29.黒騎士の憂鬱
バルアシア王国から遥か離れたその場所。
魔物も棲み、人間もあまり立ち入ることのない辺境。通称『魔帝国』と呼ばれるその漆黒の大地の中心に聳え立つのが、魔帝ガルシアが棲む魔帝城。
その一室、副官黒騎士の部屋の前にひとりの女の魔物が立ちノックする。
コンコン……
「騎士様、リリスです」
「入れ」
「はい」
ノックした魔物、リリスと名乗った彼女はリリス族の女。肌の露出の多いバニースーツを着て、いつも通りどきどきしながら部屋の中へと入る。既に時刻は深夜。薄暗い部屋の中で、ベッドに腰掛けた黒騎士が言う。
「すまないな、こんな時間に」
「い、いえ。私でできることなら、な、何でも……」
リリスはベッドに腰掛ける真っ黒な鎧を着たその上官を見つめる。
黒騎士は過去の心の傷の為、眠れなくなる時期が不定期に訪れる。他の魔物なら数日眠らなくても問題ないのだが、彼の場合そうはいかなかった。黒騎士が言う。
「本当に人間と言うのは不便な生き物だな。こうやって毎日眠らないと動けなくなる」
そう、彼はガルシア軍の中にあって唯一の人間。人間の彼がどうして魔帝ガルシアに仕えているのかはリリスは知らなかったが、彼の眠りの為時々こうして部屋に呼ばれる。リリスが言う。
「はい、で、でもそのお陰で私は、その、騎士様にお近付きになれて、あっ、いえ、そんな深い意味はないのですが……」
リリス族のチャームポイントである真っ白な肌が赤く染まる。黒騎士が言う。
「私など大した者ではない。ガルシア様の役に立たない愚か者だ」
「そ、そんなことないです! 毎回たくさんの軍勢を率いて出陣されるお姿は、とても勇敢でカッコ良く……」
「なあ、リリス」
「あ、はい!」
いつになく真剣な声。黒騎士が尋ねる。
「私はガルシア様のお役に立ちたい。そして憎き人間を殲滅したい。だがガルシア様は私が戦うことを良しとしない。何故だろうか」
「そ、それは……」
そんな上官達の話し合いのことなどただの付き人である彼女が知るはずもない。黙り込むリリスに黒騎士が言う。
「ガルシア様は『時期尚早』だと言う。私は人間に負けるほど弱いのだろうか」
「い、いえ! 騎士様はとても強くてカッコいいです!!」
思わず別の本音も出てしまったリリス。黒騎士が苦笑して答える。
「ああ、ありがとう。すまないな、くだらない話に付き合わせて」
「い、いえ、とんでもないです!! 騎士様のお役に立てるのならば……」
「役に立ってるさ。こうして話を聞いてくれるだけで私は嬉しい」
「騎士様……」
リリスは嬉しさと興奮に包まれながらはにかみを見せる。そして穏やかな口調で言う。
「じゃあ、始めますね」
「ああ、お願いする」
ベッドに腰掛けた黒騎士にリリスが近付く。そして黒騎士の目線まで腰を下ろしたリリスが、その兜の奥にある彼の瞳をじっと見つめる。
(綺麗な瞳、本当に澄んでいて一点の曇りもない……)
リリス族が持つスキル『夢魔』。じっと見つめ合うことで相手を深い眠りに誘う。ある意味不眠症でもある黒騎士にとって彼女は欠かせない存在だ。
すっと眠りに落ちた黒騎士をそのままベッドに横にしたリリスが思う。
(眠る時でも鎧を脱がないなんて……、一体騎士様は何にそんなに怯えているのかしら……)
警戒心が強く、あまり他の魔物達と交流がない黒騎士。誰よりも強く、信が厚いことはみな知っているが、自ら彼らとの間に線を引いている。
(私の肌で騎士様を癒して差し上げたい……)
リリスの本性。狙った男を骨抜きにする魔性。だが黒騎士は靡かない。何度か誘惑してみたが興味がないのか全く無反応であった。
リリスは眠った黒騎士の兜に軽くキスをするとひとり部屋を出た。
翌朝。愛用の飛竜に乗った黒騎士が単騎、分厚い雲が覆う空へと飛び上がる。
(私の力がどのくらい通用するのか、やはり試すべきだ!!!)
魔帝ガルシアの右腕、副官黒騎士がその実力を証明する為に単騎バルアシアへと飛び立った。
その頃そのバルアシア王城では、突然の訪問者に城中が大慌てになっていた。
「ミント公国のジェラード公子がお見えになったぞ!!」
先日使いの者を寄こしてエルティアに求婚した公子。返事は後日する約束だったが、それを待たずに公子がやって来たことになる。
バルアシア王城謁見の間。后とエルティア姫を前にジェラード公子が挨拶をする。
「これはこれは麗しき姫君。ワータシの為にこのような歓迎イベントを開いてくださり感謝感激でーす」
エルティアは公子のこの話し方が大嫌いだった。生理的に受けつけない。ジェラードが言う。
「ああ、姫君を前にするだけで感じるこの体の疼き。ワータシは身震いをしてしまいまーす」
気持ち悪い。そう思って顔を背けるエルティアの隣で、后が真面目な顔で尋ねる。
「遠路遥々おいで頂き誠に嬉しく思います。それで公子自らお越し頂くとは一体どのようなご用件でしょうか」
皆、聞かなくとも知っている。そして想像通りの言葉が公子の口から出る。
「はいはーい。そうですね、ワータシの大切な用件と言うのは。エルティア姫をワータシの妃に迎えたーいということでーす!!」
『お断りします』そう条件反射的に言いかけたエルティアが口を押える。これまでは断れた。だが今回ばかりは状況が異なる。
(私が無碍に断れば公国はドラゴン討伐を止めてしまう。そうなれば我が国は……)
弱小国バルアシア。数体程度のドラゴンなら対応可能だが、それが多数回、群れを成して来られると大きな損害を受けることは免れない。ミント公国の傘に入るか否か。バルアシアはその大きな選択を迫られていた。エルティアが尋ねる。
「本当に私との婚儀が成れば、バルアシアの為に今後もドラゴンと戦ってくれるのだな?」
ジェラード公子が両手を広げ、何度も頷いて答える。
「ちろんでーす。ワータシは噓をつきませんよ」
(姫様……)
その話を聞いていたルーシアが苦虫を嚙み潰したような顔をする。前回のように相手が魔物であれば諸手を挙げて反対できるが、今回は国の将来を賭けた外交。無暗に反対はできない。ジェラード公子が言う。
「それではひとつ提案です。国境付近に新たなドラゴン種の巣が見つかりました。これをワータシの軍とバルアシアの軍の共同作戦にて殲滅しませーんか?」
「共同作戦……??」
そう口にするエルティアにジェラード公子が言う。
「そうです! ワータシと姫が末永く寄り添えるように、両国で共同作戦をしたいとワータシは提案します!!」
(うるさいぞ、ワータシ!!)
ルーシアの隣で怒りに燃えていたカミングが内心毒づく。エルティアに想いを寄せる彼にとってこれはとても受け入れない提案。だがそれはルーシア同様、自分が口を挟むことではないとも分かっている。ジェラード公子が言う。
「ワータシの情報では、その巣にはドラゴンの主である白竜がいるとのことでーす。これを潰せば今後のドラゴン被害はぐんと減るとワータシは思うのでーす」
「白竜……」
皆の呼吸が荒くなる。
魔物の中でも上位種であるドラゴン。そのドラゴンの中でも特に恐れられているのが白竜と呼ばれる種族。白く硬い皮膚を持ち、言葉も操る高度な知能でドラゴン達を統率する。カミングが前に出て言う。
「分かりました。バルアシア上級大将である僕が参りましょう!!」
姫を失う事実に耐えられなくなったカミングの言葉。あわよくばミント公国抜きでドラゴンを撃退し、このような不愉快な婚儀がなくなって欲しいという思惑が彼にはあった。エルティアが神妙な表情で言う。
「仕方ありません。それでは共闘についての詳しい打ち合わせは後ほど致しましょう」
「ありがとうございます、エルティア姫。ワータシが全力であなたをお守りしましょう!!」
白く輝く髪をかき上げながらジェラード公子が答える。
無言になるエルティア。調子よく王城関係者に挨拶をする公子をぼうっと見ながら、その脳裏には茶髪の少年の顔が浮かんでいた。
(私がまた誰と結婚するとなれば、お前はまた助けてくれるのか……)
その少年はひとり、前日から続く城壁の修理に追われていた。




