22.ルーシアの決意
(なぜ私はこの男に助けを求めたのだろうか……)
ルーシアはウィルが操る自分の栗色の愛馬の後ろに乗りながら思った。
「姫様がオークの花嫁に?? どういうことだよ!?」
少し前、ルーシアから驚愕の事実を聞いたウィルは怒りの表情で尋ねた。ルーシアがこれまでのいきさつを説明。オーク求婚の件は王国内でもごく限られた人物しか知らず、無論雑用係のウィルは知る由もない。ウィルが青ざめた顔で言う。
「ひ、姫様が嫁に行っちゃったら、俺のヒモ計画はどうなるんだ……」
やや呆れた顔になったルーシアが答える。
「オークは強欲な魔物。他の男を姫様に近付けることなどしないでしょう」
「そんな……」
泣きそうな顔のウィル。だがすぐに真剣な顔になり言う。
「行くぞ」
「確認の為にお聞きします。行くとはどちらへ行くのですか」
ウィルが栗色の馬の手綱を手にして答える。
「決まってるだろ。姫様のところだ」
ルーシアはやや安堵した表情になって言う。
「あなたの思考は極めて卑賎で救いようのない最低なものだと思っておりますが、なぜでしょう。あなたが来てくれることに私はこの上なく安心感を覚えてしまいます」
ウィルは馬の手綱を引きルーシアに言う。
「分かった分かった。この馬、借りるぞ」
「あ、お待ちください。この馬は気性が荒く私以外の者は……、!!」
上級大将ルーシアの愛馬。その栗色の馬は戦場を疲れることなく駆け回る名馬なのだが、主と認めた者以外の乗馬を徹底的に拒否する。
(その馬に、この男は……)
ひょいと栗色の馬に乗ったウィル。馬の顔を撫でながら言う。
「全力で行ってくれ」
「ヒヒーーーン!!!」
ルーシアは驚いた。この気性の荒い馬を一瞬で手懐ける男。思わず口に出る。
「私も行く!!」
馬上のウィルがルーシアを見て答える。
「そうだな。場所も分からねえし、ルーシア。一緒に来い」
(あっ)
そう言って差し出された手。
ウィルが仲間と認めたその瞬間発動する『常時発動能力』。従者、特に『六星』の能力を飛躍的に向上。ルーシアの背中の星のアザが激しく疼く。
(来た!! やはり、やはりこの男は、ウィルは何かの特別なスキルを持っている!!)
ウィルの後ろに乗ったルーシア。アザの疼き、体の奥底から湧き上がる力を感じつつ、絶対的な安心感に包まれる心地良さを覚える。ウィルが言う。
「行くぞ!! 道案内、頼む!!」
「はっ!!」
ルーシアは自然と彼の命令に従った。
身分で言えば『上級大将』である彼女が『雑用係』の命を聞くことなどありえない。ましてや雑用係の馬の後ろに乗ることなどもってのほかだ。
ただ彼女は内から湧き出す自身の本能に従った。何よりも強い命。今、ウィルの言葉を受け入れること自体が心地良い。
「ルーシア、怪我はどうなんだ?」
星空の下、快調に馬を飛ばすウィルが尋ねる。
「はい、まだ完治には程遠く、ようやく歩ける程度。ただ姫様の為、この身を捨てる覚悟で戦います!!」
ルーシアの中には忸怩たる思いで溢れていた。『王都守護者』と称えられ国を守って来た崇高な矜持。それが最も守るべき姫をあのような豚に奪われること。その奇襲作戦に自分が呼ばれなかったこと。すべてを恥じた。すべてを呪った。
自害して姫様に詫びようとも思った。だがルーシアの心にエルティアが王城にやって来たあの日のことが思い出される。
「初めまして、皆さん。第二王女エルティアです」
第一王女の急死から数週間、バルアシア王国に新たな姫がやって来るとの報に皆が喜んだ。暗い王城。その陰気な空気をその新しい姫は一瞬で変えた。
「綺麗……」
現れたのは第一王女よりももっと美しい金髪の美少女。王族教育を受けていないにもかかわらず体から溢れる気品。皆を虜にする笑顔。城の者は皆すぐにエルティアのファンになり、そして一介の歩兵隊だったルーシアも同性ながらその美しさに見惚れた。
「ルーシア、防具の手入れをしっかりやっておけ!」
「はっ!!」
当時ルーシアは王兵の中でも最下位の歩兵隊。それこそ他の兵達の雑用を任されていた。女というだけで。
「彼女の名はなんと?」
「はっ、ええっと。ルーシアという名前だそうです」
そんなルーシアは戦場に出れば数多の魔物を倒し武勲を上げた。当時まだ未熟だった戦闘スキル『爆裂』。その能力が十分に伸ばせない環境も彼女にとって不遇だった。だがその活躍を知ったエルティアが自身の護衛に当たる部署に異動を命令。そこで皆を前に言った。
「男とか女とかで仕事を決めることは私は良しとしない。王兵になった以上その強さで勝負して欲しい」
そこからルーシアは覚醒したかのように戦場で武勲を上げ続けた。まるで水を得た魚。そんな彼女が軍部最高職である上級大将に上り詰めるのに時間はかからなかった。
「ルーシア、これからもよろしく頼むぞ」
「はっ!!」
だからルーシアはエルティアをいつも全力で守った。バルアシア王国も彼女の為に全力で守った。『飾り姫』と揶揄されたエルティアをいつも彼女は全力で支えた。恩に報いる為に。だからこそ渡せない。エルティア姫を豚などに。
「分かった。じゃあちょっと治療してやろう」
「??」
馬を走らせながらそう口にするウィル。治療。僧侶でもないウィルに何ができる。そもそも王城中の高位僧侶の治療はすべて受けて今の状態。言葉の意味が分からないルーシア。敵の囮になるぐらいはできると思いついてきたのだが、そんな彼女に耳にウィルの言葉が響く。
「お、いたいた!! それ!!」
馬を走らせながら草原に向かって飛び降りるウィル。慌てて止まる馬。振り落とされそうになりながらルーシアが体勢を戻すと、ウィルの剣に串刺しになったスライムの姿があった。ウィルが言う。
「治療してやるよ」
「治療って、そんなことできるのか?」
「え? スライム治療じゃん」
「スライム治療……??」
聞いたことのない治療方法。口を開けてこちらを見つめるルーシアにウィルが言う。
「そうだよ。スライム食べると一時的に治療ができるじゃん。まあスライムってくっそ不味いし、他者に効くかどうか分からないけどやってみるよ」
「スライムを……食べる??」
もはや何を言っているのか全く理解できないルーシア。スライムを食べて治療する話など聞いたことがない。そうこうしているうちにウィルは剣に刺さったスライムをがぶりと食べると辛そうな顔で言う。
「うげっ、やっぱ、超不味い……」
見ているルーシアでさえその不味さが伝わる。そもそもスライムを生で食べる奴など初めて見た。半分ほど食べ終わったウィルが馬から降りたルーシアに尋ねる。
「どこが一番痛む?」
「どこって、全身だが……」
「分かった」
ウィルはルーシアの肩に手を乗せると小さな声で言った。
「治れ!!」
「は?」
あまりに幼稚な掛け声。どんな茶番に付き合わされているのかと思ったルーシアに、その異変はすぐに起こった。
「え? これは、なに……!?」
あれほど辛かった全身の痛みが一気に和らいでいく。王城の僧侶や上級薬師をもってしても数週間の絶対安静を言われていたルーシア。それが嘘のように体が軽くなる。ウィルが言う。
「ああ、効いたか。良かった……」
「これは一体何なんだ!?」
驚くルーシアにウィルが答える。
「何なんだって、だから『スライム治療』だって言ってるだろ。スライムを食べたら一時的に回復できるんだぜ。知らないのか?」
「し、知らない……」
「そうか。まあ、くっそ不味いし、しばらく体の力が抜けてしまうから本当はやりたくないんだが……」
(一体どうなっているのだ……、やはりこの男……)
これはウィルが自然と発現させていた勇者の回復スキル『癒しの手』。大量の気を消費するが触れた者を回復することができる特殊能力。偶然スライムを食べた後に初めて使ったことから、彼は『スライム治療』だと思い込んでいた。無論スライムとか魔物を食べるとか関係ない。ウィルが尋ねる。
「動けるか、ルーシア?」
「はっ! 問題ありません!!」
ウィルが馬に飛び乗りルーシアに言う。
「じゃあ行くぞ!!」
「はいっ!!」
勇者からの指示に従者が答える。気力、体力ともに充実。本人に自覚はないものの、その体は理解していた。勇者と共に戦える最上の喜びを。この男に助けを求めたその理由を。
「も、申し訳ございません……、エルティア様、僕が、僕が居ながら……」
漆黒のオークの洞窟。
バルアシアの姫エルティアを迎えた彼らの前に、奇襲を狙ったカミング達が横たわる。
「私は、私は……」
目の前の漆黒のオークが怒気を含んだ声で叫ぶ。
「ダマしたな!! このオレをダマしたな!! ブヒイイイイイイ!!!!」
カミングを含めたすべて精鋭達が目の前で倒れていく。花嫁衣装を着たエルティアはひとり、経験したことのないような恐怖に体が動かなくなっていた。




