26.公子の求婚
バルアシア王国に隣接する巨大国家ミント公国。広大な大地に豊かな自然。強い軍を備えた軍事国家でもある。
そこの最高責任者である公の息子、白髪のイケメンであるジェラード公子は外交で訪れたバルアシア王国の姫にずっと想いを寄せていた。
「エルティア姫との婚儀を望まれております」
そんな大国からの使いの者が、バルアシア王城謁見の間にて后に伝える。静まり返る一同。だが皆の頭の中には同じ言葉が繰り返されていた。
(またか!)
(またあの公子が求婚とか言ってるぞ!!)
(何度断られれば気が済むのか……)
実はミント公国のジェラード公子。イケメンだが自信家でしつこく、これまでにも何度もエルティアに対して婚儀の申し出を行ってきた。
『大変光栄なお話でございますが、私が愛すのはこの王国。どうぞお引き取りを』
その度にエルティアに軽くあしらわれて来た。そして今回。また同じ内容の書状を持って現れた使いの者を、皆がやや冷めた視線で見つめる。
エルティアは今いない。国の存亡を賭けた戦いにカミングと向かっている。それを知る后がいつも通り断ろうとすると、それより先に使者が言った。
「時に、国境付近に現れたドラゴンですが……」
ドラゴン。魔物の中でも警報級の危険種であり、そのフレーズを聞くと誰もがその声を自然と傾聴する。使者が言う。
「これまで我が公国がドラゴンの襲来を盾になって防いできましたが、さすがにここらのものまでは手に負えなくなっています」
大臣が尋ねる。
「そ、それは貴国がもうドラゴン討伐をしないと言うことでしょうか??」
「いえ、我が公国付近のドラゴンは対処します。これまでもジェラード公子の恩情で、バルアシア王国に向かうドラゴンも討伐していましたが、今後それが難しくなるということです」
「……」
黙り込む一同。
使者の言うことは明白だ。
『ドラゴンから守って欲しければ公子の婚儀を受け入れろ』
しばらくの沈黙を破って后が言う。
「貴国の申し出は重々理解しました。返事は後日、当方の使者を持って返答致します。今日はお勤めご苦労様でした」
「はっ。有難きお言葉。これにて失礼します」
使者は深々と頭を下げると従者と共に退場していく。
「ふう……」
度重なる国の試練。后は天井を見上げてため息をついた。
「おーい、姫様。城に着いたぞ」
夜通し馬車に揺られたウィル達。疲れと安堵感に包まれたエルティアはいつの間にかうとうとと眠りに落ちていた。
「ん……、あ、ああ!? す、すまぬ!!」
エルティアが慌てて起き上がる。疲れていたとは言え、知らぬ間に隣に座るウィルの膝の上で眠っていた。ウィルが言う。
「ああ、いいって。姫様疲れてたんだろ? そりゃ疲れるよな」
国を背負う姫。その重圧はウィルの知るところではない。エルティアが髪を整えて言う。
「な、なんてことはない。当然の務めだ。あ、もう朝か」
東の空から太陽が上り始めている。バルアシア王城の正門、ルーシアが軽く門兵に手を上げ城内へと入る。
「あ、ルーシア様だ!!」
「姫様もいるぞ!!」
早朝にもかかわらず、ふたりの美少女を見つけ皆が集まって来る。それに馬車の窓から手を振って応えるエルティア。ウィルは自然と見られないように身を屈める。
「ルーシア殿!!」
そこへ『漆黒のオーク討伐』の帰還を聞きつけた大臣達がやって来る。皆、姫を心配してあまり眠れなかったようだ。馬車から降りたルーシアが大臣に報告。それを聞いた大臣が両手を上げて叫ぶ。
「な、なんと!! 姫様が、あの黒いオークを討伐なさったと!!」
「おお!!!」
周りにいた兵達も詳しい事情は知らないが、一緒になって喜びの声を上げる。ルーシアが慌てて言う。
「あっ、ひ、姫様と、そこにいるウィルと言う者が……」
「バンザイ!! バンザーイ!! 姫様、バンザーイ!!!」
その声に応じるように馬車から降りて皆に手を上げて応えるエルティア。兵士達はなぜか花嫁衣装を着た美しいエルティアを見てさらに興奮する。
「姫様、素敵ーーーーーっ!!」
「美しい~~~!!!」
ルーシアが何かを言おうとしたが、周りの熱気に押されその声がかき消されていく。そんな彼女に大臣が尋ねる。
「ん? そう言えばカミング上級大将はまだ戻らぬのか?」
「え? あっ……」
ルーシアの顔色が変わる。そしてエルティアの元に行き、目を見開いていう。
「ひ、姫様!!」
「どうしたんだ、ルーシア。そんなに慌てて?」
余裕の笑みを絶やさないエルティア。だが次の言葉を聞いて唖然とする。
「カ、カミング殿を、忘れて来ました!!!!」
「あっ……」
人間というのは何か取り返しのつかないことをした時に、不思議と体が動かなくなる。一瞬止まる時間。そしてすぐに頭を掻きながら叫ぶ。
「す、すぐに救助隊を出せ!! カミング達を救出に向かわせろ!!」
「はっ!!」
ルーシアがそれに敬礼して答える。直ちに王兵にて救助隊が結成。オークの洞窟に投獄されたままの上級大将を救助に向かった。
「本当に良かった。無事で……」
その後、母親である后のもとを訪れたエルティア。母と子、ふたりだけの部屋。后がエルティアを抱きしめて言う。
「あなたをあんな魔物に嫁がせるなんて、考えただけでも……、ううっ……」
「母上、もう大丈夫です。頼りなる者が私を救ってくれました」
エルティアの脳裏に浮かぶウィルの猛々しい剣撃。今思い出しても鳥肌が立つ。后が言う。
「そうね。本当に感謝しなければなりませんね」
当然后の頭には娘と一緒に敵地に乗り込んだ上級大将カミングの顔。エルティアが恥ずかしそうに母親に言う。
「母上、あのですね。私、その、彼から宝石を渡されてしまって……」
もう国の為にオークに嫁ぐ必要はなくなった。晴れて自由の身になったと思っているエルティアが嬉しそうに言う。母親がやや寂しそうな顔で答える。
「そう、確かに彼ならあなたに相応しい方かもしれませんね。でも、その件で少しお話があります。お父様の所へ行きましょうか……」
そう話す母親の顔を見てエルティアは何か良くない話だと直感した。すぐにバルアシア王国の姫の顔となってエルティアが答える。
「分かりました。参りましょう」
そう言って歩き出すエルティアと妃。そこにもう親子の距離はなくなっていた。
コンコン……
「国王、入ります」
重厚な扉。部屋の前で警備をする兵に少し笑みを振り分けてから、エルティアが国王の部屋へと入る。瑞々しい観葉植物にハーブの香り。いつ来てもここは心休まる空間である。
ベッドに伏せたままの父親である国王の下へ行き、エルティアが会釈してから尋ねる。
「お体は如何でしょうか」
「うむ……、悪くはない……」
当たり障りのない会話。これが血の繋がらない親子の会話。后が国王に言う。
「もうお聞きになっていらっしゃるかと思いますが、エルティアが黒いオークを討伐してくださいました。立派なものです」
国王がちらりとエルティアの顔を見て言う。
「ご苦労、よくやったな……」
「有難きお言葉。至極光栄に思います」
そこに親子の感情はない。后がエルティアに言う。
「そしてエルティア。大切なお話があります」
背筋を伸ばしてエルティアがそれを聞く。
「はい。何でしょうか」
「隣国、ミント公国から使者が来ました。用件はジェラード公子とあなたとの婚儀の件です」
「はあ……」
エルティアも先の大臣達と同様にまたかといった表情をする。断ること数回。なぜ諦めてくれないのだろうかと理解に苦しむ。后が言う。
「多分あなたのことだから今回も断るつもりなんでしょうけど、実はそうもいかない訳ができまして……」
后は使者から伝えらえたドラゴン襲撃の可能性を伝えた。聞きながら表情が強張るエルティア。魔物の中でも上位種となるドラゴン達の襲撃となると、弱小バルアシアだけではどれだけ防ぎきれる分からない。黙るエルティアに国王が言う。
「オークでないだけましだろう……、あの公子、顔も悪くない……」
顔などどうでもいい。生理的に受け付けないのだ。娘の気持ちを察した后が優しい口調で言う。
「返事はまた聞かせて貰えばいいわ。では行きましょうか」
「はい……」
ふたりは会釈をして王の部屋を出る。床に伏せたままの国王。現在の最高決定権は妃が持つ。母親は娘の腰に手を当てゆっくりと歩いた。
(私がまた誰かに嫁ぐと知れば、あいつは何と言うだろうか……)
その日の夜、オーク討伐の祝賀会を終えたエルティアがひとり自室のベッドの上で思う。憧れの野獣様。それがあの男だった。
(強がってはいたが、助けて貰っただけであんなに嬉しく思うとはやはり私も女なのか……)
そう言って胸のポケットに入れておいた七色に光る透明の石を見て小さく息を吐く。
先日までこの身は国の為、民の為にあるもので、それで国家の安寧が得られるならばどんな犠牲でも厭わなかった。だからあのオークですら自ら花嫁になる覚悟もできた。
「でも、今は……、そうは思えない……」
ベッドに横になったエルティアの瞳から涙がこぼれる。そして宝石をぎゅっと握りしめて言う。
「明日、あいつに会いに行こう……」
エルティアは涙を拭うとそう小さく心に決めた。
翌朝、王城にいないウィルを探しにエルティアは冒険者ギルドへ赴いた。
無論フード付きの外套を羽織い、一見して姫だとは分からないよう変装している。熱い冒険者で賑わうギルド。大声で話し合う彼らの合間を抜け、エルティアがカウンターへと近付く。
(あ、あの子は確かウィルの……)
カウンターで冒険者に笑顔を振りまくピンク色の可愛らしい眼鏡っ子。ただいま絶賛売り出し中の新米ギルド嬢マリンである。
エルティアは少し考えたが思い切って彼女に聞いてみようと思い一歩足を踏み出した。
「えっ……」
そんなエルティアの目に、可愛らしいギルド嬢マリンの指に光る『透明な宝石』が目に入る。確かあれを持っているのはウィルだけ。と言うことは、彼はあの女にも求婚を……
エルティアはすぐにギルドを出た。そして駆け足で自室へ行き涙目になって言う。
「私はバルアシア王国の姫。自分の、自分の幸せなど考えてはいけないのだ……」
エルティアがひとつの決心をした瞬間であった。




