5.姫様のヒモにしてください!!
「絶対この辺りにいるはずよ……」
マリンは王都郊外にある森の近くをうろうろしながら茶髪の少年ウィルを探していた。
実は昨日、冒険者ギルトを出てすぐにウィルの後を追ったのだが、この森の近くで見失ってしまっていた。無論、一文無しのウィルがこの森の巨木の上で一晩を過ごしていたことなど彼女は知らない。
「もう、どこに行ったのよぉ~」
今日はエルティア姫の出した緊急クエストの出征の日。きっとこの近くにいる。そう思っていたマリンの頭に同僚の言葉が浮かぶ。
『へえ~、マリンが冒険者を追いかけて行くなんて珍しいねえ~』
見習いだが、その愛くるしさで人気急上昇中のマリン。言い寄ってくる冒険者は数知らず。だがそんな彼らを彼女は一蹴していた。マリンが首を振って思う。
(違うの! 無茶なことをして冒険者を死なせてはいけないからなの。それもギルド嬢の務め)
冒険者に合った適正なクエストを紹介するのがギルドの仕事。身分不相応のクエストを受けようとする冒険者を断念させるのも大切な仕事。
「ウィル君じゃ無理なの!! 無理無理っ」
無謀なクエストを受けようとするウィルにプンプン怒りながら歩くマリン。そのせいだろうか、周囲への注意が散漫になってしまい、すぐそばにある沼の異変に気付くのに遅れてしまった。
ゴゴゴゴ……
「え?」
異音。悪臭。沼の表面に浮かぶ異様な泡。
マリンはようやくその異変に気付き、沼を見つめながら後退りする。
「ウゴオオオオオ!!!!」
「きゃあ!!」
沼から這い上がってきたのは、大きなトカゲのような容姿のサーペントドラゴン。水を好み、爪や牙からの猛毒で相手に致命傷を与える魔物。サイズからまだ子供のようだが、ドラゴン種である以上緊急の対策が必要である。
マリンが驚き、恐怖のあまりその場に座り込んで言う。
「うそ、ド、ドラゴン……」
王都付近は冒険者も多く特別警戒が必要な魔物はほとんど出現しない。出てもすぐに王兵や上級冒険者が討伐してくれる。ゆえに油断していた、ここは安全なんだと。
「ウゴオオオオオ!!!!!」
大きな舌を出しながらサーペントドラゴンがマリンに近付く。一見ゆっくりとした動きだが、本気を出せばかなりの速度が出る。走って逃げることなどできない。一瞬、マリンは心のどこかで諦めてしまった。生きることを。
「お、お前、昨日の受付嬢じゃん」
そこへ聞こえてきたその緊張の空気を壊すような呑気な声。体を震わせるマリンがゆっくり振り向くと、そこには青と赤の双剣を腰に携えた茶髪の少年が立っている。目に涙を溜め、震えた声でマリンが言う。
「ウィル君!? これドラゴンよ。サーペントドラゴン……、お願い、すぐに助けを呼んできて……」
ここからならまだ助けを呼べば一縷の望みはある。Cランク冒険者、それ以下でも数名いれば逃げることぐらい可能かと。ウィルが笑いながら答える。
「あいつだろ? 追っ払ってやるよ」
「ウ、ウィル君!? 危ないから……」
駆け出し冒険者が敵う相手ではない。ウィルぐらいの子供では瞬殺されるのが関の山。必死に止めようとするマリンを背に、ウィルが右拳を前に突き出し思う。
(『威圧』を使えば簡単だけど、まだここじゃ使いたくないしな……)
勇者スキル『威圧』。強力なスキルだが、一度使うとその反動で数日使えなくなる。だから「この程度」の魔物に使うのは勿体ない。ウィルがゆっくりとサーペントドラゴンに近付き、拳を振り上げて言う。
「消えろ」
「ウゴオオオオオ!!!!!!」
同時に大きく開かれるサーペントドラゴンの口。無数の牙。マリンが叫ぶ。
「逃げて!! ウィル君、早く逃げなさい!!!!」
ドオオオオオン!!!
素早く移動したウィル。同時に振り下ろした拳がサーペントドラゴンの頭に当たり、鈍い音が響く。一瞬止まる時間。瞬きすらできずその光景を見つめるマリン。固まったままのサーペントドラゴンにウィルが心の中で命じる。
(消えろ)
「ウググググッ……」
サーペントドラゴンは体を委縮させその身を反転し、出てきた沼へとゆっくり戻っていく。ふうと息を吐き、後ろで座り込んでいるマリンに近付いたウィルが言う。
「おい、大丈夫か? あんまりひとりで歩くなよ」
そういって差し出された手を握り返すマリン。温かく、そして固い皮膚。マリンは理解した。
――ウィル君、強い。
一体何者なんだろう。自分と変わらない年頃なのに、ある意味達観したような目つき。ドラゴン種を圧倒する強さ。近くにいるだけで落ち着く安心感。ギルド嬢の見習いだが、この少年が只者ではないことは感じ取れる。ウィルが言う。
「さあ、街に帰るぞ。送って行ってやる」
「あ、あの……」
マリンは足が震えて立つことすらできない。それを見たウィルが苦笑して言う。
「しょうがねえな。あんまり時間ないけど送ってやるよ」
そういうとウィルは屈みこみ、マリンの手を握ってぐっと引き寄せる。
「きゃっ!?」
マリンはいつの間にかウィルの背に負われていることに気付いた。真っ赤に染まるマリンの頬。思わず言う。
「ちょ、ちょっと何をして……」
「うるせえ。腰の抜けた女をひとり置いてけねえだろ。さ、行くぞ」
「う、うん……」
マリンはその体をウィルの背に預け、歩き出した心地良い振動に身をゆだねる。そしてウィルの耳元で言う。
「ねえ」
「なんだよ?」
「私がウィル君を立派な冒険者にしてあげるね」
「遠慮しとく。俺には大きな目標がある」
「え、なになに?」
「ガキには分からないことだよ」
「なにそれ~、教えてよ〜!!」
マリンはぷっと頬を膨らませながらウィルの背中を軽く叩く。
ウィルはいろいろ尋ねてくるマリンを適当にあしらい冒険者ギルトの前で降ろすと、足早に退散。そのまま大急ぎで王都郊外にある草原へとやって来た。
「うわ~、誰も居ねえぞ。遅れた!!」
そこは『漆黒のミノタウロス討伐』クエストの集合場所。ここにエルティア率いる王都兵とギルドから申し込んだ冒険者達が集まっていたはず。だが想定外の出来事に時間に遅れてしまった。ウィルが手にした討伐依頼書を見つめる。
「ここから西の森へ行ったんだな!! よし、追いかけるぞ!!」
地図では近く感じるがそれなりの距離がある西の森。出征時間も今日の朝。マリンの相手をしていたウィルは既に大幅な遅れをとってしまっている。ウィルは全力で走り出した。
(野獣様……)
平原を白馬に乗り勇ましく進むエルティアは、先日森で出会った野獣のような少年を思い出し小さくため息をつく。
(心震えるほど強かった。あのようなお方がこの世にいるとは……)
全く歯が立たなかった深紅の魔物相手にひとかけらの迷いもなく無双する。行儀のよい王兵や、口ばかりの冒険者とは一線を画す存在。
――彼がまた現れてくれたらどれだけ心強いだろうか
エルティアは馬に揺られながら、たった一度会っただけの『野獣様』に知らぬ間に心奪われてしまっていた。
「あ、あれだな!! はあはあ……」
王都を出てずっと走り続けていたウィル。ようやく討伐隊に追いついたのはお昼前。息を切らしながら言う。
「なあ、これってミノタウロス討伐隊だろ? 俺も一緒に……」
後方にいた冒険者らしき一行がウィルに気付き振り向いて言う。
「あぁ、なんだ? このガキ?」
「おい、まさかお前も一緒に行くんか?」
冒険者のひとりがウィルの腰につけた青赤の双剣を見て尋ねる。ウィルが答える。
「ああ、そうだ。ここって姫様の部隊だろ? 俺も行く!!」
「くくくっ……」
冒険者達から失笑が起こる。どう見ても相手は子供。Aランク以上の冒険者はある程度皆が見知っている。こんな子供が凄腕の冒険者とも考えられない。
ひとりの長髪の冒険者がウィルを追い払うような仕草をしながら言う。
「ガキは帰んな。子供の遊びとは違う」
威圧するような言葉に態度。普通の少年ならこれで怯むのだが、ウィルは逆に切れ気味に言い返す。
「だから俺も行くって言ってんだろ!! 連れてけよ!!」
「なに言ってんだよ、このクソガキ!!」
血気盛んな若い冒険者が怒鳴り返す。王族が上級冒険者に直接クエストを出すほどの強敵。死地に向かう張り詰めた空気をこんな子供に乱されたくない。
「何をしている!!」
そこへやって来たのは白銀の鎧をまとい、金色の長髪を風に靡かせたエルティア姫。毛並みの美しい白馬に跨り、上級大将ルーシアと共に騒ぎを聞きつけてやってきた。ルーシアが言う。
「何ですか、その少年は?」
そう言いながらもルーシアは背中に経験のない心地良い疼きを感じる。ウィルはそう尋ねるルーシアには目もくれず、隣の馬上にいるエルティアに向かって言う。
「あんた、姫様だろ??」
エルティアがウィルを見下ろしながら答える。
「そうだ。私に何か用か?」
ウィルがエルティアの前に一歩出て大声で言う。
「俺もミノタウロス討伐を手伝うからさ……」
皆の視線が茶髪の少年に集まる。ウィルが言う。
「俺を姫様のヒモにしてくれ!!」
一瞬の静寂。止まる時間。それをすぐにエルティアが無表情で打ち砕く。
「この無礼者を縄で縛って王都へ送り返せ。早急にだ!!」
「はっ!!」
命じられた王兵達が素早くウィルを太い縄で縛り馬に乗せる。
「お、おい!? よせって!! 俺も一緒に……、姫様ぁああ!!」
エルティアをはじめそこにいた者が、まるで汚物を見るかのような目で縛られ王都へ送還されるウィルを見つめる。エルティアが剣を掲げ皆に言う。
「さあ、行くぞ!! 我らの崇高な目的のために!!」
王兵、そして上級冒険者達はエルティアの言葉に応え、勇ましく漆黒のミノタウロス討伐へと歩みを進める。
ただ誰も予想しなかった。このすぐ後に精鋭を集めた最強布陣が全滅寸前まで追いつめられてしまうことなど。