60.父の願い
エルティアにはその光景がまるでスローモーションのように見えた。
「ぐはっ……」
堕天使ルーズから放たれた闇の衝撃弾。避け切れないと立ちすくんだ彼女の前に、その褐色の肌に美しき四枚の翼を持つ魔帝が現れ彼女を守った。純白だった翼はにじみ出た血で赤く染まり始めている。
「ガルシア様ーーーーーーっ!!!!」
倒れた主の元に顔色を変えて駆けつけるアルベルト。自暴自棄になっていた幼き自分に声を掛けここまで育ててくれた恩人。彼にとっては父親そのものでもあった。アルベルトが倒れたガルシアを抱き涙を流して言う。
「ガルシア様、大丈夫です。この程度、なんてことは……」
しかし闇の弾丸が貫通した胸の穴からどくどくと流れ出る鮮血。そこは急所。さらにその前の戦いですでに多くの被弾をしており、明らかに命の灯が消えようとしていた。
「魔帝ガルシアが、なぜ私を……」
そんなふたりの傍で呆然と立ち尽くすエルティア。『百災夜行』の首謀者であり魔物の頭領。その敵であるはずの男がなぜ自分をかばったのか。
「エルティア様……」
「姫様、大丈夫か!?」
そこへ立ち上がったルーシアと共に駆け付けたウィルが来て声を掛ける。倒れる天使族。それに涙する弟のアルベルト。ウィルが尋ねる。
「アル、そいつはお前の大切な人なのか?」
アルベルトが涙を拭いながら答える。
「はい、私の恩人です……」
沈黙。状況が理解できないバルアシアの面々。だがそこに倒れるのは魔物のボスとして君臨していた邪悪な存在ではなく、神々しい翼を持つ気品すら感じる天使族の姿。絶命しそうなガルシアを見ながらウィルが言う。
「分かった。じゃあ、俺が治療を……」
そう言ったウィルをガルシアが手を止めて制止する。そして言う。
「それは必要ない。私は、私は……」
擦れた声でガルシアが言う。
「もう十分生きた。これからは新しい勇者の下、皆が力を合わせ未来を掴まなければならない」
「ガルシア様! 私にはまだガルシア様が……」
涙声で言うアルベルトにガルシアが答える。
「もう逝かねばならぬのだ。皆が向こうで待っている。そして私の『六星』の力は……」
ガルシアがエルティアを見つめながら言う。
「エルティア。お前に引き継がれる」
(!!)
震えた。エルティアは全身を震わせた。
ラフレインやハクから聞いた『天使族ガルシア』。古の時代勇者アルンと共に魔王と戦った伝説上の『六星』。初めて会った時は恐怖しかなかったのだが、今は違う。温かく優しいオーラ。そう、その優しさはまるで、
――父親のよう
「あ、あの、それは一体どういう意味で……」
もう分っていた。だがそう尋ねざるを得なかった。ガルシアは最期の時を迎え、最高の笑顔で勇者ウィルに言う。
「勇者様、我が娘と……」
エルティアに目をやり、そして涙を流すアルベルトの頭に手をやり言う。
「息子を、頼みます……」
「ガルシア様!? ガルシアさ……」
目を閉じたガルシア。アルベルトの呼びかけにも答えず静かに息を引き取った。
「ガルシア様ああああああああ!!!!」
アルベルトは涙を流し号泣した。
厳しく、些細なことでもいつも叱られた。だがアルベルトにとっては自分達を捨てた親に代わって育ててくれた恩人。厳しさの中にもいつも優しさがあった。
「そんな、魔帝ガルシアが、私の父だと……」
そしてもうひとり。魔帝ガルシアの横で呆然とする女性エルティア。
ガルシアが古の『六星』ではないのかという話は聞いていた。それがなぜ王都を襲うような愚行をしていたのかも分からない。
だが自分の盾になって逝ったその男。会話を交わしてすぐに気付いたその包容力。紛れもない。彼こそが幼少期に母親と自分の前から消えた父。自分に鉛色の翼が発現する理由もそれで合点が行く。エルティアがガルシアに背を向けて内心つぶやく。
(散々私と母を悲しませておいて、最後の最後に父親らしいことなど……)
心の整理がつかない。エルティアの中にある憎き父親と現実の父親が交わらない。
「エルティア、様……」
そんな彼女に黒騎士アルベルトが顔を上げ声を掛ける。背を向けたまま無言のエルティア。アルベルトが言う。
「ガルシア様はずっと勇者様を探しておられた。魔王復活を知り、現世で平和を守る勇者様を」
黙って聞くエルティア。
「だからあえて自ら悪役を演じられた。魔物襲撃を繰り返せばいずれ勇者が現れる。その信念でガルシア様は人間を襲った。殺さない程度に」
その話を聞く皆の中でこれまでの不自然だった『百災夜行』の意味が理解されていく。アルベルトが言う。
「だから、あなたの前には現れなかったのだと思います。真意は分かりません。だが私はそう思います」
沈黙。背を向けたまま黙るエルティア。王都を、王城をこれまで一度も破壊しなかった理由も分かった。何故ならそこには、
(私と、母上が居たからなんだ……)
振り返るエルティア。横たわるガルシアを前に涙声で言う。
「やっと会えたというのに、もう居なくなってしまうなんて……」
エルティアがガルシアの体に顔を埋め小声で言う。
「最低な父親だ……、うっ、ううっ……」
そして声を殺してむせび泣いた。
「あはははっ、やったぞ。ついにやったぞ!!!」
ガルシアの攻撃を受け地面に落ちた堕天使ルーズ。瀕死の重傷を負いながらもエルティアを狙った攻撃は、最も憎きガルシアが身代わりとなって受け絶命した。思わぬ展開で長年の怨恨を晴らせたルーズ。
だが同時に彼自身も今、これ以上のない窮地に追い込まれていた。
(あまり喜んでいる場合じゃない。早く逃げなきゃ、勇者に殺される……)
動かぬ体。仇敵ガルシアを葬ったが今この場には勇者とその従者『六星』が多数いる。すぐに逃げなければ確実に殺される。
「あいつは許せぬ……」
そんな中、ゆっくりと立ち上がったエルティアが剣を片手に倒れているルーズを睨みつける。父親の仇敵。人類の敵。自らこの手で葬らなければ気が済まない。ウィルが言う。
「姫様、ちょっと待って……」
「大丈夫だ、ウィル。私は今気力体力ともに充実している。『六星』としてあやつを葬る」
エルティアははっきりとその左胸に疼く星のアザを感じていた。父ガルシアから受け継いだ『六星』。新しき勇者の下、溢れ出る力を抑えられない。
(あ、あいつは……、そうかガルシアの娘か!!!)
対するルーズもエルティアから発せられるオーラから、彼女がガルシアの娘だと気付いた。だが今の自分では戦うことなど不可能。逃げようとしても体が動かない。致命傷の傷。怒りの炎に包まれる新『六星』の前に体の震えが止まらない。
「貴様だけは、許さん!!!!」
エルティアが剣を振り上げ一気にルーズへと駆け寄る。その目にも止まらぬ素早い斬り込みに、ウィルをはじめ戻って来たハクやラフレインなど皆が驚く。だが彼女の剣が仇敵に届くことはなかった。
ドオオオオオオオオオオン!!!!!
「きゃあ!!」
突然の爆発。エルティアとウィル達の間に起きた爆発。状況が理解できない皆が見上げた空に、その爆発の元凶が現れた。
「バ、バーサス様!!!」
復活した魔王バーサス。美しき黒き肉体を持つ破壊と殺戮の魔王。初めて姿を現したその最強の魔王が、ゆっくりと倒れたルーズの元へと降り立つ。ルーズが言う。
「も、申し訳ございません。このような失態を……」
バーサスが尋ねる。
「今日の私の肉美は何点だ?」
「え? あ、ああ、その……、満点でございます……」
死にかけているのに一体何の問答なのかとルーズが内心思う。バーサスが言う。
「よかろう。すべてを許そう。一旦戻るぞ。ここには厄介な連中が揃っている」
そう言って離れた場所にいるウィルをじっと見つめる。
「ウィル様、あれはまさか……」
ウィルの傍にいたルーシアが震えた声で言う。圧倒的な威圧感。迸る邪気。見ているだけで力を奪われそうな絶対的な悪。名乗らなくても皆はその存在が何かを理解した。ウィルが答える。
「ああ、あれはやべえ奴だ。マジ、魔王って感じだな……」
そう答えながらもその近くで爆発によって倒れたエルティアに視線を向ける。
「姫様、助けてくる!!」
「あ、ウィル様!?」
そう言って駆け出したウィル。すぐにバーサスがそれに気付いて言う。
「すぐに退くぞ。だがこの女は利用価値がありそうだ……」
そう言って近くで気を失って倒れているエルティアの体を片手で掴んで抱える。それに気付き目を覚ましたエルティアが大声で叫ぶ。
「え、これは!? な、何をする!? 放せ、放せっ!!!」
ウィルが叫ぶ。
「何やってんだ!!! 姫様を放せーーーーーっ!!!!」
手にした黒き剣。力を吸って攻撃力が上がる魔剣。ウィルは全力でエルティアを抱えるバーサスに斬りかかった。
カン!!! バキーーン……
「え?」
バーサスがその剣を拳で打ち砕く。青赤の双剣を手に入れてから久しく経験のなかったこの感覚。魔剣と呼ばれる黒き剣でも勇者の力、そして魔王の拳には到底勝てるはずもなかった。
ドオオオオオオン!!
「うがあああ!!!!」
バーサスの強烈な爆撃。自分の腹部で起きた爆撃にさすがのウィルも後方に吹き飛ばされる。
「ウィル!!!!!」
間近で見たエルティアが悲鳴に近い声を上げる。
「ウィル様!!」
「ウィル!!」
「兄様!!」
「あなたっ!!!」
『六星』達が勇者の危機に一斉に駆け出す。地面に倒れるウィル。バーサスはエルティアを抱きかかえたままもう片方の手でルーズを掴む。そしてそのまま宙に舞い上がり大声で言う。
「いずれ勇者とその従者共を滅ぼす。その時までこの女は預かった!!! ふはははっ!!!!」
そう高笑いしながらバーサスは空の彼方へと消えて行った。
「ひ、姫様。クソっ!!!!」
ようやく立ち上がったウィル。だが情けないほどの失態を演じ、悔しさのあまり地面を思い切り殴りつけた。




