地に堕ちた鳥
ある朝方のこと。
火を入れない囲炉裏の脇で、妹紅はいつものように床に座って、壁に寄りかかって眠っていた。
目を覚ますと、手が冷えて指先が強張っていたので、手を何度か握って開いた。どうにも体が重く、目が覚めきらない感じがする。
膝にかかる髪を踏まないように起き上がり、衣を替えようとしたところで、妹紅は違和感に気付いた。
足の間から、じわりと血が滲んでいた。
――どうして、と思う。
こんな場所から血が出るような心当たりはない。自分の血など珍しくもないのだが、不意に目に飛び込んだ赤色は薄気味が悪く、妹紅は眉をひそめた。数日前に輝夜と交戦して腹を貫かれたことはあっても、今になって出血するのは通常ではない。
ひとたび意識を向けると、腹が痛いような気もしてきた。体の怠さも相まって具合が悪いが、原因はさっぱり分からない。どうも体の内側から血が出ているらしい。
長すぎる生の中で、時おり体調を崩すことがあった。
流行り病にかかった人間と関わり合って、病気をもらったこともある。雨の中で行き倒れて肺を傷めたり、毒を飲んで血を吐いて倒れたりしたこともあった。結果論として、毒を飲んでも死ねないことが分かっただけだった。服毒自殺は試すだけ無駄だし、どうせ死ねないのなら、刃物のほうがまだ気が晴れる。
たいていの不具合は、一人になって寝るか、一度燃えてしまえば治っていた。
もう一度寝直そうかと考えたが、血が滲んだまま眠るのも気が進まない。妹紅は戸口を抜けて、小屋の裏手へと歩いていった。
*
朝方の竹林は薄い霧に包まれていた。
小屋の裏手に、竹がまばらで枯れ草の少ない場所がある。火を使っても咎められることはないし、今朝は風も強くないから、飛び火の心配はないだろう。
遠い昔には、自分の身を焼くような術はなく、訪れる死をただ待つだけだった。いつしか短刀で首を傷つけて再構築するようになり、今では自分の意思ひとつで火を起こせるようになった。輝夜としばらく会わないときなどは、燻った熱を発散するために、ここに来て自分を焼いている。
妹紅は足元の石を蹴ると、両手を広げて、空を見上げた。
胸の奥底、魂があるだろう場所に意識を向けて、焼き尽くせと命じるだけ。
何度もやってきたことだった。
──火を点ける間際、心臓が大きく打った。
待て、と思う。
蓬莱の薬を飲んだ私にとって、焼けても再生するのは当たり前で、疑いもしなかった。その前提が崩れているとしたら。得体のしれない不具合が、不死性の綻びによるものだとしたら。
普通の人間は、炎に包まれれば絶命する。今の自分がそうじゃない、とは言い切れない。
永遠に続く輪廻からの解放、願っても叶わなかった本物の死を前にして、妹紅は妙に愉快になった。
焼けて死ぬなら、望むところだ。蓬莱の薬が完全ではないことを、自らの死をもって証明しよう。
朝方の空を眺めてから、妹紅は目を閉じて、炎を焚きつけるように息を吸った。
──火はつかなかった。
「……っ!」
目を開けて、片手を前に出した。指の先に視線を向けて、燃えろ、と念じる。
指先が微かに震えていた。火はつかないまま、次第に胸が苦しくなって、呼吸を忘れかけていたことに気づく。
「……嘘だ」
死ぬなら望むところだと、さっきまで本気で思っていた。今だって変わらないはずなのに、血の気が引くような感覚に襲われる。膝に両手をついて、地面にしゃがみ込んだ。背筋に冷たい汗が流れる。
首無しの不死鳥を纏う少女は、この期に及んで、死を怖いと思ってしまった。




