23.後悔と希望
奇襲作戦は順調だった。
知能が低いオーク達を欺き敵内部へ侵入。『自ら嫁入りに来た』と花嫁衣装を着た美しいエルティアが言うと、案の定漆黒のオークはだらしない顔をして興奮気味にそれを承諾。花嫁の支度を手伝う従者と伝えれば、カミング達の同行も呆気なく許可された。
「キレイだァアア!! ブヒイイイイ!!!」
数日ぶりの面会となった漆黒のオークとエルティア。彼女の美しさは格別で、オークのみならずカミングや同行した精鋭達の目もくぎ付けにした。
すべては順調だった。事前にカミングの立てた計画通りほぼ進んだ。そして胸を締め付けるような緊張の中、その最後の締めくくりを行う瞬間がやって来た。
「今日からオマエはオレのものだ。コンヤは初夜だ。そのマエに誓いのキスをするぞ。ブヒイイイイ!!!!」
醜く異臭を放つオークがエルティアへ迫る。震えるエルティア。
カミング達精鋭はオークが攻撃可能範囲に来たことを確認してから、隠し持っていた武器を取り出し一斉に斬りかかった。
「くたばれ、オーーーーークっ!!!!」
「ブヒイイ!?(なんだああ!?)」
「ブ、ブヒイイイイ!!!(て、敵襲だあああ!!!)」
何も知らない一般のオーク達が突然の襲撃に驚き声を上げる。
ここまでは完璧だった。ただふたつの大きな想定外の出来事が作戦を無に帰した。
(う、動けない……)
バルアシア王国随一の剣の使い手エルティア。先の『百災夜行』で美しく舞ったその彼女が、この大一番で『飾り姫』に戻ってしまった。怖くて動けない。体が震え、立つことすらままない。
「はああああああ!!!!」
ガン、ガンガン!!!!
「なっ!?」
そしてもうひとつの想定外の出来事。
それは漆黒のオークがあまりにも硬すぎたという事実。
「け、剣が通らない!!!」
一斉に斬りかかったカミング達精鋭部隊はその剣でオークを捉えるものの、あまりにも硬すぎるオークの黒い皮膚の前にすべての攻撃を弾き返されてしまった。黒ずんだ皮膚。瓜のように出たお腹。それは並の攻撃では傷ひとつ付けることができない高い防御力を持っていた。
「ならば、これでもこれでも食らえ!!!」
素早く後退したカミング。左手を前に差し出し、魔法を詠唱。スキル『魔法騎士』。物理攻撃と同時に攻撃魔法を同時に操る。
「宙に彷徨えし炎の因子よ、集え!! ブレストファイヤー!!!!」
多くの魔物が苦手とする炎系攻撃魔法。その中でも彼が最も得意とする上級炎魔法を放つ。
ボフ……
「え!?」
だが炎の因子が集まったと同時に、鈍い音を立てて魔法が消滅してしまった。
「そこマデです。ブヒイイ……」
そう人間の言葉を話しながら現れたのは、漆黒のオークの隣にいた副官。知能が低いとされるオーク種の中でも偶発的に高い知能を持って生まれた個体。漆黒のオークの参謀役として長く仕えて来た。カミングが青ざめた顔で言う。
「ど、どういうことだ……!?」
剣も効かなければ魔法も発動しない。狼狽する精鋭達を前に副官オークが言う。
「我々オークはチカラは強いがマホウに弱い。だからサイショから対策済みなんですよ。マホウの」
そう言って周囲を指さす副官オーク。その先には洞窟内の壁に施された魔封じの印。つまりこの空間では一切の魔法は使えない状態。敵襲撃に備えた彼らの当然の防御策であった。
それまで怒りに震えていた漆黒のオークが、椅子に立て掛けてあった巨大な棍棒を手に立ち上がり咆哮する。
「ダマしたな!! このオレをダマしたな!! ブヒイイイイ!!!!」
洞窟内に響く怒声。耳を塞ぎたくなるような激音に、エルティアをはじめとした精鋭達が一瞬恐怖を覚える。カミングが叫ぶ。
「撤退っ!! すぐに撤退をっ!!!」
作戦は失敗。こうなれば一刻も早く逃げなければならない。
「ニガスと思うか!? ブヒイイイイ!!!!」
「え?」
作戦の失敗、敵の反撃。完全に虚を突かれた精鋭達に、漆黒のオークが持つ巨大な棍棒が襲い掛かる。
ドオオオオオオオオオオン!!!!
「ぎゃあああああ!!!」
バルアシア王国の精鋭中の精鋭がまるで払われた蟻のように吹き飛ぶ。古代種漆黒のオーク。その強さは現代の魔物を遥かに凌駕しており、精鋭と言えどもまるで相手にならない。副官オークが周りの兵に命じる。
「ブヒ!!(捕まえろ!!)」
「ブヒ!!(はっ!!)」
命令にそう答えたオークの兵士達がカミングら精鋭達を殴打。意識がなくなるまで殴る蹴るの殴打を受けたカミング達は、無抵抗のまま縄で縛られ牢へと運ばれる。
(私は、また……)
ひとり残されたエルティアが、呆然と佇立したまま天を仰ぐ。
国と自身の命運を賭けた大一番。勝てば国が救われ、自分も自由の身となる。負ければ国は総攻撃を受け、そして自身も醜いオークのものとなる。
(なのに、なのに、また私は何もできずに……)
自分の為に戦ってくれたカミング達は既にいない。一緒に戦うはずだったこの体がまたしても過去の呪いの鎖に縛られ動けない。
――死にたい
死んで皆に詫びたい。勝手なことをした姫として、国に滅亡をもたらした人間として。
「許さねええええ!!! イマからお前のスベテを貰う!! ブヒイイイイ!!!!」
漆黒のオークの怒声が洞窟内に響く。妻になる女が自分を騙したことへの怒り。弱き人間が自分に剣を向けたことへの憤怒。オークがエルティアに言う。
「オマエは俺のスベテを受け入れろ!! 順応に、カンシャしてだ!! じゃなければあいつらと、マチを潰すっ!!!」
脳が真っ白になる。思考が止まる。恐怖で動けないエルティアにはもう何も抗う術はなかった。
「分かった、分かったから……」
そう答えながらも溢れ出る涙。純白の花嫁衣装を着たエルティアが、たったひとり、醜いオークの前で涙を流す。漆黒のオークが涎を垂らしながらエルティアに近付き言う。
「ソウダ、ソウダ。オマエはそうやって順応にしていればいい。ああ、タマラネエ……、ブヒイイイイ!!!」
近付いただけで吐きたくなるような異臭。気絶しそうなほど匂う口臭。硬直したエルティアは自害することすら許されなかった。
(怖い、怖い、嫌だ……)
「ブヒイイ~~」
更に近付くオーク。その大きな口からどぼどぼと流れ出た涎が床に水溜りを作る。口臭と鼻息がエルティアに掛かるほど近付く。
「めんこいィイイ~、ああ、めんこいィイイ~~、ブヒイイ~~!!」
その悍ましい腕が純白のエルティアへと伸びた。
(嫌だ、嫌だ、やっぱり嫌だ……、助けて……)
エルティアが天を仰ぎ心で叫ぶ。
――助けて、ウィル!!!!
「何やってんだ、ブタ野郎ーーーーーーーっ!!!!!」
シュン!!! ズドーーーン!!!!
(え?)
エルティアはその一瞬の光景を大きく目を見開いて見つめた。
自分に迫る悍ましい腕。それが触れようとした瞬間、強い圧と同時に吹いた強風によってその腕が宙に舞い、そして血しぶきと共に大きな音を立てて地面に落ちた。
「きゃっ!?」
瞬間自身の体が強い力で引っ張られ、後退。片手でぎゅっと抱きかかえられたその男を見てエルティアが思う。
――野獣、様!?
「姫様、怪我はないか?」
「え? あ、ああ、大丈夫……」
エルティアは聞き慣れた声にそう答えながら混乱していた。
(ウィル、ウィルなのか……)
右手に青き剣を持ち、左手で自分を倒れないようしっかりと支える男。その荒々しく、そして頼もしき男はまさに野獣様。訳が分からず呆然とするエルティアの耳に、その巨体の悍ましき叫び声が響く。
「ブヒイイイイ!!!(痛てえええええ!!!!)」
片腕を落とされた漆黒のオーク。その腕からどぼどぼと血が溢れ出す。
ドン、ドドオオオン!!!
聞き慣れた爆裂音。エルティアの目にその頼もしい銀髪の側近の姿が映る。
「エルティア様!!」
「ル、ルーシア!!」
オリハルコンの長棒をクルクルと回し、『王都守護者』の二つ名を持つ上級大将ルーシアが雑魚オーク達を爆撃する。ウィルが花嫁衣装のエルティアを見て言う。
「姫様、一体何やってんだよ。そんな格好で」
「う、うるさい。私だって本当はこんな……」
「めっちゃ可愛いじゃん」
(え?)
エルティアは全く予想外の言葉を耳にし、全身の力が抜けていく。ウィルがエルティアをルーシアに預け、赤き剣を抜き前に出て言う。
「おい、ブタ野郎。俺のヒモ生活の邪魔をしやがって。許さねえぞ!!!!」
「ブヒイイイイ!!!!(貴様ぶっ殺す!!!!)」
ウィルと漆黒のオーク。エルティアを賭けた戦いが始まった。




