15.面白くない姫様
(流れが変わった。何が起きたんだ……??)
後方より魔物の軍を指揮していた黒騎士は、突然動かなくなった魔物、そして押され始めた軍を見て首を傾げた。
実は黒騎士は、毎回魔帝ガルシアよりふたつの命を受けていた。
「お前は傍観者に徹しろ。そして人間どもを追い詰めるな。我らの脅威を与えるだけでよい」
意味が分からなかった。
憎き人間を殺さずに恐怖を与えるだけ。そこに何の意味がある? 毎回城壁や街を破壊し、抵抗する人間に怪我を負わせる。無論、死に至る人間もいるがそれはごく僅か。魔帝ガルシアは『来たる決戦』というが、一体何に備えているのだろうか。
(あの女騎士、厄介だな……)
黒騎士は前線で急に目立ち始めたその金髪の騎士を腕組みしながら見つめた。
「はああああああ!!!!」
ガン、ガンガン!!!!
エルティアは舞った。戦場を、この戦いの場をまるで勝利の女神のように美しく舞った。
(楽しい、楽しい、楽しい、楽しいいいいい!!!!)
すでにスケルトンナイトはいない。エルティアの強力なスキルの前にあっと言う間に灰になってしまっている。その後も『威圧』で動かなかくなった魔物を次々と斬り倒し、威圧が届かなかった魔物もその圧倒的な剣術でねじ伏せて行く。
「エルティア様……」
遠くで戦っていた上級大将カミングも、その姫の美しき舞に目を奪われた。
(あれはまさに修練場でのお姿。エルティア様もついに殻を破られたのですね!!)
カミングもその実力を認めていたひとり。ただ戦場ではその力が発揮されていなかった。本来の姫様の力を取り戻したエルティアを見て、カミングも魔物討伐に改めて気合を入れる。
(姫様、やっぱ強いな! もう俺、何もしなくていいじゃん)
城壁の上で戦況を見ていたウィルが頷いて思う。
エルティアが強いのは知っていた。ただ緊張してしまうのか、実戦では動きが悪くなる悪習があったので『威圧』で援護。すると思っていた通りの活躍をしてくれた。ウィルは腕を組み、一気に押し始めたバルアシア軍を見て頷いた。
(ああ、快感……、心地良い、体の底からじんじんと痺れる……)
エルティアは戦場を舞いながら体を何度も走り抜ける快感に身を震わせていた。体の奥底から湧いてくる力。左胸の心地良い疼き。重力を感じさせないほど体も軽く、敵の動きが手に取るように分かる。
鍛錬でもここまでの動きはできない。一体何が起きたのか。いや、そんなことを考えるより、今の彼女はこの快楽のまま剣を振るう事に夢中になっていた。
「姫様、強ええ……」
「マジすげえな!!」
一緒に戦っていた兵士達も、突如変貌した自国の姫に目を奪われる。可憐でありながら美しく強い。一部の魔物達が突然動かなくなったのも不思議だが、それ以上に『飾り姫』の乱舞は強烈なインパクトを与えた。
(そろそろ頃合いか……)
押され気味の魔物の軍勢の後ろで指揮を執っていた黒騎士が内心つぶやく。何か強力な魔法使いでも現れたのか。理由は分からないが互角だった戦いが、ある時点を境に一気に劣勢に追い込まれた。金髪の騎士が動き出したのと重なる。
(実は今まで力を隠していたとか? ……まあいい。だが挨拶ぐらいはさせて貰おうか)
黒騎士は右手を大きく上げ念じる。
(ギガサンダー!!!!)
ドドド、ドオオオオオン!!!!
「ぎゃああああ!!!!」
突然空に現れた真っ黒な雲。そこから轟音と共に草原へと巨大な雷が落とされた。幸い死者は出なかったが突然の天候の急変に兵士達が驚く。
黒騎士が再度右手を上げ全軍に通達する。
「全軍撤退っ!!!」
それを合図に魔物達が撤退を始める。
こうして突如始まった『百災夜行』は、カミングや覚醒したエルティア姫の活躍によって無事ことなく乗り切ることができた。
「姫様、この度のご活躍おめでとうございます!」
黒騎士率いる『百災夜行』を退け、様々な武勲を讃えられたエルティア。その興奮冷めやまぬ中、副官であるルーシアの元を訪れた。未だ床に横になったままの彼女に声をかける。
「ありがとう。それより体調はどうだ?」
「ええ。日々回復しています」
そう答えるルーシアの顔色は良い。エルティアがその手を握りしめて言う。
「早くお前と一緒に戦いたい。今、私が望むのはそれだけだ」
「勿体ないお言葉。姫様……」
思わずルーシアの目頭が熱くなる。『百災夜行』という国の窮地に、国の守護者として名を受けた自分が何もできない。これほどの屈辱はなかった。エルティアが小さく頷いて言う。
「なあ、ルーシア」
「はい」
「もう分っているとは思うが、今回も感じたんだ。湧き上がる力と左胸の疼き」
「そうですか……」
それは何となくルーシアも察していた。あの『飾り姫』と呼ばれた姫が戦場で舞う。理由はそれ以外ないと思っていた。エルティアが尋ねる。
「ウィルという男を覚えているか?」
「ウィル……」
ふたりの脳裏に『虚勢』を『去勢』だと思い込んで大恥をかいた記憶が蘇る。真っ赤になるふたりの顔。少しの沈黙の後、エルティアが言う。
「彼のスキルだが、その、空威張りというよりは、何か応援のスキルじゃないのだろうか?」
「応援のスキル?」
そう尋ねるルーシアにエルティアが答える。
「ああ。今回彼が城壁の上から私の名を呼び応援してくれた。それからなんだ、急に力が湧きて来たのは」
「そうですか……」
ルーシアもあのミノタウロス戦もあの場にウィルがいて、確かに自分達を応援してくれたことを思い出す。
「応援のスキル持ちと言うことでしょうか?」
「うむ。そう思いたいのだが、ただあれほどの力を他者に出させるスキルなどあるのだろうか。戦場で全く動けなかった私をあれほど激変させるスキルなど……」
それにはルーシアも同意する。自身、あの体の奥底から湧き上がる不思議な力を経験しており、あれがスキルの効果だとしたら下手な戦闘スキルより遥かに強力なものである。ルーシアが言う。
「では一度ウィルに直接聞いてみては如何でしょうか?」
「ウィルに直接?」
その言葉を口にしたエルティアが少し動揺する。
「何か?」
「あ、いや、何でもない。そうだな、そういった理由があれば私が彼を尋ねても不自然ではないな」
ルーシアが少し苦笑しながら言う。
「姫様、あなたは本当に素直な人だ。あなたと一緒に居られて私は幸福だ」
「ど、どうした、ルーシア。急に?」
「いえ、何でもございません」
だから思う。この美しき愛すべき姫を、豚などにくれてやる訳にはいかない。ルーシアは笑顔のまま強く自身に誓った。
「すまぬ、ちょっと教えて欲しいのだが……」
王城庭園で仕事をしていた雑用係の黒ひげは、不意に後ろから掛けれた言葉に気付く振り返る。
「え? ひ、姫様!?」
そこにいたは白のドレスを纏った美しきエルティア姫。いきなりの声掛けに腰を抜かすほど驚いた黒ひげが後退して頭を下げて言う。
「は、はい!! 姫様、何でしょうか……」
雑用係などが姫と会話するだけでもあり得ないこと。そんな自分に何か尋ねるとは。エルティアが言う。
「そんなに畏まらなくても良い。あの、だな……、今、ウィルはどこにいるか知らぬか?」
「え、ウィル? ああ、今日は非番ですので、ええっと確かギルドに行くと言っていましたが……」
「そ、そうか。ありがとう。邪魔をしたな」
「いいえ、滅相もございません!!」
そう言って頭を下げる黒ひげにエルティアは軽く微笑んでからその場を立ち去る。
「姫様に、声を掛けられた……、ありがたやありがたや……」
黒ひげは立ち去るエルティアを拝むように頭を下げ見送った。
(ギルドに行くのにこの格好はまずいか……)
エルティアはギルドに行くに当たりなるだけ目立たぬよう、フード付きのコートに服を着替えた。先日の冒険者招集ならいざ知らず、今回は限りなく私用に近い訪問。姫だとバレないようこっそりと城を出て城下町へと向かう。
(相変わらず活気のある場所だ。ウィルは、あ、いた……)
ギルドに入ったエルティア。いつも通りの冒険者の活気を感じながらウィルを探すと、カウンターに立つ彼の姿を見つけた。
「で、いったい何の用だよ。マリン」
急遽マリンに呼び出されたウィル。カウンター越しにマリンが目を輝かせて言う。
「あ~ん、私に会いに来てくれたのね、ウィル君!」
「違う。ギルドに呼び出されたから来たんだ。早く用件を言え」
そうぶっきらぼうに答えるウィルの手を握ってマリンが言う。
「うんとね、お話は『推し冒険者選手権』のこと。まだちゃんと説明していなかったよね」
「あ、ああ。まあそうだな……」
詳しい説明はもちろん。『推し冒険者』としての登録もまだしてない。ウィルの手を握ったままのマリン。その彼の背後にフードを被った女性が立っているのに気付く。
「あれ? どなたでしょうか? 私に何か御用で……」
マリンがそこまで言うとその女性はフードを躊躇いなく取り、目の前のウィルに言う。
「随分楽しそうじゃないか、ウィル」
「え?」
聞き覚えのある声に振り返ったウィルが固まる。
「げっ!? 姫様??」
反射的に握られていたマリンの手を放す。エルティアが無表情で言う。
「私にはヒモになりたいとか言っておきながら、外ではそうやって他の女を口説いて回っているのか?」
「な、なに言ってんだよ!? 違う、違うって!!」
「下賤者め、二度と私の前に現れるな」
そう言って再びフードを被りかつかつとギルドを出ていくエルティア。周りにいた冒険者達はいきなり現れた姫に驚き、口を開けたまま呆然としている。ウィルが言う。
「ちょ、ちょっと待ってよ!!」
そう言ってエルティアを追いかけようとした彼を、今度はマリンがその腕をぎゅっと掴む。
「ウィル君は私に会いにきたんでしょ! ここにいなきゃダメ!!」
「ちょ、ちょっと放せって!!」
そう言うもののぎゅっと強く掴んだ腕を放さないマリン。ウィルの『ヒモ計画』が更に足音を立てて遠のいて行った。




