19.無双する少年
王都を出て数時間、ウィル達冒険者を乗せた馬車は、小さいがまるで宮殿のごとき可憐な建物の前で停車した。
周りを華やかな壁に囲まれた、祠ほどの大きさの美しき建物。壁には『宝玉の洞窟』と刻まれたプレートが取り付けられている。その前の広場では先に来ていた冒険者達が探索の準備を始めている。
「あそこから潜るのか」
馬車を降りたウィルがじっとその煌びやかな建物を見つめる。そこへ後ろから声がかけられた。
「おい、クソガキ。お前、本当にやって来たんだな?」
振り返ると立派な騎士風の鎧に身を包んだアダムが立っている。腰には美しい装飾が施された太い剣。見るからに高価な装備だ。ウィルが答える。
「行くって言ったろ。じゃあ」
絡まれると面倒だと思い立ち去ろうとするウィルにアダムが言う。
「泣いて助けを乞うても知らんからな。ぎゃはははあっ!!!」
(マジ鬱陶しいなあ……)
歩き出そうとするウィルに、今度は別の冒険者が声をかける。
「おい、お前。荷物はないのか?」
手ぶらのウィル。よく見ると周りの冒険者達はみな何かしらの鞄を持っている。食料や松明、アイテムなどを入れておく云わば冒険者の常識。ウィルが思う。
(準備していたよ、最初はな……)
彼が主戦場にしていた『黄泉の洞窟』。そこは潜ると数年は地上に戻れない広大な規模の洞窟。どれだけ準備をしようがすべて数日でなくなってしまう。
だからウィルは諦めた、準備していくことを。そして身につけた、現地ですべて調達する術を。ウィルが答える。
「たかだか十階程度だろ? これで十分」
そう言って腰につけた青赤の双剣を指さす。あまりに無謀なFランク冒険者の言葉。周りにいた上級冒険者達は一瞬沈黙したが、ある者は直ぐに大笑いを始め、またある者はウィルに帰るよう説得した。
「こいつも冒険者。しかもギルド嬢に『推し』を貰った奴だ。放っておけ!!」
そんな周りの声をアダムが一蹴する。基本、冒険者は個人事業主。自分の責任は自分で負う。
アダムはウィルを睨むとぺっと唾を吐いてダンジョンへと向かっていく。ウィルが思う。
(なんでみんな俺に絡んでくるのかな。さ、行くか)
そう言って他の冒険者の後に続いて洞窟へと向かった。
(明かりはなしか……)
ダンジョン一階層に降りたウィル。高難易度だけありやはり明かりなどの気の利いた設備はない。周りを見ると他の冒険者達が松明に明かりを点けたり、光魔法で洞窟内を照らし始めている。ひとりの冒険者がウィルに言う。
「おい、お前明かりはないのか?」
ウィルが笑って答える。
「要らないよ。目があるから」
そう言って軽快に歩き出すウィル。長年潜り続けた彼の目は、暗闇でも暗視が聞く特殊能力を身に付けていた。意味が分からない冒険者をよそにウィルがひとり暗闇の中へと歩き出す。
「ファイヤーボルト!!」
「雷鳴斬り!!!」
『宝玉の洞窟』一階層に響く冒険者達の声。すでにあちこちで戦闘に入っているようだ。周りに集中して歩くウィルの目に、前方で動く何かが映る。
(魔物か……?)
ウィルが腰につけた青赤の双剣に手をかける。掴んだのは赤の剣。切れ味抜群の青に対して、赤はなぜか最近切れ味が激減している。
「グギギギッ……」
ゆっくりとこちらに近付いてくる魔物。ウィルの目がそれをはっきりと捉える。
(ゴブリン? いや、あれは……)
姿かたちはまさしくゴブリン。だが放出される強いオーラがそれを否定する。
「キラーゴブリン!! マジか!?」
両手に短剣を持ったゴブリンの上位種。素早い動きに強い打ち込み。圧倒的体力に強い残虐性。下級冒険者では決して相手にしてはいけない強敵である。
ガン!! ガガガガン!!!
数体のキラーゴブリンが一気にウィルに接近。持っていた短剣で斬りかかる。
(こんなのが一階層にいるとは。さすが高難易度ダンジョン!!)
ウィルが主戦場にしていた『黄泉の洞窟』ですら一階層はもう少し組み易い魔物であった。ウィルの背中がぶるっと震える。
「いいねえ~!! やってやるよ!!!」
ドフ!! ドフドフ!!!
そう口にした瞬間、ウィルの赤の剣がゴブリン達に次々とヒット。ゴブリンは声を上げる間もなく倒れていく。剣を腰に収めたウィルが言う。
「ふう、これでいいかな。じゃあ……、あれ?」
歩き出そうとしたウィルが何かを踏みつけたことに気付く。小さな石ころのような物。ウィルが拾い上げて言う。
「あ、これが一階層の宝石……、ええっと確かターコイズだっけ?」
ウィルは暗闇で拾った宝石をまじまじと見てからポイと投げ捨てて言う。
「一階層の宝石は要らないな。さ、どんどん行こ!」
そう言ってウィルが暗闇の中へと歩き出す。
三階層までは一緒に潜った冒険者達も比較的余裕を持って戦うことができた。ただ四階層からは次元の異なる魔境となる。
「ぎゃああああ!!!!」
四階層のあちこちで上がる悲鳴。上級冒険者よりやや劣るBランクの者にとってはすでに攻略は不可。現れた魔物に次々と襲われリタイアしていく。
「はあああ!! ふん、ふんっ!!!!」
そんな中、立派な騎士風の鎧に身を包んだアダムが、美しい装飾が施された太い剣を可憐に操り魔物達を一刀両断にしていく。
「はあ、はあ……、この程度、まだまだ!!」
気力、気迫ともに充実。松明を片手に昨年の到達地点である五階層へと降りて行く。
「あれ……、こっちかな……」
順調に階層を降りるアダムに対し、ウィルは魔物こそ脅威ではないが想像よりも広い迷宮にすぐに迷子になってしまった。『黄泉の洞窟』も広く探索に膨大な時間のかかる迷宮だったが、その大きな原因が自分の方向音痴だったことを彼は知らない。
「う、うわあああ!! 来るな、来るなああ!!!!」
四階層を迷いながら歩くウィルに、前方から大きな声が聞こえた。すでに冒険者だと分かっていたウィルが慌てずゆっくりと近付く。
「来るな、来るな!!!」
冒険者は洞窟の壁際に座ったまま手にした石を出鱈目に投げつけて来る。ウィルが言う。
「おーい、大丈夫か?」
既にその臭覚で分かっていた。彼は大きな怪我をしていると。
「ぼ、冒険者、……か?」
ようやくウィルが魔物ではないことを知った冒険者が安堵の表情を浮かべる。ウィルが近付いていう。
「怪我、大丈夫か?」
「あ、お前は……」
意外だった。この四階層でまさか地上で見た子供の冒険者に出くわすとは。冒険者が血が滲み出た太腿を抑えながら答える。
「俺程度の実力じゃここまでが限界のようだ。結構、鍛えてきたんだがこの怪我じゃな……」
包帯が巻かれ一応止血はしてある。冒険者が言う。
「お前、名前は?」
「ウィル」
「そうか、ウィル。どうやってお前がここまで来たのか知らないが、運だけではここへ辿り着くのは不可能だろう」
そう言って冒険者がウィルの体を見る。傷どころか衣服の乱れひとつない。さらにこの暗闇の中、松明の明かりなしで平然と歩いてきた。冒険者がやや苦笑して尋ねる。
「子供だと馬鹿にしていたが名のある冒険者なのか?」
「いや、Fランクってのは本当。って言うか、十五歳なのにまだ子供なのかよ」
そう言って笑うウィルの顔はやはり幼さが残る。冒険者が言う。
「俺から見れば十分子供だ」
「そうか。それより怪我は大丈夫か?」
「ああ。もう少しすれば動けるようになる。そうしたら地上に戻るよ」
「分かった。じゃあ、あいつは俺が倒してくるから。無理すんなよ!」
「え?」
ウィルはそう冒険者に言い手を上げると、ひとり暗闇の中へと走り出す。
その後、歩けるようにまで回復した冒険者がウィルの向かった先へ行くと、見たことのないような凶悪な魔物の残骸が横たわっていた。
「やっと五階層か……」
四階層で散々迷ったウィル。ようやく見つけた下へ降りる階段を見てふうと息を吐く。
この辺りまで来ると周りが随分と静かになる。たくさんいた冒険者のほとんどがすでに撤退をし、洞窟の静けさと遠くから感じる魔物の気配のみが体に伝わる。
(これは……)
五階層に降り立った瞬間ウィルの体に伝わる弱りかけた冒険者の吐息。それに群がる幾つもの邪気。誰だか知らないが魔物の攻撃を受け窮地に追い込まれているようだ。
(え?)
油断した。
冒険者の危機を知って素早く動き出そうとしたウィルに、一瞬の隙ができた。
「キキーーーーッ!!」
光が届かぬ暗闇。ウィルの目ならば十分周りを確認できたのだが、その暗闇に溶け込む真っ黒な魔物の存在を一瞬見逃した。
「あ! こら、待て!!」
ウィルを襲ったのはブラックモンキーと呼ばれる暗闇を好む魔物。下級冒険者では全く歯が立たないほど強い魔物だが、悪戯好きな性格で冒険者から物を盗んだりして揶揄うことがある。
腰につけた赤の剣を奪われたウィル。慌てて黒きサルを追いかける。
(くっそ!! これ大事な剣なんだよな……)
ウィルの愛剣『青赤の双剣』。手に入れたのはもちろん『黄泉の洞窟』の深層部。古く錆び付いてはいたが二本並んで置かれていた。
ウィルが気に入った理由はその硬さ。どれだけ強く打ち込んでも全く折れない。いろいろな剣を拾って使ったが結局最後まで彼の手に残ったのはこの二本だけであった。よく斬れる青の剣と、あまり斬れない赤の剣。その理由はいずれ彼の知るところとなる。
「キキーーーーッ!!」
格上と判断したブラックモンキーがまるでウィルを揶揄うように赤き剣を持って駆けまわる。追いかけるウィル。この静かな五階層でふたりの駆ける音が遠くまで響き渡る。
「あっ」
黒きサルを追いかけていたウィルの視界に倒れた冒険者の姿が入る。その周りには複数の魔物。先ほど感じた窮地に追い込まれた冒険者のようだ。
「なんで、なんでこんなたくさん一度に……」
大怪我を負ったアダムは倒れたまま周りを囲む魔物の気配に体を震わせた。
五階層は来たことがある。危険なのも知っている。だから細心の注意を払って行動していた。魔物同士がけん制し合う階層。だからここでの戦いはいつも個と個の戦いだった。だが、
(なんで魔物がこんな集団で襲ってくるんだ……)
想定外の集団での襲撃。高価な鎧に身を包んだアダムだったが、そんな装備も五階層の魔物の集団攻撃の前に呆気なく砕け散ってしまった。
――俺、死ぬのか。
横たわったままのアダムの目から涙が溢れる。
上級冒険者としての地位を固め、多くの魔物を討伐しギルドからの信頼も得てきた。引退後は妻と小さな牧場でも営もうと思っていた。それがすべて終わる。そう思うと涙が嗚咽に変わった。
「うわあああっ!! 死にたくないよぉおおお!!!」
「一刀流円舞漸!!!」
(え?)
アダムは地面に横たわったままその声をはっきり聞いた。
松明も失い、真っ暗で何も見えない暗闇。その中で響くまるで勇気付けられるような声。
バタ、バタバタ……
同時に聞こえる魔物の倒れる音。何も見えない。だが周りにいた魔物の邪気は消え、少しの呻き声の後静寂が訪れる。
「た、助かったのか。俺……」
アダムは全身の力が抜けた。
そして先ほど響いたどこか聞き覚えのある声のことを思い、また涙が溢れた。




