2. 服をください
「何なんだ、これは!!」
煮詰まった激情が噴き上がる。
目が覚めたら自身を殺した者になっていたのだ、冷静でいられるはずもない。
自分の頬を殴る。
どうか夢であってくれ、と願いながら殴打する。
だが脳はこれが現実だと通告してくる。
(まさか、術式に間違いがあったのか?)
そう思い《輪廻転環》の術式を確認しようとする。
だが、どんな術式だったか思い出せなかった。
それどころか他の魔法の術式も思い出せない。
唯一覚えているのは初級魔法をいくつかだけ。
「あ、あり得ない……この”俺”が魔法を忘れるなんて」
魔族にとって魔力と魔法は強さの証明だ。
上位の魔族になればなるほど、習得難度の高い魔法を修めている。
魔王ともなれば他の追随を許さないほどの魔法を習得している。
現にアトラ自身も数多の最上級魔法を操っていた。
(土中で魔法を発動できなかったのは、術式を”覚えていなかった”から。
は、はは。この”我”が。
魔王が魔法を失う? 悪夢にも程がある)
乾いた笑いが喉に引っかかる。
しばし呆然としていたが、ふと考えが反転した。
(絶望的と思っていたが、これはむしろ好機では?
魔王すら殺せる勇者、その肉体を手に入れたのだ。
ならば、この器で再び世界を支配すればよい)
希望が見えてきた。
(そうと決まればまずは情報収集だ。
今の世を知り、征服の準備をする!)
先ほどの落ち込みが嘘のように、”アトラ”は駆け出した。
木々を抜け、小高い丘に出た。
眼下には森が鬱蒼としている。
ただ道が整備されているので、先には街でもあるだろう。
(いるのは人か、はたまた魔族か)
そのとき、鋭い悲鳴が風に乗った。
男女の声だ。
視線を走らせると、森を逃げる人間二人。
その背を複数の狼型魔物が追う。
人間がいるということは人間界だろう。
(何だ、人間か。
どうでもい!?)
どうでもいい、と考えているのに身体が勝手に走り出した。
丘を蹴り、谷へ飛ぶ。
(なっ……! 身体の制御が利かん!!
止まれ、 止まれぇえええ!!)
命令を無視して肉体は疾駆し、狼どもに追いつくや、空中に光の剣を顕現させた。
一閃。二閃。三。
光刃は瞬く間に群れを細片へと刻む。
あまりに洗練された斬撃──幾度も魔族を屠った剣技に違いない。
顕現した剣は役目を終えると淡く消えた。
(何が起きた。
我の意志ではない。身体が勝手に──)
思考を遮るように、助けた人間たちが叫ぶ。
「「へ、変態だー!!」」
そう、勇者の身体はいま、全裸である。
「す、すみません。助けてもらったのに”変態”だなんて……!」
青年が平謝りする。
「ご、ごめんなさい……」
女、というか少女の方は顔を隠しながら謝る。
(ええい、貴様らなどどうでも──)
「いえ、お怪我はありませんか?」
内心とは裏腹に、口が勝手に動いた。
「は、はい。
あの、助けてもらっておいて何なんですが……もう少し前を隠してもらえませんか?
妹もいますので」
(なぜ我が人間の言に従う必要がある!)
「これは失礼。乙女に見せるべきではありませんでしたね」
身体はやはり勝手に局部を隠す。
「その……服は?」
(目覚めたら無かったのだ!)
「目覚めたらありませんでした」
珍しく心と口が一致した。
青年は「大丈夫か」とでも言いたげな目で見る。
「で、では村まで来てもらえれば、お礼に服を譲りますよ」
(ふん。人間の施しなど──)
「それはありがたい! 服が無くて困っていたところです」
村まで兄妹に案内してもらうことになった。
道すがら、アトラは思考を巡らせる。
(この身体、完全に我のものになったわけではないのか……?
いや、森では我が動かしていたのは確かだ)
自身で殴った頬の感触は覚えていた。
(だが人間の悲鳴に反応した途端、制御を奪われた。
”人間の危機”に反応した、ということか?)
「僕はキオと言います。こっちは妹のクー。
お兄さんの名前を聞いても?」
「俺は……俺の名前…………ぉ、おれ……のの……なまえぇ……」
(な、何だこの異様さは……!?)
途轍もなく根源的な恐怖を感じる。
「──もしかして、頭とかぶつけました?
なんか顔もちょっと腫れてるし、無理しないでくださいね?」
「お兄さん、大丈夫ー?」
「え、ええ。ご心配なく。
これでも身体は強い方ですから。
ただ少し名前が……」
アトラの感じた恐怖が去った。
青年キオは何か事情を察したように頷く。
「では”勇者さん”と呼んでも?」
(なぜ我が勇者などと──)
「いいですよ。でも、どうして勇者と?」
「”光り輝く剣で人を救う”──さっきのお兄さんは伝説に出てくる勇者みたいだったので!」
「すっごい強かったもんね!
魔物を一瞬で倒してたし」
「ふふ。俺も、そう呼ばれる人間になりたいと思ってますから。嬉しいです」
そうこうしていると村が見えてきた。
「すみません、ちょっと待っててください。
すぐに服を持ってきます!」
「またねー!」
全裸の男を村には入れられない、当然の対応だ。
(ちっ。まあいい。
情報収集には好都合。
存分に利用してくれよう)
間もなくキオは戻ってきた。
「勇者さん、父のお古ですけど良ければ」
袖を通す。
いかにも庶民の装いだ。
「ありがとうございます」
「勇者さんはこの後どうします?
村に泊まっていきます?」
「そうしたいところですが、路銀が無いので」
「だったらうちに泊まってください」
(助けてやったんだ、当然だな)
「いいんですか?」
「ええ。命の恩人ですから」
「では、お言葉に甘えさせてもらいます」
こうして“勇者の身体を得た魔王”は、服と今夜の寝床を手に入れた。




