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8. 500年前

 アトラはマドレーヌをひとしきり楽しんだ。

 紅茶の湯気が細く立ちのぼる。


「さて──お主は500年前のこと、特に”門”の破壊について知りたいそうじゃな」


(そうだ。

 我は茶をしに来たわけではない。

 500年前の真相を、早く話せ)


「……教えてください。」


「──500年前、そなたらの最終決戦の地、魔界へ、わえたち“亜人連合軍”も向かっておった。

 じゃが、魔王軍幹部に手間取ってのう……どうにか辿り着いた頃には、お主らは双方が倒れとった。

 魔王は心臓を穿たれて死んでおったが、勇者はかろうじて息があり、わえが治療したのじゃ」

 

(我は確かに死んでいた、か。

 なら”門”を壊した魔王は、やはり我ではない──)


「まあそう急くな。

 順に話す」


(ん?)


 胸の中の違和感を転がす間もなく、女王は続けた。


「すぐに勇者は目を覚まし、共に人間界へ帰還しようとした。そこで──魔王が起き上がった」


(……は?)


「まだ死んでおらなんだのかと、わえはとどめを刺そうとした。じゃが勇者に止められてのう。曰く『あれは魔王じゃなく“自分”だ』と」


(……意味が分からん。

 何を言っている)


「意味が分かりません」


「最後まで聞け。

 確かに勇者の言う通り、魔王の身体にも勇者の魂が入っておった」


 女王は指先で卓をとん、と叩く。


 推測じゃが、こうじゃ。

 ──魔王が発動した転生魔法が不完全で、魔王の魂が勇者の身体を乗っ取ろうとした。

 じゃが、勇者の魂に弾かれて乗っ取りに失敗。

 反動で勇者の魂も半分は追い出され、空っぽになっていた魔王の身体へと流れ込んだ。

 結果、勇者は“自分の身体”と“魔王の身体”を、同時に操ることになった──と」


 荒唐無稽とも思える話に、言葉が出なかった。


「その後、勇者は“魔王のふり”をして魔族に撤退を命じた。

 さらに『魔界と人間界、双方から門を壊す』と言い、魔王の身体は魔界側から、勇者の身体は人間側から門を断とうとした。

 生半可な力では壊れぬゆえ、己の魂を燃料に、とな」


 女王の声音が、ほんの僅かに低くなる。


「その甲斐あって“機能”は停止した。

 見た目は傷ひとつ付かなかったがの。

 ……そして、魂を削った勇者は死んだ。

 魔王側がどうなったかは分からんが、恐らく死んでいるじゃろう」


 問いたいことが山となる。

 だが、まずはひとつ。


(──ということは。

 お前は最初から、この身体に“我の魂”がいると知っていたのか)


「そうじゃよ。

 だから、最初から“お主”に向けて話しとる」


 心の中で投げた問いに、即座に返答が落ちる。

 思い返せば、女王の返しは常に“我”へ届いていた。


「あの、陛下?

 一体、誰と……」


「そろそろ煩わしいのう。

 ──ほれ」


 女王が小さく印を切る。

 温い光が勇者の身体を包み、喉の“糸”が緩む。


「これで“お主の声”で話せるじゃろ」


 試しに息を整え──アトラの意思で言葉が零れた。


「──ほう、確かに話せる。

 褒めて遣わすぞ、エルフの女王」


「クヒヒ、相変わらず尊大な態度じゃの。

 さあ、質問は山ほどあろう?」


「ああ、まずひとつ。

 なぜ、我の身体に“勇者の魂”が入っていると分かった?」


 女王は自らの眼を指す。


「わえの目は”妖精眼”と言ってな、魂が見えるんじゃ。

 魂の揺らぎから、何を考えておるかも大概は分かる。

 ついでに嘘も、のう」


「……なるほど。我が勝ち切れぬはずだ。

 二つ目。

 勇者の魂が“二つ”に割れたと言っていたが、そんなことが有り得るのか」


「常なら有り得ん。

 じゃが、勇者は心当たりがある様子じゃった。

 話してはくれんかったがの」


「ふむ、では三つ目。

 勇者は魂を消費して門を断った。

 なら、なぜ今の我の身体は思い通りに動かぬ?」


「その肉体には、なお勇者の魂が微かに残っておる。

 それが理由じゃろうな。

 まあほとんど残りカスで、反射的に”勇者らしい”行動をするが、それに意志は残っとらん。

 お主の手に落ちるのも、時間の問題じゃな」


 アトラの口角が、自然と上がった。


「そうかそうか。

 それは良いことを聞いた」


 喉の奥で小さく笑いが跳ねる。


「……”乗っ取った暁”には、この世界に”復讐”でもするんかえ?」


「はあ?

 復讐とは、虐げられた弱者が虐げた強者にすることだろう?

 ──我がいつ、この世界に虐げられた?

 いつ、この世界に負けた?

 我が敗北を喫したのは、唯一“勇者”のみ。

 その勇者の身体も、じき我がものとなる。

 唯一の清算を終えたなら、我が始めるのは”侵攻の再開”だ」


 アトラは背を正し、言葉で地を打つ。


「我は”魔王”。

 魔界の猛者どもを屈服させた、魔族の”頂”。

 この世界の支配に挑んだ“侵略者”にして“挑戦者”。

 意地と覚悟と力でもって、境を拓く“開拓者”。

 ──それのどこが、虐げられる弱者だというのだ。

 お前の”眼”とやらも、存外大したことがないらしいな」


 紅茶をひと口。

 そこにいるのは、姿こそ勇者でも、言葉は確かに魔王だった。

 女王は驚嘆と呆れ、そして微かな憧憬を綯い合わせたまま、言葉を失う。


「どうした、何もおかしなことは言っておらんだろう?」


「あ、ああ……そうじゃな」

 

「むしろ、お前は我に復讐せぬのか?

 エルフも多く殺したぞ」


 微笑んだまま、武功を数えるように言う。


 魔王アトラの侵攻は、人間界の六割を血に染めた。

 当然、エルフにも甚大な損害を与えた。

 人口の少ない彼らは、復興に長い歳月を要した。


「……そうじゃったなあ。

 いっそ今ここで、縊り殺してやろうかのう?」


 女王は笑みの奥に、するどい殺気を潜ませる。


「フ、フハハハハハ。

 どうした、昔はもっと刺さる覇気だったぞ。

 この500年で腑抜けたか?」


「今のお主くらいなら、腑抜けたわえでも殺せるわ」


 視線が交わる。

 いま戦えば死ぬ──アトラは承知の挑発を放ち、同時に女王が“殺さぬ”と見切る。


「だろうな。

 だが、お前は我を殺さない。

 殺す気なら、最初から話などせぬ」


「油断させるためかもしれんぞ?」


「だったら、まどれーぬを頬張っていた時が最上だった。

 あれほど隙だらけな瞬間もなかったぞ。

 ──お前の“目”には、見えていたろう?」」


「クヒヒ。

 かつての大敵が美味そうに菓子を食う。

 毒気も抜けるというもんじゃ」

 

「実際のところ、殺さない──あるいは“殺せない”理由があるのか?」


 試すように問う。


「……内緒、じゃ」


 女王はいたずらっぽく目を細めた。


「ふむ……ところで我は一つ、疑問に思っていたことがある」


「なんじゃ?」


「なぜ“勇者は常にひとり”なのか。

 歴史を遡っても、同時代に二人いた記録はない。

 勇者が複数いれば、どんな脅威も容易に捌けるはずだろう」


 アトラは女王の反応を計りながら、静かに続ける。


「今、この身体には勇者の力が残っている。

 この500年、勇者が現れなかったのは“この身体”のせいではないか?

 厳密には、この肉体に残った勇者の魂の残滓。

 ──“勇者は複数、同時に存在できない”。

 そういう“規則”だとすれば筋が通る」

 

「……その可能性は、あるのう」


「この体が死ねば、勇者の魂は解放される。

 そうなれば今の様な不完全な状態でなく、完全な勇者が再誕するやもしれん。

 果たして勇者は、現状の人間と亜人のパワーバランスを覆そうとしないか、お前の意見を訊きたいな」


 アトラもからかうように問う。


「確かに勇者が人間の側に付くのは、容易に想像できるの」


「”スキルの弱体化”と勇者の件に関連性があれば、勇者の完全復活とともにスキルも以前の強さを取り戻すかもな」


「うむ」


 女王に焦った様子はない。

 そこまでの算段は、とうに視野にあるのだろう。


「では、対策をひとつ、教えてやろうか」


「ふむ、対策とな?」


「我が死ぬ前に人間をすべて、エルフと“番”わせ、混血児を大量に生ませろ。

 その後、人間を根絶やしにする。

 ──そうすれば、我の死後“混血”から勇者が生まれる確率は高まる。

 この勇者が証明したように、混血でも勇者になれる。

 できるなら“人間×エルフ”以外の混血も潰せば、確率はさらに上がる」


 勇者の美貌が、悪魔の笑みに歪む。

 部屋の温度が、わずかに下がった。

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