46.夢から覚めて
「お、お茶……」
現実に戻って私は息絶え絶えに言う。
「はい、ただいま!」
そして傍付きのシェリアによって大量のお茶を飲まされることになった。
違う、そうじゃない。
でも高熱で苦しむ体に水分は何よりも薬だったようで、私の体調はみるみる回復した。
そもそも急に熱を出して寝込むということ自体が納得いかないのだけれど。
それ以上に釈然としないのが私がマリアンとして生きるようになった理由だ。
本物のマリアンとの会話は現実では無く、私の妄想や悪夢の類かもしれないけれど。
あれが本物だとして彼女は立派なお花畑ヒロインだった。ただ踏まれたら折れるようなタマでは無かった。
確かに毎日泣いていたが、泣いたらそれでスッキリするタイプだったのだろう。
愛してないと言われても、一年耐え続けたのはフェリクスに対しそこまで愛されたいとは思ってなかったから。
彼の顔と雰囲気は大好きと言っていたので、顔さえ見られればそこそこ満足だったのかもしれない。
何より嫌いな王太子子息との婚約を回避する為の避難先の意味が大きかった。
「お花畑ではあったけれど、咲いてる花の種類がちょっと違ったかな……」
私はそう言いながら自室で日記帳をめくっている。熱が下がってから二日経過していた。
まだ安静にしているよう言われているのでこうやって部屋で出来ることをしている。
マリアンの日記帳の読み返しとかを。
夫に愛されなくて悲しいけど耐える私みたいな文章の羅列に目が滑る。
想い自体は嘘では無いのだろうけれど、やっぱり自分に酔っているなと思う。
そう感じることに謎の申し訳なさを感じることが無くなったのは有難い。
私の中にある本物のマリアンの記憶ってこの日記帳と同じなのかもしれない。
実際に体感したわけでは無くて、本を読んで知識を得て共感するような感じ。
でもその共感がところどころ出来なかったけれど、その理由も夢で分かった。
何より重要なのは私が元のマリアンに戻るというのは無さそうだと言う事だった。
つまり離婚協議を進めている最中、急にフェリクス様大好き別れたくないとか言い出す可能性は消えたということだ。
彼女は天国でフェリクス似の天使と仲良くやっていくだろう。
自分を愛さない夫のいる現実世界に戻る気なんて皆無のようだった。
つまり私は身代わり人生を押し付けられたようなものだ。
今更ながら文句ぐらい言っておけば良かったと思う。
彼女に言っても「わたくしにはどうしようもできないの」とか涙目で言いそうだが。
そう、本物のマリアンの発言が事実ならどうしようもないのだ。
本来は寝たきりになるだけの予定が殺されてしまったのは彼女の意思では無い。
「殺された、ね……」
私は呟きながら最新の日記帳をめくる。
お茶を飲んで倒れた日については残念ながら記載されていない。
マリアンは夜寝る前にハーブティーをお伴に日記を書くのが日課だったからだ。
そしていつもお茶を淹れてくれるのは侍女のシェリアだった。
けれど、あの日は違う。
彼女はマリアンの頼みで夕食前まで街に出ていた。シェリア本人に確認した。
つまり倒れる直前のお茶を淹れたのは彼女では無い。
そして。
「やっぱり、日記帳の何ページかが破られてる……」
病み上がりの体に悪寒を感じた。
しかしただ捲っていただけではそれに気づかない。
力任せではなく丁寧に根元から破いて行った感じだ、刃物を使ったのかもしれない。
つまり犯人は伯爵夫人室にある程度長い時間落ち着き払って滞在出来た人物だ。
でもそれだけだと犯人は特定出来ない。
先日の件で判明した通り部屋の鍵は複数人が持っている。
せいぜいアンベール伯爵家の中の誰かだろうと予想できるぐらいだ。
そして奪われたページに何が書かれていたのか思い出せない。
そこだけ持っていかなければならない理由が分からなかった。
私は日記泥棒捜しを一旦保留する。
他にも犯人を捜さなければいけない案件があるからだ。
「マリアンに眠り薬入りのお茶を提供したのは誰なのか、よね……」
実はこれはもう有力な犯人候補がわかっている。
メイドのマーベラだ。
シェリアが伯爵邸を不在にしている時は彼女がマリアンの用をこなすことが多かった。
職務に忠実なのがその理由では無いだろう。
マリアンに親切にすると物が貰えるからだ。
心優しい伯爵夫人を演じようとしていたマリアンは使用人たちに愛想と物を振りまいていた。
でも今はそれ以外にも理由があるのかもしれないと思う。
マーベラが日記帳を損壊した犯人も兼ねているなら色々納得が出来るのだ。
「最初は、マーベラが留守中に侵入したのかと思ったけれど……」
私はシェリアに淹れて貰ったハーブティーの残りを飲み干すと呟いた。
マーベラが私に眠り薬入りのお茶を飲ませ眠らせた理由。
それが眠っている間に日記帳を丁寧に破いてページを盗む為なら辻褄が合う。
問題は彼女がそれをする理由が思い浮かばないことだ。
マーベラはフェリクスに纏わりついていた。愛人関係だと誤解してしまうぐらいに。
彼女の方は恐らく求められたなら応じただろう。
だからフェリクスの妻であるマリアンを敵視するのはわかる。
けれど日記を盗むのはわからない。
事情を聴取したくてもマーベラはフェリクスにクビにされた後失踪してしまった。
よく考えるとそれもおかしな話だ。
失踪などせず普通に屋敷を出て行けばいいのに。
ついでに言うとフェリクスが彼女をあっさり辞めさせたことにも違和感を覚える。
マーベラ以上に非常識なアーノルドが平然と筆頭執事を続けていられるのだ。
フェリクスはアルマ姉さんを怖れていた、その場でアーノルドにクビ宣告するのが自然なくらいに。
でも結局しなかった。
マーベラへのクビ宣告とアーノルドの執事保留、どちらが彼にとってイレギュラーだったのだろう。
そんなことを考えていると扉が外から叩かれた。




