間話「アリアという女性2/2」
アリアは剣を振っていた。
思考も無く、夢を見ているようだった。
周囲は森。鳥の声に風の音...。
そして心地の良い気温だった。
だが、今の彼女は何も分からない。
それでよかったし、そうで無ければ心を守れない。
そうして今日も剣を振るっていた。
その瞬間である。
一瞬。
ほんの一瞬だけ彼女は真後ろから果てしない程の恐怖を感じた。
それは生命体としての根源に近い恐怖である。
暗闇は怖い。
高い所は怖い。
そんな太古の祖先たちが、生きるため獲得した防衛本能的恐怖である。
彼女は覚えがあった。
これは黒の神と出会った瞬間。
あの老人を見た瞬間。
それに近いかった。
反射的に振り向く。
そこには一人の少年がいた。
彼女を認識し隠れたようだが、アリアの目は少年の姿をしっかりと捉えていた。
夜を抜き出したような黒い髪。
中性的な容姿をしている。
そう容姿が分かったのだ。
あの老人と同じで周囲が歪んで見えず。
少年だけが世界から切り取られたように鮮明だった。
もう既に彼女の頭は数百年ぶりに思考をし始めていた。
夢から覚めたのだ。
そのほとんどは恐怖による物だった。
彼女は死の恐怖をほとんど感じない。
何度も死に。
それが日常となっているから。
そんな彼女にとって根源的な恐怖は、脳に刺激を与えるには十分だったのだ。
そうして彼女が夢から覚めた時。
彼女はただ困惑していた。
なぜなら少年からはもう、何の恐怖も感じなくなっていたからである。
隠れられているつもりなのか、木の後ろからチラチラと髪が見えていた。
あの少年は何だろう。
そう思っていた矢先、誰かが自分を呼んでいた。
顔は歪んで見えなかったが、背丈から恐らく子供であると分かる。
さっさと殺そうと思ったが、その中性的な少年と敵対するのは何が起きるか分からない。
その思いから彼女は殺さなかった。
適当に気絶させた時、少年たちはどこかへ移動していた。
幻聴と幻覚、そして人の顔が歪むおかげで、ほとんど目の前の事象を認識できていない。
彼女はとりあえず、また剣を振り始めていた。
何を目的としているのか自分でも分からなかったが、ここ数百年は剣を振ることしかしてこなかったのだ。
人との話し方もとうの昔に忘れてしまったし、何をしていいかも分からない。
だからまた剣を振り始めたのだ。
皮肉な事に思考し始めても、そうで無くてもやる事は変わらない。
無心になるため剣を振るう。
しかしそれでも、彼女は内心あの少年が気になっていた。
記憶がほとんど残っていないので、体感としてそこまで長くは無いが、事実として数百年ぶりに歪んでない人間を見たのだ。
気になって当たり前だろう。
彼女は横目でチラチラと少年を見ている。
どうやら少年も見様見真似で剣を振り始めたようだ。
それは酷くぎこちない動きだった。
端的に言うならば下手だったのだ。
彼女はその素振りを若干目障りに思う。
実際彼女も剣術をやり始めていた頃、この少年とどっこいどっこいだったがもう遠い昔だ。
彼女自身はもうかなり熟達しているし、達人と言ってもいい次元に居た。
その者から見ると、剣を振った事のない6歳。
それも才能の無い物の素振りなど見れる物では無い。
そうしてアリアは次第に少年を殺してしまおうかと思い始めた。
とは言え、あの老人と同じ現象が起こっている少年を、殺していいのか、殺せるのか、という疑問もある。
なので何か喋り出したら、次に気に障ったら殺そうと。
彼女はそう決めた。
しかし数十分が経過しても、少年は心でも読めるのか、何も喋らなかった。
ずっと彼女の横で目障りで、汚い素振りをし続けていたのだ。
殺そうかとギリギリまで審議したが、辞めて置いた。
歪んでいない人間をもう少し見ていたいと思ったのだ。
幸いにも、見ていて不快感のある容姿では無かったし、目障りな素振りさえ我慢すれば...そう思ったのである。
瞬間思う。
私が教えればいい、と。
そうすればこの少年を殺す事も、目障りな素振りを見る事も無い。
しかしある問題があった。
彼女は人との喋り方を忘れていた事だ。
言語自体はおぼろげながら覚えている。
なので丁寧に彼女は言葉を一つ一つ思い出し、数十分かけて、一言ひねり出した。
「...力が...入りすぎ......」
それは数百年ぶりに発した言葉で、かなり掠れて、小さくなっていた。
しまった、これでは聞こえないだろう。
彼女がそう思った瞬間、耳に一つの言葉が聞こえてきた。
それは「ありがとう」ただの感謝の言葉だった。
彼女は幻聴で、周囲の音がほとんど聞こえていない。
だが、その声は幻聴を吹き飛ばすような、大きな大きな声だった。
彼女は久しぶり自分以外の誰かの声を聴いたのだ。
その言葉を聞いて、本人も認識できない程小さく、ほんの少し、ほんの少しだけ。
彼女は救われていた。
彼女自身は記憶にすらないが、彼女に手を差し伸べる人間が居なかった訳では無い。
少なくとも両親はそうであった。
だが、彼女はそれに気づきもしなかったし、気づいても自分で振り払って来た。
その手を掴んだところで決して解決はしないのだから。
だが、目の前の少年は無理やりに手を掴みに来た。
彼女は泥沼の中に場所にいた。
両親が手を伸ばしても濁り、気づかない。
だが、少年は無理やり手を伸ばし、肩を掴み、手を握り、無理やり引き上げたのである。
きっとそれは偶然だろう。
だが、それでも彼女は嬉しく思った。
彼女は自分の心のざわめきに気づいてすらいない。
だが、少年の言葉を聞いた後、少なくとも、もう幻覚は見えず、幻聴も聞こえなくなっていた。
鳥のさえずり、木々の揺らめく音、風の音色...全てが久しぶりである。
感謝。
それは少しだけ歩み寄る行為。
ほんの少しの温かみを分け与える行為。
彼女の凍て刺すような心は、その温かみで、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ溶けだしたのだ。
―――――
そうして数日が経過した。
少年は毎日この広場に来ている。
彼女は言葉を絞り出し、アドバイスという形でたまに喋る。
言葉をゆっくりと紡ぎ、発する事で彼女は喋り方を思い出しつつあった。
まだ上手く言葉を発する事は出来ていないが、それでもある程度は喋れるようになっていたのだ。
あの少年のおかけである。
彼女は己がこの状況を心地いいと感じていた。
近しい感覚で言えば安心感だろうか。
隣の少年は自分に攻撃しないし、ここに居れば死ぬことはない。
そう思えてしまうのだ。
根拠などあるはずが無かった。
だが、心からそう確信してしまうのだ。
なぜそう思うのか。
彼女が頭の中を探してみても、それらしい回答は見つからなかない。
彼女はそれは不可解に思っていた。
しかし不快にも思っていない。
それらを含めて、少年と一緒に居る事が心地よかったのだ。
彼女の心は自分で気づかない内に、毎日毎日、少しづつ少年の温かみにより、溶けだしていた。
彼女はふとここ数日間の、少年との会話を思い返す。
いつもは受動的で少年に何かを問われ、それに答えるという会話方法だった。
しかしこの日彼女は自分から能動的に話してみようと考えたのだ。
何か特別な理由があったわけでは無い。
強いて言うなれば相手に気を使わせていた気がしたのだ。
単純に少年と話すという事が楽しかったという事も、理由の一つだったかもしれない。
彼女はなんとなく自分が一番気になっている事を聞いてみた。
「ねえ...あなたは何で剣を学んでるの...?」
その質問は彼女自身が剣術を学び続ける理由を少年に求めたのか、自分の剣術の目的を再確認するためだったのかは分からない。
ただそれでも、剣術を学ぶ意味を喪失していた彼女にとって、その質問は彼女の何十回もの生を意味付ける物だった。
「自分の身を守るためですよ」
少年はそう答えた。
それが嘘である事に彼女はすぐに気づく。
別に何かしら根拠がある訳では無く、直観や本能に近しい物であった。
彼女は少し問い詰める。
彼女は答えが欲しかった。
それは恐らく、自分が剣術を学ぶ理由を喪失していたからだろう。
「すいません...実は...カッコイイから、とかです...」
そう少年は言った。
「そう.........」
彼女の口から当たり障りのない、ため息に似た言葉が思わず口から飛び出す。
彼女はそのとき思い出した。
剣術を学んでいた時の初心である。
彼女はなぜ剣術を学んでいるか、次のループにつなげるため。
美しい景色を見つけるため。
それは間違いでは無かったが、きっと正解でもない。
最初、初心中の初心。
一番初め剣術と言う物を知った時、彼女は野蛮で勇猛で恐ろしく。
同時に恰好が良いと思った。
とうの昔に忘れていたのを彼女は今思い出したのだ。
それは取り留めも無い、日常の一幕。
しかし今の彼女にとってそれを思い出す事は、剣術、いや生きる目的を生き返らせるには十分だった。
すると少年が口を開き尋ねた。貴方はどうして剣術を学んでいるのか、と。
彼女はもちろんこう答えた。
「カッコイイから」
その瞬間気づく。
彼女が見ていた世界が正常に動いていた事を。
ずっと世界は緑がかっていた。
だが、今は世界に色が戻っていたのだ。
いつから世界が正常に動きだしていたのか、彼女には分からない。
だが、そんな事は彼女にとってはどうでも良い。
彼女の中にあったのは楽しい。
そういう感情だった。
――――
数日が経過した。
彼女はまた剣を振っている。
しかしその眼には感情が籠っていた。
以前のような何も考えていない、生きているのかすら分からない。
ただ執念と狂気によって成長している実感の無い素振りをただ繰り返すのではなく。
目的を持ち、理由を持ち、意味を持った素振りをしていた。
一振り一振りに魂をのせる。
純粋で無垢な理由。
久しぶり彼女は剣を振るうのが少しだけ楽しかった。
戦いや殺しでは無く、純粋な剣術を楽しんでいた。
その日彼女は魔物と戦うつもりだった。
理由は魔物の精神汚染である。
どういう訳か、精神汚染への耐性は人生が始まる度に解除されているようなのだ。
第八等級の魔物がほとんどという場所は意外に珍しい。
故に精神汚染への耐性を今一度得るために魔物と戦うつもりだったのだ。
実のところこれは建前である。
アリアはこの少年に少しだけ格好いい姿を見ていて欲しかったのだ。
それは彼女自身自覚していなかっただろうが、恋心に近い物である。
彼女に男性との経験は無い。
そのためか自分の感情を理解出来無かったし、どうすれば良いか分からなかった。
だから自分の一番得意な分野で勝負をしようとしたのだ。
そしてアリアは魔物を呼んだ。
そこに出現したのは、アラクナス別名【悪夢】であった。
瞬間。
彼女は気づいてしまった。
今自分は死ぬのだと。今回はこれでおしまい。
また次の人生が始まると。
そして今自分が死ねばあの地獄へと戻されると。
すると彼女は脳裏に言葉が浮ぶ。
【死にたくない】
彼女は数百年ぶりに死に対しての嫌悪感と恐怖心を思い出してしまった。
魔物の精神汚染の度合いは気の持ちようや、覚悟の有無でも変わる。
それは彼女の弱った心に容易に入り込んだ。
その刹那、彼女の足がすくみ、全身が震えてくる。
怖い。逃げたい。帰りたい。
なぜ私だけこんな不幸に?なぜ私だけこんな目に?
いつもなら確実にし無いであろう、思考や言葉が頭の中を埋め尽くしていく。
だがそれでも逃げる事は許されていない。
その時、彼女の中にあったのは諦めだった。
死ぬ。どうやっても。
彼女は現在11歳。
それ以下の年齢で第五等級の魔物を倒した事はある。
だが、それは万全の状態で、だ。
少年を守りながら、精神汚染を食らいながら勝てるはずがない。
彼女はそう思ってしまった。
その刹那、彼女は思う。
彼女は少年だけには生きて欲しい、と。
それは理由など無かった。
彼女の行動方針は大抵自身が優先であり、それが間違っているとは思って居ない。
だが、今日初めて自身より他人を優先したのである。
故にアリアは全身に魔力を循環させ、少年の前に出る。
彼女はこの時、生きる事を諦めていた。
それでもこの、名も知らぬ少年だけには生きて欲しい。
しかし、後ろの少年は死ぬ気も諦める気も無かったのだ。
「水の神へケトよ穢れなき純氷を生み出したまえ、アイスロード!」
早口で後方から聞こえてきた。
あの少年が風上方向に逃げて行く。
悪夢という魔物は逃げる人間を優先的に追う特性がある。
それはあの少年も当然知っていた。
彼女は助けられたのだ。
「村に行って誰か助けを呼んてきて下さい!」
少年がそう叫ぶ。
悪夢が獲物の狙いを変える事は無い。
少なくとも悪夢自身に致命傷を与えなけらば撤退する事は無いだろう。
そう察し彼女は村へ走った。
【私のせいだ】
走りながら彼女の頭の中で、言葉が反芻する。
彼女が魔物を呼び、危険に晒した。
それはある種事実であるためたちが悪い。
あれは明らかな失敗であり、慢心であった。
強力な魔物。第五等級程度であれば倒せると考えていたし、実力通り行けば倒せてはいただろう。
だが実力通りには行かなかったのだ。
【死んだ】
彼女の中に言葉が生まれる。
あの少年に勝てる道理は無い。
だが、彼女が居たとしても悪夢は狙いを変えはしない。
自分のせいであの少年が死んだ。
自分が殺してしまった。
彼女の中は後悔で満たされている。
こんな事をいなければ。自分がもっと強ければ。
どうか...どうか、生きていて欲しい。
彼女の中に言葉がグルグルと浮かび、消えて行く。
彼女は罪悪感に襲われながら、彼女は全力で走った。
向かったのはアリアはモウアの家である。
その中に居たシーナを呼び、先ほどの広場に戻った。
彼女が生まれた時とほぼ同時期に軍を引退したそうだが、その強さは王国でも有名であった。
リドロフとミシーナ夫妻は平和を求め辺境のコルケット村へ移り住んだという話は彼女も知るところであり、この村に二人が居たのはただの偶然である。
少年ことクルト・モウアが二人の子であると知ったのも、ごく最近であった。
何しろ二人は互いの事を詮索しない。
それ故最近まで知らなかったのだ。
――――
そうして二人は広場から悪夢が移動したであろう場所を辿り、【導眠草】の花畑に辿りついた。
そしてそこにはあの少年が居た。
奇跡だ。
彼女はそう思った。
彼女は生きていて欲しいとは思って居たが、それと同時に無理だろうと諦めもあったのだ。
だが、彼は生きていた。
安堵。
自分が彼を殺していないと、彼は死んでいないと。
彼女は安堵した。
少年の顔を覗き見る。
魔力の使い過ぎたためか、少年の顔は憔悴...いや、衰弱している。
酷い隈に白い顔色。それを見た瞬間。
彼女の心臓がドクリと跳ねた。
自分が彼にしてしまった事。
その大きさと、目の前の少年がどれ程苦しんだかを彼女は知っていたのだ。
これは死の恐怖を感じた人間の顔である。
彼女が何度も感じた、もう二度と感じたくないと思って居た事。
それを自分せいで彼に背負わせてしまったのだ。
それをアリアは痛感した。
瞬間、視界が落ちかける。
花粉にやられているのだ。
彼女はここに留まるのは危険と感じ、モウアを抱きかかえ、ミシーナに一声かけると花畑を出た。
そうしてモウアを抱え、彼の家へ戻った。
ミシーナは魔物の残党が居る可能性を危惧し、多少探索を行うのでモウアを頼むと言われたのだ。
彼の家へ戻ると、モウアの父から溢れんばかりの感謝を浴びせられた。
その一言一言が胸を貫いていく。
自分の責任なのに、と。
―――――
そして翌日クルトの家へ向かった。
部屋の真ん中で彼は父と一緒に佇んでいる。平然そうにしてはいた。
だが、その瞬間。
アリアはその平然さが虚構であると理解出来た。
だが、彼女にはそれが嘘だと分かったのだ。
顔色は死にそうな程憔悴している。
それなのに、行動はいつもと同じ、いや、彼女にはいつもより明るいように感じた。
彼女は自分のせいでこうなってしまいました。
申し訳ございませんと謝るつもりだった。
殴られる程度は想定していたし、大抵の要求は受け入れるつもりだった。
クルトが傷心していると思ったのだ、だから何とかして...と。
だが、そうでは無かった。
彼は平然を装っている。
危険だ。
瞬間的にそう思った。
死ぬ事と隣り合わせで生きて来た。
誰かを殺しながら生きて来た。
人が絶望した顔をよく見て来た。
だから分かった。
これはまずい、と。
取り返しのつかない事になる。
その実感が彼女の中を駆け巡った。
瞬間。
彼女は彼が何かを抱えるていると彼女は気づく。
正確に何かは分からなかったが、相応の何かを抱えている気がしたのだ。
自分と同じ物を感じ取ったのかもしれない。
そして彼女はクルトを無理やりに連れだした。
彼女は謝るつもりだった。
だが、今すべきはきっとそれでは無い。
今すべきはこの少年を何とか前に向かせる事だと感じたのだ。
彼女は許されたかった。
だから謝ろうとしている。今、ここで頭を地面にこすりつけ、泣いて謝れば目の前の少年は許すだろう。
というより、許すしか無くなってしまうのだ。
実際追求した所でどうなる訳でも無いし、それ以上の謝罪方法など存在し無いのだから。
それはきっと少年を追い詰める。
それよりもアリアは目の前の少年を助けたいと思ったのだ。
実際彼女がそこまでの事を理解した訳では無い。
ほとんど直観に近かっただろう。
彼女はクルトと森に向かっている最中。
何を何を話したら良いか分からなかった。
彼が何かを抱えている事は分かる。
自分が彼を救いたがっているのも分かる。
だがどうすれば良いか、それが分からない。
だから、彼女は正面から行くことにした。
悪夢と出会った場所。
森の開けている地点まで二人で移動し、アリアは覚悟を決めた。
「あなた...いったい何年生きてるの?」
ずっと気に成っていた事を聞いた。
少年は六歳であるととぼけられてしまった。
話す気が無いのか、警戒しているのか分からない。
だから彼女は自分の秘密を話すことに決めたのだ。
自分の秘密。
何度も人生をやり直している事を話すと、クルトは驚いていたが、どこか納得したようだ。
彼女は未だどうすれば良いか分からない。
「なんで......かな。分からない。ただ、もう誰も死んでほしくない、本当にそれだけ。」
彼女は言った。
これは恐らく本心である。
何度も人の死を見て来た。
死とは空虚である。
人が物に変わった、それを脳が強烈に意識する感覚。
目の前の物体への見方が音を立てて変わっていく不快感。
それは人が感じるには大きすぎる苦痛なのである。
だがきっとそれだけでは無い。
「私が居た。」
「じゃあさ。あの場所に貴方の母さんが居て、貴方は頼れたの?」
「貴方の中に『誰かを頼る』って選択肢はちゃんとある?」
「私はあなたが思っているよりずっと強い。確かに勝てたとは言わないけど、あの魔物の誘導は私がやるべきだった。」
「私のために、私を信用して」
彼女はクルトへそう言った。
それらは全てクルトを慰めるための物であった。
それに嘘はない。
だが、それだけではない。
この言葉は全て在りし日、自分がかけてもらいたかった言葉なのだ。
アリアは周りを頼ってこなかった。
何度も人生をやり直している、その事誰かに話した事は無い。
もっと早くそれを打ち明けていれば幾分かましな結末を辿れただろう。
もっと人死にを減らす事が出来ただろう。
だが、それでも頼っては来なかったのだ。
信用出来なかったのである。
だから彼女はそれを目の前の少年に伝えたかった。
自分と同じ失敗をしないように。
「でもね...頼り方なんて知らないんだよ...」
クルトに言われる。
彼女は確かに......と思った。
頼り方など自分も知らない。
だからアリアはこう言った。
「だったら、私は勝手に助ける事にする。」
「あなたは、死ぬのが怖いし、人に頼る事が出来る。」
この二つの言葉はずっと自分が言って欲しかった言葉。
誰にも言ってもらえなかった言葉。
いや、もしかすると自分と接して来た誰かはそう思っていたかもしれない。
だが、自分で救いの手を振り払ってしまっていたのだ。
しかし、それでもクルトは助けてくれた。
それは偶然であっただろうが、深い沼の中から強引に助け出されたのだ。
彼女にそんな事はできない。
それは自分が一番よく分かっていた。
だから彼とは別の方法で彼を助けようと思ったのである。
それは、相手が手を取るまで手を差し伸べ続ける、という方法だ。
何度拒絶されても自分が生きている限り最大限手を差し伸べ続ける。
幸いにも彼女は我慢強いのだから。
そんな彼女の思いを知ってから知らずか、クルトは恐らく彼が抱えていたであろう秘密について語りだした。
正直彼女にはほとんど理解出来ていない。
だが、クルトがそれに囚われている事はすぐに分かった。
彼女もそうだったから。
だからこそ彼女は「どうでもいい」そう言ったのだ。
どれほど囚われているか、何故それに囚われているのかは結局当人にしか分からない。
だが、その囚われている物は小さいものであると感じさせてあげたかった。
実際それが小さいものなのかはどうでも良い。
ただクルトに、小さいものであると感じさせてあげたかったのだ。
彼女はなぜこんなことをしているのだろうと自分に問うた。
そしてその答えはすぐに出る。
自分は目の前の少年が好きなのだと。
その日初めて彼女に、所謂【好きな人】が出来たのだ。
もし良ければ☆☆☆☆☆から評価。
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