59.魔帝と呼ばれた男
「兄様、兄様、良かった。生きていてくれてて……」
漆黒の鎧を纏ったアルベルトが両膝を付き涙を流す。死んだと思っていた兄。それが生きていた。同様に目を真っ赤にしていたウィルも頷きながら言う。
「お前もだ、アル。本当に生きていてくれて嬉しい」
「兄様……」
アルベルトが顔を上げてウィルを見つめる。その顔は昔のまま。自分を見つめる優しい瞳はあの頃とずっと変わっていない。ウィルが尋ねる。
「それより、アル。一体何があったんだ? こんな黒い鎧を着て……、ん?」
そこまで言ったウィルがあることを思い出す。
「なあ、アル。お前ちょっと前に王都に来て暴れてなかったか?」
「あ、はい。行きましたが、めっぽう強いゴリラに撃退されました……」
自分は兄の前では一体どれだけ素直になるのだろうとアルが苦笑する。ウィルが言う。
「あー、やっぱりあの時の黒騎士か!! あのゴリラ、俺だったんだぞ!」
「え?」
アルがウィルの顔を見て驚く。そしてすぐに笑って言った。
「通りで。ゴリラにしては強すぎると思いました。でもどうしてゴリラになっていたんですか?」
「ああ、まあ、それは色々あってな。それよりこの争いを止めるぞ。有無は言わさん。兄命令だ」
アルベルトが頷き立ち上がって答える。
「分かりました。元々私も彼らが戦うのは望みではありません。兄様が無事と分かった以上、私にもう戦う意味はなくなりました」
首を傾げるウィルを横に、アルベルトが右手を大きく上げ魔物達に叫ぶ。
「撤退っ!! 争いを止めよ!!!!」
ウィルもすぐにエルティアの元へ駆けつけ戦いの中止を伝える。意味の分からぬエルティアだったが、ウィルの言葉に素直に頷く。
「後退っ!! バルアシア軍、全軍後退せよ!!!」
戦場に響く両司令官の言葉。必死に戦っていた魔物や王兵達が戸惑いながら後退していく。引き波のように自陣へと帰っていく両軍。それを見たアルベルトやエルティアは安堵の息をつく。ウィルが足の怪我を負ったルーシアを見て言う。
「ひでえ怪我だな。大丈夫か?」
「自業自得だ。自分でやったようなものだからな」
「治療するぞ」
「いいのか?」
ルーシアはあのスライムを食べる不味そうな顔を思い出して尋ねる。ウィルが答える。
「仕方ねえだろ。この状況で嫌だとはさすがに言えない」
「感謝する。ここで何もせずに去ったら真正のクズとして認定していただろう」
「帰るぞ、マジで……」
そうつぶやくウィルに、ルーシアは袋に入れた小さなスライムを取り出して渡す。
「いつもスライム持っているんか?」
「ああ、あれ以来ずっと持っている。食べようと努力してみたがやはりそれはウィル様の仕事だと割り切った」
「割り切るなよ。やれよ」
そう言うウィルに笑顔でスライムを手渡すルーシア。ウィルは一気にスライムを食べると、ルーシアの足に触れ大きな声で言う。
「治れっ!!」
その言葉と同時に癒えていく足の傷。歩けないほどの重傷だった怪我が見る見るうちに癒えていく。エルティアが驚いた顔で言う。
「これがウィルの治療か。噂は、いや、私も一度経験しているはずだが、すごいものだな……」
以前ハクに石化されたときに治して貰ったエルティア。実際この目で見るのは初めてだ。立ち上がったルーシアが言う。
「ありがとうございます。さすが勇者と言ったところでしょうか」
「だから違うって。スライム治療。お前らだってできるってば」
「遠慮しておきます。それよりウィル様、あの黒騎士は一体……」
少し離れた場所でこちらを見る黒騎士アルベルト。ルーシアにしてみれば先ほどまで命をかけて戦っていた相手。一体どうなっているのか全く分からない。それにはエルティアが答えた。
「弟、なんだろ? ウィル」
「ああ、そうだ。よく分かったな、姫様」
エルティアがちらりと黒騎士を見てから答える。
「前にお前が『アルベルト』と言う弟を探していると聞いていたろ? だからさっき『アル』と叫んだ瞬間ピンと来たんだ」
「そうか。さすがだな、姫様」
「大したことはない。それよりお前の弟とは少し話をしなければならないだろうし、それにあの戦いも気になる……」
そう言って遥か上空で戦う魔帝ガルシアと黒色の翼の天使を見つめる。
「ガルシアよ、随分弱くなったですね。あれだけ強かったあなたが、ほら。この信じられない体たらく」
四枚の翼を持つ堕天使ルーズが、幾つもの衝撃弾を受け負傷した天使族ガルシアを見て言う。元『六星』。今はその星のアザも消え、主として共に戦った勇者や仲間もいない。ガルシアが言う。
「先にも言ったろ? 老害は消えればいいんだよ……」
その視線の先には茶髪の勇者と会話する金髪の姫。ようやく見つけた。ようやくこのバトンを渡せる。彼はもう十分だった。
「后様、ここは危険です。お部屋にお戻りください」
バルアシア王城の屋上。眺めの良いこの場所からエルティアの母親である后はずっとその白い翼の天使族の戦いを見つめていた。王都に迫る『百災夜行』。得体の知れぬ翼を持つ者達。后の従者がその身を案ずるのも当然のこと。だが后は首を振って答える。
「いいのです。私は見たいの。彼の姿を……」
その澄んだ瞳に映るのは、昔この城に嫁ぐ前に恋に落ちた天使族の男。あの頃と変わらない姿に安堵しつつ心の中で尋ねる。
(見えていますか? 私達の娘、エルティアはあんなに立派に育ちましたよ……)
そう言って地表で茶髪の少年といるエルティアを見つめる。
「后様、それではこれだけでもお羽織ください」
従者が后の体を心配し、薄手の外套を持ってくる。
「ありがと。これは頂くわ」
そう言って上品に羽織りながら上空の天使族を見つめる。美し翼。神々しい姿。あの頃と何も変わらない。従者が尋ねる。
「やはりお部屋の中には……」
「もう少しここに居させて。きっとこれで最後だから」
「はい……」
従者はその言葉の意味も分からずに頭を下げその場を去る。后はひとり、空に浮かぶ天使族の姿を見つめた。
「つくづく目障りな存在だ。やはりこの手で殺さなきゃこの怒りは静まらない」
堕天使ルーズは未だに疼く顔の半面に触れながらガルシアに言った。
古の時代、勇者アルンと戦った天使族ガルシア。その男に負わされたこの顔の傷。復讐の時をずっと待ち続けたルーズは体の奥底から湧き出す興奮を抑えきれなかった。ガルシアが答える。
「言ったはずだ。老害は消えよとな」
「ふざけるな、消えるのはお前ひとりで十分!!」
そう言ってから距離を取るルーズ。そしてすぐに魔法を詠唱。
「闇に彷徨えし邪の因子よ、今我の命に従いここに集え!! 闇の波動!!!」
ドキュン!!!
得意の闇の衝撃弾。それを何度も食らい動きが緩慢になっているガルシアの左肩を貫通する。
「ぐぐぐっ……」
残念ながら老いたガルシアに対し、魔王の助力を得て復活したルーズの方がすべてにおいて上であった。ガルシアが地表にいる娘のエルティア、そして途中から気付いた王城屋上の后を見てから言う。
「魔王は新しい力に任せようぞ。だがお前は、貴様のような邪に染まった輩はこの私が排除する!!」
それを笑いながら聞いたルーズが言う。
「腑抜けのお前に何ができ……!?」
そこまで言ったルーズの全身に強烈な悪寒が走る。バルアシアが両手を広げ叫ぶ。
「降神・極光!!!!」
それは古の時代、ルーズが顔に受けた怪我の引き金になった技。両手を開いたガルシアよりまるでオーロラのような波打った輝く波動がルーズに迫る。
「くそっ、くそっ!!!」
この技は気付けば周りを囲まれている包括的攻撃。先の戦いではこの包囲網から無理やり脱出し、隙を突かれて顔に怪我を負った。またしても同じ技。しかも今回は『反撃はない』と高をくくったルーズは完全に閉じ込められた形となった。
ドン……
「ぎゃあああ!!!」
周りから潰されるような圧を受けたルーズが、ガルシアの攻撃を受けそのまま地表へと墜落していく。
「はあ、はあ……」
だが対するガルシアとてもはや浮いているだけで精一杯の深手。そして渾身の大技を直撃させたのに仕留められなかった自身の衰えを痛感する。
「お、おい。あの黒い羽根の奴、落ちて来たぞ……」
弟のアルベルトを呼びに行ったウィルがその天より落ちる堕天使を見て言う。アルベルトは不安そうに大技を放ったガルシアを見つめる。
(クソクソクソクソクソ!!! 私はまたしても負けたのか!!!???)
地表に落ちながら堕天使ルーズが嘆き悲しむ。絶対的力を持って戦ったガルシア戦。最後の最後で油断しこの無様な姿。だがここに来てその怒りのエネルギーが最高潮に達する。
(許さない許さない許さない、天使族!! ブッ殺して……)
怒りに燃えるルーズ。偶然、その目に地表にいた金髪の天使族の女が目に入る。
「そこにもいたか!! 消えろ、天使族っ!!!!」
「え?」
落ちてくるルーズと一瞬目が合ったエルティア。その怨念を持った眼光に一瞬体が固まる。
「闇の波動ォオオオオ!!!!!」
落下しながら放った闇の弾丸。それは無音のまま固まるエルティアへと接近する。
「姫様っ!!!」
それに気付いたウィル。だがどうやっても物理的に間に合う距離ではない。エルティアが思う。
(嘘、私、ここで死ぬの……?)
目の前に迫った闇の弾丸。もう避けることはできなかった。
ドン……
(え?)
エルティアの前に立ちはだかった黒い壁。美しい白い翼が出血により赤く染まっていく。
「ガルシア様ーーーーーーっ!!!!」
遠方より大声を張り上げながら駆け付けてくる黒騎士アルベルト。エルティアは目の前で倒れていくその美しき魔帝を見ながら頭が混乱した。




