プロローグ「燻る怪物」
俺は今、目の前の崩れたケーキを見ている。
今日は俺の誕生日なのだ。
数年ぶりに誕生日を祝ってみようとコンビニで手頃だが少し平均より高価なケーキを購入した訳である。
俺は一口大にフォークで切り取り口に入れた。
「あんまり美味しくないな...」俺の口から漏れる。
ボロボロの1LDKの部屋。
パチパチと不規則に途切れるライト。
目の前には型落ちのパソコン。
ああ...今日風呂入ったっけ?
そうだ、仕事の準備もしなきゃ...。
「ッ...!」俺の目から涙が溢れる。
俺の精神は限界が来ているようだ。
「はあ...もう大学を出て二年か...」
俺は今年で24だと言うのに情緒は高校生のそれで止まっている。
みんなそうなのか、俺だけそうなのか、それは分からない。
なんとなく今までの人生を振り返ってみる。
俺は昔から頭が良かった。
少なくとも人並以上と言えただろう。
小学校ではもちろん一番である。
中学に上がってもそれは続いたし、高校でもそれが続くと俺は考えていた。
実際それは事実であり、誰にも学力で負けた事は無かったのをよく覚えている。
しかし問題は唐突に起きた。
俺が高校生だった頃、母親が死んだのだ。
俺の学力はほぼ毎日、休む暇なく行われる母親からの、虐待に近い教育によって成り立っていた。
もちろんそんな物無くても俺は賢かった。
だがその狂気的な教育が学力と言う一点では重要だったのだ。
俺の勉強を母さんが監視し、異常な量の課題をだしそれをこなす。
休憩と言えば専らトイレとご飯と睡眠のみだ。
とても狂気的な教育だったと思う。
そして狂気性は己の子供だけではなく自分にも適用されるようで、過度なストレスに長時間晒され心臓疾患によってあっけなく死んでしまった。
いわゆる過労死だ。
母さんから褒められた事は無かったし体罰もあった。
それでも俺にとっては大切な母親だったのだ。
体罰をしようが、虐待をしようが、母親であることに変わりわない。
少なくとも俺は割り切れは居なかった。
今思い返すと、俺の中の『何か』が壊れて行ったのはその時からだろう。
俺は失意のどん底に居た。そんなある日の朝。
父さんは俺にこう言った。
「今まで勉強漬けだったんだ、今からは自由に生きなさい...」と。
家では母さんの方が権力が強く、父さんは実質発言権が無かった。
最初から心の内ではこの教育方針に反対だったのだろう。
だから息子を勉強から解放するためそう言った。
つまり善意からくる言葉である。
だがその一言は俺を深く傷つけた。
閉塞感と圧迫感しかない生活。
寝ても覚めても勉強、明日もその次も一年後も五年後も...。
俺にとって勉強は意味の分からない、永遠に終わらない苦行だった。
だから両親から言われたもっともらしい言葉に縋り、その行為だけが正解だと自分に信じ込ませ、何とか自分を保って行って来た。
それを父さんはあっさりと勉強漬けと切り捨て、今から自由に生きろと発言したのだ。
それはつまり俺の信じた最もらしい言葉は嘘であると、そう断言してしまったのだ訳である。
もちろん父さんはそう言う意味で言ったわけでは無い。
だが、俺の頭はそう受け取ってしまったのだ。
俺の頭は考えたくない事でも、即座に答えを出してしまう。
勉強にはそれが必要だったから。
俺の人生には勉強と言う文字しかない。
しかしその文字は父さんの言葉によって音を立てて崩壊していったのだ。
文字が消えれば残るのは空白である。
今考えるとこれは俺のひねくれた感受性が主な原因であり別に父さんが悪いわけではない。
しかし当時の俺はそこまで賢く
余裕がある状態ではなかった。
そして俺は勉強に対して、
いや、生きるという事に関して急速にやる気を無くし、中堅大学に進学、中堅会社に勤めた。
俺はそこそこな人間になった訳である。
唯一そこそこでは無かったのは人間関係だ。
俺は教育方針もあり友達など作った事はなく、彼女なんて持ってのほかだった。
なぜなら俺は他人の感情が分かるのだ。
もちろん超能力的な話ではなく、
行動、所作、話し方、などからの推測だ。
考えないようにすれば良いと言われればそうかもしれない。
だが俺の頭はそれを許してはくれなかったのだ。
これは幼少期から母さんの顔色を窺って過ごした弊害か
もともとそう言った才能があったのか...。
このある種の呪いを自覚してから俺は他人の目を気にして過ごした。
期待を裏切らないように、と。
なんせ気づきたくない他人の気持ちがダイレクトに読めてしまう。
例えば日常生活でほんの些細な期待。
例えばある日の教室、Aさんは勉強中消しゴムを落としてしまった。
落としてしまったのは俺の足元。
そして俺は気づかずに踏んでしまう。
別に怒る程の事でもない。
ただ少し、ほんの少し期待を裏切られる。
ほんの少しだけ落胆する。
自分では気づいてすらいないだろう......
しかし俺はそれに気づいてしまうのだ。
その落胆が俺が高校で学年一位から失墜した時の、酷く落胆した母さんとダブって見えた。
一度や二度なら別に俺の精神に影響は無い。
だがそれは一生俺が生きている限りついて回るのだ。
俺はそれが恐ろしく、全員の心を予測して生活した。
嫌われないように、期待を裏切らないように、能面のような笑顔を携えて、有能な人間を演じる。
そんなことできないくせに。
俺は相手の心情を読み相手に合わせて生活する。
そのくせ相手は俺のことなど気にせず生きている。
俺はこの事に疲れていき、次第にコミュニケーションを避けていった。
俺は多分怖かったのだ。
俺はきっと誰よりも怖がりなのだ。
誰かのために生きるほか生き方を知らないしそれしか教えられて来なかったのである。
そうこうしているうちに父さんが死んだ。
原因は...何だったか...?特段悲しくは無かった。
俺はもう壊れてしまっていたのかもしれない。
ただただ生きずらかったように思う。
まあ...端的に一言で表すなら、『落ちぶれた』か。
「俺...なにやってんだろうな...」
思わず自分に自問自答し、目を瞑る。
ああ...そうなんだよな。分かっている
両親はきっと毒親と言われる部類だったのだろう。
でも、だとしても今目の前の惨状はきっと自分のせいなのだ。
事実俺はれっきとした大人なのだからな。
でもどうしたらよかったんだろう?
どこで間違えてしまったのだろう?
思い返してみても分からない。
ああ...神様...願わくばもう少しだけ、何とか...何とかしてくれないだろうか。
俺が咄嗟に行ったのはただの神頼みである。
特に何か具体的な物を祈った訳では無い。
ただ、何とか、何とかしてくれ。
この世界から解き放ってくれ。
この状況を少しでも好転させてくれ。
「俺を...終わらせてくれ...」
俺の口から無意識に漏れる。
そんな事を思いながら、俺は目を開けた。
いつものボロボロの部屋が視界に移る。
そのはずだった。
そこには草原があった。
「......え?」俺の口から漏れる。
そこは見た事も無いくらい果てしなく続いている草原。
所々に花も見える。
「俺の...部屋は?」
理解が出来ない。
意味が分からない。俺は焦り、周囲を見回す。
そこにはパソコンがあるはずだった。
「......は?」
そこにあったのは【赤子】だ。
巨大な赤子のオブジェクトが置いてある。
高さは4~5メートルぐらいだろうか。
そして赤子には【首】が無くその断面は苔むしている。
赤子の質感は粘土細工のようだ。
「どういう...」俺の口から零れ落ちる。
理解ができない。さっきからこれは一体何なんだ?
そんな事を思って居た時だった。
「私は楽園に戻らなくてはいけない」
俺の耳元で声が聞えた。
俺は咄嗟に声の方を見る。
そこには少女が居た。
12歳程度だろうか。
俺は最初に目に入ったのは、
長い漆黒のような髪。
夜が剝き出しになったような色だ。
見た事も無い濃度の黒色。
「ッ...!」俺は思わず息を呑む。
心臓がバクバクと大きく鼓動しているのを感じる。
まずい。
何がまずいかは分からないが、これはまずい。
俺はそう思わせる程の恐怖を感じていた。
高いところから落ちると怖い。
暗いところは怖い。
そんな根源的な恐怖だ。
俺の目は自然と少女の顔へ向かう。
そして気づく。少女の顔が視界に入らない事に。
視界内に捉えようとすると魔法のように勝手に視界が外れていくのだ。
「誰...ですか......?」恐る恐る聞いてみる。
「私は楽園に戻らなくてはいけません。ので約束を果たしに来ました」
視界外の少女は言う。
その声は透き通るように美しく、まるでこの世の物では無いような気がした。
「どういう......」
「ああ...貴方はもうすでに...至っているのですね。奇特で奇怪で愚かな諤ェ迚ゥに」
その言葉のような物が聞えた瞬間。
視界に少女が映るようになる。
彼女の全貌が初めて見えた。
異常な程美しい顔に白色のドレスに近い物を着こんでおり。
そのドレスの裾や袖に血に近い何かが付着していた。
俺が少女を見ていた瞬間。
「ブフッ...!」俺の口からドロリと
塊のような血液が出る。
見ると少女の腕が俺の腹を貫通していたのだ。
「ハッ...」少女が手を引き抜くと同時に情けない声が漏れた。
何だ...?さっきから一体何が起きてるんだ?!
足に力が入らない。
俺は地面に倒れ込む。
不思議と痛みは無い。
視界が急速に狭まっていく。ああ...死ぬ。
俺はそう直感した。
なぜだろう。俺の頭は異常な程冷静に死を受け入れていた。
こんな意味の分からない状況で死に直面しているのに、
余り混乱していない。
諦めに近いだろうか。
俺の頭が死を受け入れていく...その時だった。
俺の頭に疑問が浮かぶ。
俺の人生は一体何だったのだ?
俺の人生は母さんの操り人形。
俺は一日とも自分の意思で生きていない。
俺の人生は結局何だったんだ?
競って、争って、戦って、傷ついて。ああ...もう少し自由に生きていたら...
いや、そうじゃない。
「もう少し...平和に......生きられたら」
俺の口からこぼれる。
そうか俺は平和に安らかに生きたかったのか。
なぜ...こんな簡単な事今まで気づかなかったんだろう。
俺にとって勉強は戦争だった。
精神をすり減らし、自分の中の全てを使い。
そして勝利して来た。
願わくば...次があるのなら平和に。
「私は楽園へ...みんな見ていてください。すぐにそこへ戻りますから。」
異常に美しい声が俺の耳に入る。
俺の意識はそこで落ちた。
――
俺は目を開ける。
開けているはずなのに何も見えない。
真っ暗だ。
何だどうなった?落ち着けまずは状況確認だ。
暖かい...目はが開かない。
体も動かない。神経系がやられたのか?
液体のようなものに包まれてる?
俺の血液?
落ち着け...大丈夫だ。
根拠は無いがそう自分に言い聞かせる。
これが俗に言う死後の世界というものなのだろうか?
分からない。
まあ...考えても仕方ないか。
そうこうしてるうちに俺は
全身に締め付けられる感覚を覚えた。
なんだ?何が起こってる?
そんな事を思って居ると、視界が開ける。
俺の目に飛び込んで来たのは見知らぬ男女だった。
男性の方は優しそうな黒髪での少し老けている。
どこの小学校にもいるような優しそうな先生と言った風体だろうか。
そして女性の方は、長く艶のある茶髪で目つきが鋭い。
服の上からでも確かな筋量が見える。
美しい...パリコレモデルみたいだ。
よく女性の方を見ると
胸に蒼色の綺麗な装飾がなされたペンダントをしている。
すると女性の方が俺の視線に気づいたのか、
何かを喋りだした。
「■■■■■■」
何を言って居るのか理解できない...
日本語ではないよな。
すると男性の方も受け答えるように喋り出す。
「■■、■■■■■■■■■■」
やはり聞き取れないか...。
だがなんとなくだが優しい言葉のような気がするな。
俺がそんな事を感じていた時だった。
「ッ...!」俺は唐突に強烈な眠気を感じる。
なんだ...?抗えない...。
そうして俺の意識そこで落ちた。
もし良ければ☆☆☆☆☆から評価。
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