15.従者
第四王子リーマの住まう屋敷は、王都の外れにあった。
森の裾に面して建てられた白亜の壁の屋敷は、森を背景に白く浮かびあがるようで華やかだったが、そこへ住まうものを思えば、寒々しいものに映っただろう。まして、仕える者たちにとっては、恐怖の対象でしかない。
マレが案内された部屋は、ありがちな従者のそれではなかった。薄暗い地下や屋根裏部屋ではなく、主とは階こそ違えど、客間のひとつで調度品も申し分ない。
驚いて、案内してくれた執事に、本当にここでいいのかと聞き返したくらいだ。正直、他の従者らと同じ部屋に押し込められると思っていたのだ。部屋まで案内した執事が、
「準備が整い次第、お呼びいたします。しばらくここでお待ちください」
そう口にして去っていく。その顔に表情はない。仕事上、そう言うものだと理解しているが、ラーゴの屋敷にいる使用人たちには、きちんと表情がある。皆、陽気で終始笑顔を浮かべていた。
しかし、ここの空気は重く、使用人もまた、暗く無表情で。室内の装飾は明るく華やかであるのに対し、それは対照的だった。
──息苦しいな。
マレはくつろげないまでも、襟元に指を差し入れ空間を作る。
そうして、シンとした室内で待つこと数十分。もってきた荷物をほどき終えた所で、執事の声がかかった。
「よろしいでしょうか? 主がお待ちです」
「はい!」
慌ててドアを出て、執事に伴われ応接間に向かう。屋敷の中には、ほかに人の気配を感じなかった。
使用人は用がない限り顔は出さない。住むのが王子のみであれば、そうもなるのだろう。
──けれど、王子に屋敷一つ、与えるなんて。
かなりの好待遇だ。
普通であれば、婚姻前の王子なら、城の一室を与えられる程度だろう。
──それなのに。
城並みの建物に、王のリーマへの溺愛ぶりがうかがえた。
深紅の絨毯の敷かれた廊下を進み、執事が開けた扉の向こう、室内へと入る。途端に背後で扉が閉められ、ついドキリとして振り返ってしまった。
「まるで…野兎だな」
その声にはっとして正面を向く。
午前中だと言うのに、分厚いカーテンが半ばほど引かれた室内。燭台に揺れる蠟燭の炎に照らし出されるようにして、この館の主がソファのひとつに座していた。第四王子リーマだ。
ふんわりとした襟付きの白のブラウスに、黒いビロード地の衣装を身に着けている。組んだ足の先には、磨き抜かれた革靴が光っていた。
ローテーブルの上には、まだ湯気の立つ紅茶が置かれている。
「そうびくびくしなくとも、襲いはしないさ。座るといい…」
「いえ。こちらで──」
マレは入口から数歩入った所、ソファの手前で立ち止まるが。
「──君は僕の従者として、ひと月いてもらうけれど、扱いは客人と同じだ。──遠慮はいらない」
リーマは座れと促す。それ以上、断れない空気を感じて、おずおずと頷くと。
「はい…」
リーマの座るソファの、やや斜め前へ腰かけた。ふかりと身体が沈むが、それにさえ恐怖を覚える。まるで身体を固定されたような感覚を覚えたからだ。リーマは笑う。
「そう緊張するな。色々噂は聞いているだろうが──」
「いえ……」
「父上からも何度も念を押されている。君には手を出すな、無事な姿でラクテウス家へ返すように、と──。騎士団の総団長からもそれとなく。ラクテウス家は騎士団にとって大きな存在でもあるから、今後を考えて行動されるようにと…」
「……」
マレには答えようがない。そうですか、としか言えないからだ。
すると、不意に席を立ったリーマがマレに歩み寄り、覆いかぶさる様にそのすぐ後ろの背もたれに手をかけてきた。目の前にリーマの顔が迫る。
相変わらず、人の心を凍らすような冷たい目だった。ふわりと香水のような匂いが香る。
──香水? これは?
匂いの元をたどる前に、意識をリーマに引き戻される。顎を白い指が掴んだからだ。
「そう言われると、逆に手をだしたくなる──。地下に吊るして、爪をはぎ、鼻や耳をそいで、ナイフで切り刻んでやろうか。さぞ、いい声で鳴くだろうな…」
リーマは何の感情も見せずそう口にした。
まるで大したことでもないかのように話すさまに、そう言った行為にためらいがないのが伺える。慣れているのだろうか。
「…私は、お世話をするようにいいつけられここへ来ました。気に入らない場合は、お返し頂いて構いません…」
声が震えそうになるのを、なんとか堪える。リーマは笑い。
「早く帰りたい──。それが君の本心だろう? けど、君にはここへきっちりひと月いてもらう…。早速、今晩から仕事だ。晩餐前の支度から。時間は執事が知らせる。詳しいことは奴に聞け。──以上だ」
そうして、覆いかぶさるようにしていた身体を離すと、あとはもう興味がないかのように、またソファに座り、置かれていた紅茶に口をつけた。
計ったように、執事が声をかけてくる。
「こちらへどうぞ──」
ドアが開き、廊下へ出た途端、息が漏れた。
正直、緊張もしていたし、怖くもあった。あれは脅しではなく、もし、忠告がなければ、そうしていた可能性もあったのだ。
気に入らないものはすべて手にかける──。
今更ながら、サイアンがあれほど心配していた気持ちが理解できた。もし、サイアンが同じ状況に置かれていたら、気が気ではないだろう。
──なんとしても無事に帰らないと。
そう心に決めた。
✢
その後、執事からリーマ付きの従者の仕事を、事細かに教えられた。
といっても、サイアンに対してしているのとそう変わらない。終始その傍について、様々な身支度を整えるのが主な仕事だ。
リーマが身につけるものは、全て黒を基調としたのもばかリ。すべて上質ではあったが、華やかさはない。
ただ、宝石の類はかなりのものだった。カフスやブローチ、すべて貴重な石ばかり。ルビーは特に際立っていた。透き通った赤に曇りはない。
それは胸元を飾るものだったが、まるでそこに血でも滲んでいるように見えて、マレは好きになれなかった。
早速その日、執事に言われた時間通りに、晩餐の着替えの為に部屋に向かえば、声をかけても応答がなかった。厚い扉の向こうで微かに声は聞こえる様だが──。
遠慮がちに声をかける。
「そろそろお召し替えのお時間ですが…。──入ってもよろしいでしょうか?」
「──入れ…」
その声にドアを押し開くと、むっとした甘い臭気が鼻をついた。
室内にその姿を探せば、天蓋のカーテンの向こう、人の姿が透けて見える。まだ寝ているのだろうか。
首をかしげつつ目をこらせば、身につけたローブが着崩れ、あられもない姿でベッドに伏せるリーマの姿が目に入った。続いてそのベッドには男が二人。
絡み合う姿に、瞬時に何をしているのか悟って、慌てて視線を逸らし、
「失礼しました!」
そう言って踵を返すが。
「…そこで、──待て…」
とぎれとぎれの声が聞こえた。合間に荒い呼吸音がする。
「!」
「直ぐに、終わる……」
声音には、どこか小ばかにしたような嘲笑が含まれる。しかし、マレには耐えられない。
「外でお待ちします。のちほど、お呼びください…!」
足早に扉に向かい、すぐに室外へと飛び出した。扉を閉める前、リーマの枯れた、でも高らかな笑い声が背後に聞こえた。
マレは扉に背をあずけ、そこにしゃがみこむ。
──わざとだ。
赤くなった顔を腕で覆い隠した。ベッドにいたのは護衛官の連中だ。ここへ来る道中、馬車の護衛についた者の中に、見た覚えがある。
──あんなこと──。
噂通り、リーマの生活は乱れ切っている様だった。マレの前にいた従者も、耐えられなくなって田舎へ帰ったのか、それとも──。
先ほどの、リーマの冷たい言葉が頭に蘇る。深いため息を吐き出した。
あの香りには覚えがあった。薬師の所で教わった、身体を麻痺させる薬草の香りだ。独特な臭いで間違えようがなかった。
痛みを伴う手術に使う薬草で、粉にして服用すれば、一時、痛みを感じなくなるのだとか。
神経を麻痺させ、気分が高揚する。けれど多用すれば、それがないと生きていけなくなるのだ。依存性がある。
そのうち、判断力もなくなり、自制がきかなくなるのだとか。危険だから扱いは気をつけるようにと言われていた。
──あの、薬草は命取りになるのに…。
それを焚いて行為に及んでいるのだ。確かに気分は高揚するだろう。けれど、快楽を得るためだけに使うのは、あまりに危険な薬だ。一国の王子がそんな薬まで使うとは。
──本当に堕ち切っている。
もし、サイアンがリーマに仕えることになれば、同様な目に遭わされるのだろう。想像しただけで身震いがした。
──そんなこと、させない。
マレはそうして、ことが終わるまでそこで待たされることになった。
✢
「君も一緒に楽しめばよかったのに…」
部屋に戻ってリーマの着替えを手伝っていれば、そう返された。
「…いいえ。私は従者として、ここへまいりましたので」
淡々とそう告げる。
病的に白すぎる肌には、赤い跡が点々と残っていた。それをなるべく気に留めないようにして、シャツを着せ、カフスをとめ。件の赤いルビーを胸元のスカーフを留める。禍々しいほどの赤だった。
ベッドはまだ乱れたまま。その後、しばらくして男たちが出てきたことで、行為は終了を告げた。
出てきたのは、やはり護衛官の者達で。身に着けた制服でそれとわかる。
扉の前にしゃがんでいたマレに気づいたものの、気にも留めない。まるでいないかのように振る舞い、平然と任務についた。
ここにいる連中は、皆人形のようだと思った。感情がまるでない。きっとあるのだろうが、すべてそれを押さえ込んでいる、コントロールされている、そう感じた。
そうして、男たちの代わりに部屋へと入って今に至る。
「前の従者も、初めは拒否していたけど、結局、そっちを選んだよ。最後は廃人になってしまってね。…家に返した」
──廃人。
例の薬の副作用だと思った。あれを嗅ぎ続ければ、まともな判断ができなくなる。
今は窓が開け放たれていて、残り香はずいぶん薄くなっていた。流石に嗅ぎ続けるのが身体に悪いとは、分かっているらしい。
「私は君に手を出さない。──けど、君から望むならいくらでも応じるよ?」
血色の良くなった唇の端が吊り上がり、笑みをかたどる。ゾッとした。鏡越しにそれを見たマレは視線を落とし、
「…ありません。私の仕事はそれではありませんから」
「そう。つまらないな…」
黒いベストを着せ、上着も羽織らせた。毎晩、貴族はこうして夕食をとる。誰がいなくともきっちり正装し。
ラクテウス家ではそこまできっちりとはしていなかった。軍服や寝巻以外なら正装しなくとも良いとしていた。
──けれど、こうして正装しても、たった一人なんて。
せめて王宮に住まえば、王や王妃、兄弟たちもいるだろうに。ここではたった一人だ。
すると、まるでそれを察したかのように。
「──マレ。君も一緒に取るといい。従者の真似事はここまででいい」
「でも…」
「ここの主がいいと言っているんだ。他に遠慮する者もいない。さっさと支度を済ませてこい」
「──はい」
渋々了承すると、自室で身支度を素早く整え、ダイニングルームへと向かった。




