35.有り得ない話だと
「私にも読ませて貰っていいかしら」
フェリクスと私の間に割って入るようにアルマ姉さんが言う。
「……どうぞ」
断る理由も無いので手に持っていた日記帳を彼女に差し出した。
アルマ姉さんはそれから無言で頁を捲る。
フェリクスと会話する気にもなれなくて部屋を沈黙が満たした。
どれぐらい時間が経っただろうか。日記帳を閉じる音と共にアルマ姉さんが顔を上げる。
私もフェリクスも彼女に視線を移した。
そんな私たちを生徒を見る教師のような顔で見つめ返し彼女は口を開く。
「……色々言いたいけれど、まずマリアンが勘違いしていることから伝えるわね」
「私が、勘違い?」
心当たりは無かったので戸惑いながら聞き返す。
「貴方は公爵家の権力で無理やり結婚したと思っているみたいだけれど、寧ろ乗り気だったのはそちらの家の方よ」
「えっ」
「当たり前じゃない。お父様が溺愛している貴方を、繋がっても何の得にもならない三十路男に嬉々として嫁がせたがると思う?」
当人であるフェリクスを前にアルマ姉さんは平然と言う。
でも私には父や長兄に彼との婚約や結婚をねだる以前の自分の記憶が残っている。
「それは、私がどうしてもって頼んだから……」
「そうね、だからお父様は折れて伯爵家に話を取り付けた」
「だったら……」
「でも全く乗り気では無かった。縁談の話をそちらの伯爵様に持って行った時もそれを隠しもしなかった筈よ」
アルマ姉さんはチラリとフェリクスを見た。
彼は何も言わない。彫像のように押し黙っている。
「つまりお父様は断って欲しかったのよ。可愛い娘の為に努力はしたけど相手から断られたって形にしたかったの」
「なんでそんなややこしい真似を……」
「貴方に嫌われたくなかったのよ、それにあの伯爵様はある時期から縁談は全て断っていたみたいだしね。だから今回もそうなると思ったみたい」
でもそうはならなかった。アルマ姉さんは溜息を吐く。
「アンベール伯爵が縁談を受けたことを責めるつもりは全く無いわ。父の真意や小狡い打算なんて伯爵家には無関係だもの……でも決して無理強いはしていない、そうよね?」
「……はい。フェーヴル公爵は断って欲しそうでした」
フェリクスが固い声で返答した。そんなこと知らない。私は混乱して何も話せなかった。
「アンベール伯爵の先程からの態度を見ていると空気を読めないなんてことは無いみたいだし。リンツから人となりは聞いていたけれどやっぱり直接顔を見るのが一番ね」
「リンツ兄さん……」
「そうよ、リンツは伯爵と元級友だもの。だからこそ疑問なのよね……アンベール伯爵様?」
「……何でしょうか、大公夫人」
「断っても何の問題も無い縁談を断らず、結婚した後で即マリアンを冷遇したのが不思議なのよ。それを知ったら父もリンツも怒るだろうし伯爵家の立場も悪くなるでしょうし」
「それは……」
「それともマリアンが実家に泣きつかないと思っていたのかしら? 実際一年は耐えたものね? 貴方の弟が余計な事をしなければ実家にも戻らなかったかもしれない……貴方の弟が、ね」
弟とアルマ姉さんは繰り返す。そこに怒りのようなものを確かに感じた。
「貴方が今回の縁談だけ受けたこと、なのにマリアンに初日から冷たくし続けたことと……伯爵家の次男が離婚して出戻ってきた事と何か関係はあるのかしら?」
「ラウルは……関係、」
「まさか前の婚約者のように相手を兄から弟に代えるつもりだったなんて、ふふ、流石に有り得ないわよね……有り得ないと言って頂戴?」
姉の言葉に、しかしフェリクスは答えなかった。それが答えだった。




