30.悩める姫様
ミント公国の公子ジェラードとその従者、そしてバルアシア軍首脳との共闘作戦協議が無事終わったその夜。上級大将ルーシアは、エルティア姫に呼ばれ部屋を訪れた。
コンコン……
「ルーシアです」
「入ってくれ」
「はい」
エルティアの返事を聞いたルーシアがゆっくりドアを開け室内へと入る。
整然と整理された部屋。ピンク色のカーテン以外、十五歳の女性にしてはあまり女性らしさが感じられない内観。ただその部屋の主は別格で、プライベートのナイトドレスに着替えたエルティアはすべてが引き立て役になる思えるほど美しかった。
「すまないな、こんな時間に呼び出して」
「いえ。それは良いのですが、いい香りがしますね」
ルーシアは部屋に漂う香ばしい香りに気付き言う。エルティアが恥ずかしそうに答える。
「気分転換にクッキーを焼いてみたんだ。上手く焼けたか分わからないが、ひとつどうだ?」
「クッキーを? それは良いですね。頂きます」
そう言ってルーシアがテーブルに置かれたクッキーを口にする。
「美味しいです。さすがエルティア様」
「そうか、それは良かった」
そう答えるエルティアの顔色は冴えない。ルーシアが尋ねる。
「エルティア様。これを食べて貰いたい御仁がいらっしゃるのでは?」
「そ、そんなことはない! ただの気分転換だ……」
「そうですか、分かりました。それでここに呼んだ御用とは?」
エルティアが少し寂しそうな表情になって答える。
「ああ、ミント公国との共闘についてなのだが……」
ルーシアが少し笑みになって言う。
「そうだと思っておりました」
「そうか。やはりお前は全てお見通しなのだな」
「そんなことはありません。私にも分からないことはたくさんあります」
「うむ……」
ミント公国との協議。
ジェラード公子の提案通り、国境付近にあるドラゴンの巣に対して共同でその殲滅にあたることになった。作戦決行は三日後。バルアシアからは怪我の回復が見込まれるカミング上級大将と、エルティアがその指揮にあたる。明日より国を挙げての遠征準備が始まる予定だ。
「怖いんだ……」
少し開けられた窓から入る夜風が優しくエルティアの金色の髪を揺らす。『王都随一の剣の使い手』と称されるエルティア。その彼女が体を震わせて俯く。ルーシアがそんな彼女をそっと抱きしめて言う。
「分かっております。国の防衛のため私が同行できぬことを、お許しください……」
『王都守護者』の異名を持つルーシアは国の防衛のため留守番。だが彼女が震える理由は別にあることをルーシアは知っていた。
「残念ながらウィル様の同行も、できませんでした……」
「……」
ルーシアが要求した『雑用係ウィル』の同行。
バルアシア内部での会議、真剣に彼の雄姿を語るルーシアの話を、他の幹部達は失笑しながら聞いた。誰も名前も知らないただの雑用係。なぜそんな人間を同行させるのか。苦戦が予想されるドラゴンとの戦いにそんな戦いの素人を連れて行ったところで無駄な死者が出るだけ。
会議の際、ずっと黙っていたエルティアが何かを言おうとすると、上級大将カミングが立ち上がって言った。
「不要でしょう。僕もその人物に会いましたが、笑ってしまうほど取るに足らない男。こんなことを議論するなど時間の無駄。次の議題に移りましょう」
上級大将のその一言で、ウィルの作戦同行はなくなった。悔しがるルーシアがカミングを睨みながら椅子に座る。エルティアはずっと俯いたまま議論の続きを聞いた。
「エルティア様」
「なんだ?」
「最近、ウィル様とお話になりましたか?」
「……」
話していない。いや、話そうとギルドは訪れた。
だがエルティアの脳裏に映ったギルド嬢の美しい指輪が、まるで無色の鎖のように体を締めつけ自由を奪う。ルーシアが尋ねる。
「会っておらぬのですね?」
「あ、ああ……」
「ウィル様のことはお好きですか?」
突然のルーシアの言葉に心底驚いた顔をしてエルティアが答える。
「そ、そんな訳ないだろう!! あのように人の顔を見ては『ヒモヒモ』と口走るような奴をなぜ……」
「あなたは素直なお人だ。ただウィル様のことになると何故かそうではなくなる。エルティア様」
「な、なんだ……?」
「ご自身に嘘はつけないと思いますよ」
その言葉を聞いてエルティアが俯く。
ウィルが来てくれれば一体どれだけ心強いだろうか。一緒に居る安心感。絶対何にも負けないという強い気持ち。それを自分では彼のスキルのせいだと思い込ませていたが、もしかしたら別の感情のせいなのかもしれない。エルティアが少し目を潤ませて言う。
「あいつは、あいつはギルド嬢にも宝石を贈っていたんだ。私はそれを見て……」
「そうでしたか。本当にクズな男ですね」
エルティアが首を振って言う。
「い、いや、いいのだ。彼は不思議と人を惹きつける男。他の女が寄って来るのも無理はない……」
エルティアの頭に可愛らしく微笑むギルド嬢の顔が浮かぶ。ルーシアが言う。
「分かりました。それでは私が彼に話を聞いて来ましょう。そしてドラゴン討伐へ一緒に行くようお願いしてきます」
「い、いや、いいんだ!! そんなことは決して……」
そう否定するエルティアの両腕をルーシアが掴んで聞く。
「決して、ウィル様には来て欲しくないと?」
「そ、それは……」
頬を赤くし下を向くエルティア。ルーシアが言う。
「本当にあなたは素直な人だ。私がお慕い申す姫様。ここは私を頼って頂けませんか」
ルーシアには敵わない。エルティアが顔を上げ少し笑って言う。
「ああ、それではお前に頼む。情けない私に代わって」
「かしこまりました」
エルティアから離れたルーシアが胸に手を当てて答える。エルティアが考えるように言う。
「だが、あのウィルが本当に来てくれるだろうか」
「問題ありません」
自信ありげにそう言うルーシアにエルティアが尋ねる。
「どうするのだ?」
ルーシアが答える。
「ギルドに緊急クエストを出します。上級大将ルーシアの名で『ドラゴン討伐依頼』を。冒険者ウィル指名で」
「ふふっ」
クスッと笑うエルティアにルーシアが言う。
「ついでにクッキーが好きかどうかも聞いておきますね」
それを聞いたエルティアは顔を赤らめ、下を向いて小さく頷いた。
翌朝、一番でギルドを訪れたウィルはずっと厳しい表情を浮かべていた。
「なあ」
「な~に?」
だんだん人が増えて来たギルド。ざわざわとうるさくなる騒音を聞きながら、ウィルがマリンに尋ねる。
「本当にこれを着るのか……」
カウンターに置かれたゴリラの着ぐるみ。マリンから紹介された『野生ゴリラの生態調査』。この着ぐるみ着用が必須となる。メガネに手をやりマリンが答える。
「必須よ。ゴリラはああ見て臆病なのでこの魔法仕様の着ぐるみが必要なの」
「魔法仕様?」
マリンが着ぐるみを手に説明する。
「そうなの。これってただの着ぐるみじゃなくて特殊魔法が掛けられているの。一度着たら貸与者の許可がないと脱げないし、言葉もゴリ語しか話せなくなるの」
「ゴ、ゴリ語ってなんだよ……」
もう嫌な予感しかしないウィル。マリンが笑いながら答える。
「えー、ゴリ語って、ゴリラが話す言葉のことだよ~」
「マジかよ……」
仕方なかったとは言え、今更ながらこんな訳の分からないクエストを受けたことをウィルは後悔する。ため息をつくウィルに生態調査の内容をマリンが伝え、早速ギルドの別室に移動してゴリラの着ぐるみを被せる。
「はあ、なんで俺がこんなことを……」
「はーい、黙って着る。よいしょっと!!」
嫌がるウィルに半ば無理やり着ぐるみを着せるマリン。少し大きめだった着ぐるみは、その付与魔法のおかげで着用するとその人の体にぴったりとフィットする。見た目はどこから見ても普通のゴリラ。マリンが真正面に来て尋ねる。
「はーい、ゴリラ君~、聞こえますか~~??」
(この女、絶対まだ怒ってやがる!!)
むかむかするウィルが口を開けてすぐに答える。
「ウホ、ウホオオオオ!!(聞こえるよ、聞こえてるよ!!!!)」
(あれ?)
自分で発した言葉。その耳に響くのは『ウホ』と言うゴリラ語。マリンが尋ねる。
「きゃははっ!! ばっちりだね!! 何言ってるのか分からないから、私の言葉が理解できたら頷いて」
(マジかよ!? 俺、『ウホ』としか言えないのか!!??)
そう焦りながらもマリンの言葉にウィルが大袈裟に頷く。聞こえる音は『ウホ』だが不思議とその意味は頭で理解している。マリンはそれを見てからゴリラの頭を撫でて言う。
「いい子だね~、じゃあ、お仕事頑張って来てね。ゴリラ君」
「ウホ!!(うるせえ!!)」
強がるものの何も通じない会話。ウィルはがっくり肩を落としながら愛用の青赤の双剣を手にギルドを出た。
「あ、ゴリラだ!!」
「うわー、ゴリラさんだー!!」
王都を歩くゴリラウィル。様々な種族が闊歩するバルアシアの街だが、やはり純粋なゴリラは珍しいようで子供達が指をさして声を上げる。
「ウホ(やあ)」
それに手を上げて応えるウィル。我ながら何をやっているのか情けなくなるが絡まれるよりましだ。
そしてその時が訪れる。
ドオオオオオオオン!!!!
(!!)
王都の外れまで歩いてきたウィルの耳に、大きな爆発音のような音が響く。何の音かと振り返ったウィルが一瞬固まる。
(なんて強い殺気……)
怒りや憎しみ。氷のような冷たい復讐心。そんなものが放たれる殺気と混じって伝わって来る。
「ウホ!!(急ぐぞ!!)」
ゴリラウィルは急ぎ爆発音がした方へと走り出す。
「あ、あれは、何なんだ……」
爆発の中心地。そこに空から降り立った漆黒の鎧に身を包んだ騎士を見て街の人達が震え上がった。敵襲。魔物の襲撃。悲鳴を上げながら逃げ惑う人間達を見てその黒騎士がつぶやく。
「ご挨拶だ、人間……」
そして右手を大きく上げ言う。
「ギガサンダー」
王都外れにある広場。そこにふたつ目の大きな爆発が起こった。




