竹林を抜ける
竹の途切れた空き地で、妹紅は膝を抱えて動けなくなっていた。
とんだ矛盾だ、と思う。死ねないことに散々悩んでおいて、いざ手が届きそうになると、今度は死が怖いらしい。焼けたらそれっきり蘇らないかもしれない、と意識したが最後、慣れ親しんだ火が使えなくなった。
火の中で復活する不死鳥が「不死」と「火」を失い、おまけに死ぬことすら怖いのなら、自分には何も残っていない。この調子では、竹林で人間の護衛をすることも、月の姫を殺しに行くこともできないだろう。
そこまで考えて、永遠亭のことを思い出した。
裏口で薬師に追い返された記憶が頭をよぎる。永遠亭は輝夜と相対する場所だったが、昼間は里の人間を案内してもいた。人間も妖怪も分け隔てなく受け入れる診療所。
永遠亭を訪ねて今の状況を相談すれば──そんな考えが頭をよぎったが、論外だとすぐに打ち消した。輝夜に腹を貫かれて血が止まらない、体調がすぐれないなど、どの面を提げて言えるというのか。
竹の葉が風に揺れる。しばらく頭を下げてじっとしていたら、目眩もおさまってきた。家に一度戻ることにして、地面に片手をついて立ち上がった。
*
家に戻った妹紅は、壁際に掛けていた鉈を手に取った。刀身を布で拭い、鞘に入れて腰から下げる。
これは獣の解体にも使えるのだが、猟は里の人間の生業で、自分が手を出したことはなかった。むやみに生業を奪うのは良くないからだ。妖怪退治や護衛には妖術を使っていたから、鉈の出番はなく、木や竹を切り払うのに使う程度だった。
それでも、火が使えない今、竹林を抜けるにはこれくらいは持っておきたかった。
竹林を抜けて里に向かい、寺子屋の慧音に助けを求めるつもりでいた。迷惑をかけるのは心苦しいが、相談できるのは彼女しか思い浮かばなかった。自分の今の状況で、日の落ちた竹林を歩くのは自殺行為に近い。帰り道を考えると、今すぐに発たないといけなかった。
腰に鉈を下げて、妹紅は竹林の道を歩き出す。
この場所は、里の人間から「迷いの竹林」とよばれていた。目印が少なく、生育の早い竹が生い茂った景色は、入り込んだ者の方向感覚を狂わせる。歩き慣れた妹紅にとって、今さら道に迷う心配はなかったが、竹林の危険は迷子だけではない。
日が落ちると妖怪が動き出して、帰りそこねた人間を餌にするのだ。昼間は妖怪が少ないとはいえ、全く出ないとは限らない。人間にも宵っ張りの朝寝坊がいるように、変な時間に動き回る妖怪だっている。
妖獣の中には、目が退化していて、血の匂いだけで獲物を追うやつもいる。傷ついて動けなくなった者が留まっていたら、食べてくださいと喧伝しているようなものだ。
──そう。竹林は危ない場所だ。
人里では、筍採りや猟は男の仕事で、女や子供が一人で竹林に入ることは禁じられているらしい。反撃の手段を持たない者が、わざわざ竹林に立ち入って危険な目に遭うことはない。どうしても必要なら、慣れた者に護衛を頼むように、と。
妹紅は腰の鉈に触れて、刀身の重さを確かめた。足を進めながら、かつてのやり取りを思い出した。
──昔、迷い込んだ少女を、里まで送っていったことがある。
人里の入り口で、父親らしき者が立っていて、少女に叱るような声を掛けた。
「何のつもりだ。女は竹林に入るなと言ってるだろう」
男は妹紅を一瞥しただけで背を向け、少女の腕を引いて、集落のほうに帰っていった。
そのときは何とも思わなかった。竹林で暮らしていて、道案内をする私に向けられた言葉ではない。女という括りから外された事実を、少し面白いと感じたぐらいだった。
今の私は、どうだろうか。竹林に入るなと言われたら、どこで寝起きすればいいんだろう。
*
道の半ばで体が怠くなり、平らな岩に腰をおろした。普段なら、空高くを飛び交う妖精の姿を眺めたり、煙草に火をつけて一服したりするところだが、今はその余裕もない。腰に鉈を下げているだけで、煙草は持ってこなかったし、座っていても気が休まらなかった。
後ろに妖怪が潜んでいて、次の瞬間には鋭い爪が襲ってくるのではないか、と妄想じみた考えが頭を離れない。神経が過敏になっている自覚はあっても、どうにも収まらず、妹紅は四方に視線を巡らせた。
筍を採りに竹林を歩く人間は、道中で葉に包んだ握り飯を食べたり、小唄を口ずさんだりするという。
命が一つしかないというのに。
今の妹紅には、ひどく呑気で豪胆なように感じられた。
座っていても落ち着かず、不安ばかりが募る。歩き続けたほうがまだましだ、と妹紅は腰を上げ、休憩らしい休憩も取らずに歩き通した。
人里の入り口が見えてきた頃には、すでに日が高く上っていた。
里は人間と妖怪の緩衝地帯。妖怪も出入りしているが、暗黙の了解で、ここで交戦する者はほとんどいない。履物に入った砂を取って、重い足を動かしながら、妹紅は里の寺子屋に向かった。