花人
今日私は規則違反をしたために首を落とされる。きっと、地獄逝きだろう。
すき間から見えるは満開に咲き乱れる桜の木々。侘しさを知らない桜の木々はくすくす笑う女人たちのようだ。地面は素足のまま歩くと暖かく、ぬくもりを感じる。空気を吸えば湿ったような土の匂い。
植えられた桜の木は春風に吹かれ、淡い色の花弁を落としている。花弁は先にいる仲間たちと地面で合流し、まばらに広がる絨毯の一部になる。
私は今まで家族の食い扶持のために本家の遠縁として怪異を狩っていたが先日誰かの仕業で過ちを犯す羽目になった。その後、気づいてすぐにその場から逃げたものの結局、捕らえられてからほぼ丸一日なにも口にしていないせいで首と胴体が永遠の別れを告げるより先に飢え死にしそうだ。
白梅と同色に身を包んで今、お仕置場の階段を上がる。白い布の覆面をし、さらに言葉は発せられないように布が口元に何重にも巻かれている。その上、後ろで手を縛られているのだ。両脇を力強く握られて先ほどから痛い。乱雑に舞台へと連れてこられた挙句、座布団も無しに砂の上で正座をする。
なんて酷いぞんざいなんだ。あっちからすれば罪で死ぬ人間に対して丁寧な対応などしなくていいからだろうが、扱いは家畜の鶏でも良いだろう。
───心の臓までを震わせる大太鼓が響いた。
「解玉党に属する身でありながらこの世なる者を斬った重罪でこれより百々倉蛍を打首にて処する。下手人のツバメは前へ」
「御意」
背後から低い男の声が聞こえた。例えるなら口調は風鈴のように聞き取りやすく、声質は揺れる木の葉の様な爽やかさを持ち合わせている。
軽快で不規則な下駄らしき木の音が真後ろまでせまった。スーッと聞こえる鉄の静かな音が真後ろで聞こえる。
抵抗する気力も無くした私は清く世を去る気持ちでいたはずだったのだが、意外にも体が小刻みに震える。最後に垂れ下がる布の下でそっと目を閉じると鼓動を全身で感じる。心地の良い風が着物のすき間を通り抜けてどこかへ行く。今か、今かと、冷汗三斗の思いで時を待っているがまだ痛みはない。
「早うやらぬか。」
前方から男のくぐもった声が聞こえる。
目隠しとのすき間に指先と刀先を入れられ、紐の結び目が切られた。目隠しはひらりと下へと落ちる。さらに口元の細い布と手の紐は両方とも一気に切られる。
正面を向くと叱りつけただろう肉置きの良い中年男が赤鬼にでもなりそうな顔つきで立ち上がったのが見えた。私の前に移動した手下人の刀は未だ抜かれたままだ。顔を覗くとそこには海のように深い群青色の目があった。
「嫌だ…と申せばどうなる。」
男と手下人はお互いに睨み合っているようだ。
「お前の代わりはいくらでもいるぞ」
男が鼻で笑ってそう言い放つ。薄笑いをし見下しているが内心、油断できないようで僅かに震える左手を刀のつば部分に添えているのが遠くからでも見える。
なんだこの男は言葉だけか。
気づけば、中年男のさらに後ろ。一番奥の屋根の下には先ほどから偉そうに高みの見物と言わんばかりに脇息を使ってくつろいでいる人物がいた。しかも片手にキセルときた。どうみてもそこ中年男よりも格上の人物だが、なにも言葉を発さない。ただ悄然として神や仏の如く面白そうに事柄をぼんやりと眺めている。
「ハハハッ。あー本当に笑えますね。お生憎それは貴方の方ですよ。さぁて耳かっぽじってよくお聞きなさい。自分は福庵家の次男であり今後あなた達の指南役になる」
男の微笑の顔が一瞬にて萎縮した。
「ご当主それは誠か!」
肉付きのよい男と他にいた数えるほどの異年齢の男たちが皆、愕然として身を一斉に横へと首をまわして答えを待った。ご当主はそんなことなどよそにのんびりとキセルの煙が去るのを愉しく眺めていた。
熱せられた針のような視線が自分へ集まっていることに気づくと一つため息をついてやっと立ち上がり重たい足つきで下界へと降りてくる。
「はあ、馬鹿な愚弟を持ったお陰で困ったもんだ…で?お前はどうするつもりだ。」
手下人と同じ群青色の目に太陽の光が差し込む。
「そうだ。私のことはどうするつもりなのですか」
乾坤一擲のこの機会、逃せば墓場に全てを持っていく事になる。拷問にでもかけられれば私は自殺でもする他ないのだろうか。
「では、この者を生かして私めの補佐役としましょう。もちろん問題が生じれば処罰を致します。ただ内容に関してはご当主がお決めになってください。」
「ツバメにしては面白いことをするなぁ。だが、その時にお前が入る余地はないと心に留めておくんだぞ」
「もちろんですとも」
雁首を手下人に真っ直ぐ向けていたが、予想通りの返事が聞けて安心したのかまた口に運ぼうとした。
しかしそこで誰かが口を開く。
「コホン…和やかに話されていますがコレが指南役の下っ端ですか?それに違反者を赦免し生かすとは如何なものかと…今後またこのようなことが起これば規律が乱れます。こんな事態、自分は反対しますよ。」
一人だけやけに若く、キリリとした目を持った者が諌める。皆がこのように言い出す若者がいるところに目と耳を疑った。
この小僧、皆が思っている事を正面突っ切って言うたぞ…と。
でも、私からすればよくぞ可哀想な命を切り捨てようとしてくれるな…だ。
言いたいことは一つや二つその程度ではないのだが、私が下手にいえば何が起こるかわかったものじゃない。それに放埒な人間としかこの目には見えないご当主はいったい何を考えているのかわからん。今あるのはこの前に立つツバメという一縷の望みのみたのだ。
「本来生かしてはならない違反者だ。私とてあまり生かしておきたくないが、この数年わたし達一族からも物怪師の素質がある人間は減り続けているのだよ。それなのに狩る対象は増え続けるばかりなんだ…はぁ、困った困った。この煩悶どうするべきかな。お前様?」
先程までのご当主の愉快だとそう書いてあった和やかな顔に影が差した。吐いたキセルの煙は風に攫われていく。
「自分が愚直でした。」
若者は急いで頭を下げてちらりとご当主の表情を見やる。
一応これで私の命はなんとか拾われたということになったようだ。自分も頭を下げなければな。
「ご当主、指南役の御二方に心から感謝致します。この恩忘るることは御座いません…」
深々と地面の下げた頭を少し経ってから上げた。
今、こうやって見ると私を捕まえた男達も少なからず居る。その者たちはより一層眉間にシワが寄っていた。誣告するどころか残念だったな。
「兄様、この対価は然とお支払いしますのでご安心を」
「お前ほど信頼している者は居ないぞ。」
「えぇ、十分に知っておりますとも。さ、行きますよ蛍。」
振り返ってしっかりと見つめるその瞳。
私は貴方について行く───。そう決めた。
「一生お仕えいたします」