が震えたが、確かに頬が火照っていることが気が付いた。動悸も早くなってきている。
──これは?
鼻先を甘い香りがついた。バラの香り。
──だが、バラはこんな香りをしていただろうか?
「ただ一度、私を抱けばいい。それですべて解決する…。簡単な話だろう? それに、マレには黙っていればいい。奴は別室、分厚いドアの向こうだ。ここであったことは黙っていれば知られることはない……」
気が付けば白い指先が上着を滑り落とさせ、シャツのはだけた所から滑り込んできていた。聞こえないなど信用できるものか。
「おやめください! こんなことは──」
「そうか? しばらくパートナーを抱いていないんだろう? 私でそれを解消すればいい。互いに気持ちよくなるだけだ…」
ソファに乗り上げ、サイアンを押し倒す。避けようと上げた腕が重い。なぜか身体が言うことを聞かず、されるがままになっていた。
どうしてだ? どうして──。
まるで暗示にかかっているかのよう。覆いかぶさってくるリーマを避けようと、肩を押し返すが、力がろくに入らなかった。
「さすがに効きがいい。──初めてか? こういう類は?」
「……?」
リーマの視線を追えば、ローテーブルの上、バラが生けられた豪奢な花瓶の隣に香炉が置かれているのに気付いた。
そこからは、白い煙が一筋、たち上っている。それは頼りなく、けれど妖艶にゆらゆらとゆれ、天井に達する前に消えていった。
──まさか。
「麻、薬…?」
「マレは気付いていたらしい。使ったあとの部屋の窓は、いつも開け放たれたな」
くくっとリーマは笑う。
「マレにも…?」
すると、リーマは笑んで。
「使ったとして、それを、愛しいお前に言えると思うか? …マレを気に入ったと言っただろう?」
「! はなせっ! よくも──!」
激高する。だが、力が入らない。その間にも、着衣は乱され、白く冷たい手が肌を撫でていく。吐き気がした。
「威勢はいいが、大した抵抗もできないな。案ずるな。後は私がよくしよう──」
履いていた下の着衣に手がかかるが。サイアンは冷静になって、リーマを睨むと。
「こんなことで、すべてが手に入ると?」
「──すべては手には入らないだろうが、欲しいものは得られるな。一度とは言え、私と関係を持てば、お前は良心の呵責から元にはもどれまい。以前と同じ気持ちでマレを抱くことなどできないだろう。私の影が付きまとう…。お前たちの関係にくさびを打つことはできる。──そうなれば、後は簡単だ。闇に堕ちたお前を、私が拾おう…」
「バカなことを…。こんな愛のない行為など無意味だ。あなたは余計に身を削るだけ──。孤独が増すだけだ!」
「──」
その言葉に、リーマが手を止めた。
「聞いた言葉だな…。孤独、孤独と…。なぜ、そう決めつける?」
「その通りだからだ。愛が欲しいなら、それをまず人に与えるべきだ。刃を突き付けた所でなにも生まれない…!」
「知った風な口を聞くな。これが私の生き方だ。孤独など、感じたこともない──」
「嘘だ!」
声と共に、唐突に隣室のドアが開き、そこからマレが飛び出してきた。




