10.貴方なんて呼んでいませんけど
「はぁ……いたた」
「お嬢様、無茶をなさるから」
自室に戻り侍女のシェリアに手当をして貰う。
血が出た訳では無いので肩と手の二か所に湿布を張って貰った。
「薬草の独特な匂いがすると思いますが、数日は我慢してください」
「わかったわ、手の方は完全に自業自得だものね」
私がそう言うと薬箱を片付け始めたシェリアが僅かに眉を顰めた。
「でも私、伯爵様は手を上げられても仕方がないことを仰ったと思います!」
「そ、そうね」
冷静な彼女らしくない語気の強さに戸惑いながら同意する。
フェリクスの発言は確かに失礼過ぎた。
私が彼を愛さなくなったのは弟のラウルに心変わりしたからではと疑ったのだから。
相手に問題があって別れを切り出したら「他に好きな奴が出来たんだろ」と言われる。
これで腹を立てない人間って聖人ぐらいでは無いだろうか。
「確かに急に離婚を切り出したとは思う。何があったと驚くのは仕方無いかもしれないけど」
「急ではございませんよ。一年以上伯爵様に冷遇されて心が耐え切れなくなっただけです」
シェリアに言われてそうかもねと返した。
私が前世の記憶と人格を取り戻したのは、耐え切れなくなったマリアンがバトンタッチしたのかもしれない。
彼女はフェリクスを愛していたから冷たくされても我慢した。
愛していないと毎日言われても期待を捨てられずに妻で居続けた。
でも心は限界で、解決策として私に切り替わったのかも。どういう仕組みかは知らないけれど。
フェリクスを愛していない私なら、彼に別れを告げられる。
「確かに溜まってたのが一気に爆発した感じかも。びっくりするかもしれないけど本当に恋心が消えたのよ」
「愛というのは一瞬で冷める場合もございますからね」
「そうね、旦那様がそれを理解して離婚に応じてくれればいいけれど」
私が苦笑いしながら言うと、シェリアが考え込む顔をした。
「お嬢様、その件なのですが……」
「何?」
「伯爵側はもしかするとお嬢様とラウル様の不義をでっちあげるかもしれません」
侍女の言葉に私は唖然とする。
「は?」
「先程伯爵様が関係を疑う言葉を仰っていましたし」
「だっ、誰がそんな出鱈目を信じるって言うのよ!」
「伯爵様は信じそうですが」
怒りながら反論するがシェリアは冷静だった。
実例を挙げられ私は言葉に詰まる。
確かにフェリクスは信じるかもしれない。というか既に疑っていた。
「なら伯爵邸を出るまで私は一切ラウル様とは会わないことにしましょう」
「そうですね、可能なら離婚前に一度公爵邸にお戻りになるのはいかがでしょうか」
「いいわね、それ。早速お父さまたちに手紙を書きましょう」
いわゆる実家に帰らせて貰いますという奴だ。
公爵家は両親と後継の長男夫婦が暮らしている。一応その両方に手紙を書くとするか。
私が机から便箋を取り出そうとすると、扉が外から叩かれた。
もしかしてフェリクスだろうか。
先程手当するから退出すると言ったのを、手当が終わったら戻ってくると勘違いしたのかもしれない。
それで中々戻ってこないから呼びに来たとか。
「あの、旦那様。私今から用事が……」
私はやれやれと溜息を吐きながら扉を開ける。
そこに居たのはラウルだった。




