11.一方的
目の前に広がる圧倒的なオークの群れ。
悪臭、悍ましき姿。対峙するだけで感じる強い威圧。その数を見れば、弱小国バルアシアの都市ひとつなどいつでも潰せるという自信も頷ける。
そしてその最たる象徴が漆黒の巨漢のオーク。瓜のように出た腹、黒き皮膚、手には大きな棍棒を持ち、エルティアを視姦するような目で見つめて言う。
「ニンゲンの姫よ、オレのヨメになれ。断ればあの街をツブす」
平常心を保つよう努めて来たエルティアが震える。
(嫁、嫁ぐ、この醜いオークに、私が……)
顔面蒼白のエルティア。何かを言おうとするより先に、腹心である上級大将ルーシアが言い放つ。
「無礼者っ!! 我が国の姫がなぜ貴様のような豚に嫁がねばならぬのだ!!!」
いつも冷静な彼女にしては珍しい怒声。血走る目。それほど受け入れ難い要求であった。漆黒のオークが巨大な棍棒を肩に乗せ首を傾げて言う。
「イヤなら殺すぞ。ゼンブ、お前らゼンブコロス。ブヒヒヒッ……」
悍ましい笑い。人間など取るに足らない相手としか見ていない強者の余裕。馬上のエルティアが震えた声で言う。
「私は、私は……」
エルティアは突然の要求に頭が真っ白になっていた。悍ましい魔物に嫁ぎ身を捧げる。考えた事すらない。
(背中が疼かぬ。沸き上がる力もない。だが、そんなこと言ってられぬ!!)
栗色の馬から颯爽と降りたルーシアが、背にしたオリハルコンの長棒を手にオークに言う。
「豚などに我が君は渡さぬ。滅せよっ!!!」
「ル、ルーシア、よせ!!!」
長棒をクルクルと振り回し漆黒のオークに突撃するルーシア。まだ完治しないミノタウロス戦の怪我。全身に走る痛み。それを分かっているエルティアの制止も振り切り、上級大将が単騎敵へと駆ける。
「はああああああ!!!!」
素早い動きのルーシア。その長棒がオークの突き出したお腹に直撃する。
ドオオン!!!
爆音。衝撃。ルーシアの攻撃スキル『爆裂』が発動。だが思った。
(浅いっ!!)
全身に痛みを抱える彼女。最後の踏み込みが遅れ長棒の打ち込みが甘くなった。
「ブヒイイイイイイイィ!!!!」
ルーシアの攻撃で発生した黒煙の上から、それよりもずっと黒い腕と棍棒が振り上げられる。
「下がれ、ルーシア!!!!」
エルティアの悲痛な叫び声。彼女の目にはゆっくりとまるでスローモーションのようにその辛い光景が映った。
ドン!!!!
「きゃああああああああ!!!!!」
低い重音。鎧が砕ける音。それに混じってルーシアの甲高い悲鳴が辺りに響く。
(力が、出せぬ……、くそっ……)
吹き飛ばされ、仰向けに倒れたルーシアは己の無力さを呪った。
怪我をしているとは言え圧倒的力の差。ミノタウロス戦で感じた不思議な力もない。『六星』だと自負している彼女だが、その矜持が豚の一撃で粉々に砕かれる。オークが巨大な棍棒を振り回しながら言う。
「ブヒイイイイイイイ、コロスぞ。全部、コロスぞ!!!!」
激怒する漆黒のオーク。周りにいた取り巻きオーク達が引きつった顔で後退りする。
「分かった!! 分かったから、もう暴れないでくれ……」
そんなオークに金髪の姫エルティアが懇願するように叫ぶ。周りの視線が彼女に集まる。動きを止めるオーク。ドンと棍棒を地面に置き言う。
「オレのヨメになるか!? ブヒイイイィ!! ああ、堪らない。ニンゲンのめんこいヨメェ、ヨメェ……」
舐めるようにエルティアの全身を見つめるオーク。その屈辱的な視線にエルティアが顔を背けて耐える。オークが言う。
「一週間後にムカエに来る。ミを清めておけ。いいな? ブヒイイイ!!!!」
そう言うとオークは棍棒を天高く振り上げ大群に合図する。退却の合図。周りのオーク達が規則正しく退却して行く。
「ルーシア!!!」
魔物の撤退を受け、ようやく体の緊張が解けたエルティアが倒れたままのルーシアの下へと駆け寄る。ぐったりとしたルーシア。抱きかかえられながらルーシアが言う。
「申し訳、ございません。不甲斐ない自分を、お許しください……」
その目には涙。自力では立てぬほどの重傷だ。エルティアが抱きしめながら答える。
「気にするでない。気にすることなど……」
そう答えるエルティアの目にも涙が溢れる。弱小国で精一杯頑張って来たふたり。ここ最近続くあまりにも重い襲撃に、文字通り身も心も壊れかけている。ルーシアがエルティアの髪に触れながら尋ねる。
「姫様が、あのような豚に嫁ぐなど、断じて私は認めませぬ……」
その手を握り返してエルティアが言う。
「分かっている。お前の気持ちは分かっている。だが、私は王国の姫。この身で国の安寧が望めるならどんな覚悟でもできているつもりだ……」
「姫様……」
溢れる涙。ルーシアは一度目を閉じエルティアを見上げながら言う。
「一度王城へ戻りましょう。それからしっかりと対策を……」
「分かった。立てるか? 肩を貸そう……」
エルティアは重傷を負ったルーシアに肩を貸すと、側近の精鋭と共に王城へと歩き出した。
王都郊外、退却した漆黒のオークの本隊からはぐれてしまった数体のオーク達。気味悪い笑い声を上げながら草原を歩く。
「ブヒイイイ(人間弱いな)」
「ブヒイイ!!(ああ、あんな奴ら軽く捻り潰してやるぞ!!)」
下っ端である肌色のオークが興奮気味に言う。その上官である栗色のオークが困った表情で言う。
「ブヒ、ブヒイイイ……(うむ、どうも本隊とはぐれた。やばいな……)
周りにはすでに仲間はいない。勝手な行動を取ると漆黒のオークに叱られる。下っ端オークが言う。
「ブヒ、ブヒイイイ、……ブヒ!!(今日は機嫌良かったんで大丈夫かと、……あ!!)」
そんなオーク達の目に草原で何やら作業をする人間達の姿が映る。何をしているのか分からないが、若い女や少年の姿も見える。オークが言う。
「ブヒイイイ!!(あいつら襲って手土産にすればきっとボスも喜びますぜ!!)」
栗色の上官オークも叱咤される恐怖から思わず賛成する。
「ブヒ、ブヒイイイ!!!(うむ、では総員攻撃!!!)」
はぐれたオーク一行。運良く目についた人間達に向かって突撃した。
「あ~、腰痛てぇ……」
朝からひたすら薬草の採取を続けていたウィルが立ち上がり両手を伸ばして言う。
これは王城雑用係にとって大切な仕事。一見簡単そうに見えるが似たような草が幾つもあり、必要な薬草だけを取っていくのは骨が折れる。上司の黒ひげが笑いながら言う。
「なんだウィル。もう音を上げているのか??」
雑用係として長いキャリアを持つ黒ひげ。無論、この薬草採取も手慣れたものだ。上司の一杯になったかごを見てウィルがため息交じりに言う。
「もうダメっす……、これ、いつになったら終わるんだ……」
黒ひげがウィルの背中を叩いていう。
「もうちょっとだ。ほら頑張れ! ……ん?」
そんな黒ひげ上司の目に、遠方からこちらに向かって何かが勢い良く近付いてくるのが映った。目を見開いてそれを確認。黒ひげの顔が青ざめる。
「ま、魔物……、なんで、こんな場所に……!?」
バルアシア王城が薬草採取の拠点としている草原。通常なら魔物など来るはずのない場所。目的にされたのか、こちらに突撃しているのでもう魔物除けも効かない。黒ひげが青い顔をして叫ぶ。
「に、逃げろ!! 魔物だ!! みんな、すぐに逃げるんだ!!!」
それを聞いた雑用係の者達が飛び跳ねるように慌て逃げ出す。雑用係には戦えない老兵や女、そして子供ぐらいの者もいる。戦闘を目的としない、まさに雑用のための集団。ゆえにこのような戦いはほとんど想定していない。
黒ひげがゆっくりと水を飲むウィルに大声で言う。
「ウィル!! 何してる!? さ、早く逃げるぞ!!」
ウィルが腰を手で叩きながら答える。
「無理っす。俺、めっちゃ腰痛いし……」
「馬鹿野郎!! そんなこと言ってると命が……、ああ!!??」
黒ひげがすぐ近くまでやってきたオーク達を見て震え上がる。
「ブヒイイイ!!!(人間だ、殺せ、犯せ!!!!)」
漆黒のオークへの手土産にしようと張り切って突撃する下っ端オーク達。
だが彼らには運がなかった。相手が悪かった。先頭を走っていたオークが地面に置かれた薬草のたくさん入ったかごを蹴り飛ばす。
「ブヒイイイイイ!!!(邪魔だ、このかご!!!!)」
ドン!!!!
「あ……」
蹴り飛ばされた薬草のかご。ウィル達雑用係が朝から必死に集めた薬草が入ったたくさんのかごが、走ってきたオーク達によって次々と蹴飛ばされて行く。
「お、おい、お前ら、何をして……」
初めて表情を変えるウィル。腰を痛めてまで頑張った朝からの苦労がオーク達の突進と共に空に舞っていく。
「てめえら、許さねえ……」
ウィルが腰に付けた青赤の双剣に手をかける。栗色の上官オークが叫ぶ。
「ブヒイイイイイ!!!!(ヒャッハー、みんなやっちまえ!!!!)」
オーク達は油断した。
老兵に女と子供。逃げ始めた彼らを見て容易く蹂躙できると思い込んだ。
「双剣乱舞戟!!!!」
刹那。何かしようとするウィルに叫ぼうとした黒ひげは、その信じられない光景に目を見開いたまま固まった。
ザンザンザンザン!!!!!
十数体のオーク達の間をまるで流れる流水のように駆けるウィル。速すぎて目に留まらない剣劇。直後オーク達から一斉に血しぶきが吹き上がる。
バタ、バタバタバタ……
次々と倒れ動かなくオーク達を背にウィルが言う。
「ブタ風情が、一瞬でも俺に勝てると思ったのか?」
剣に付いた血を払い、離れた場所でこちらを見つめる黒ひげに言う。
「あの~、また集め直しっすよね……」
黒ひげはウィルが指さす散らばった薬草と彼を交互に見ながら言う。
「ひえ!? あっ、いや……」
雑用係には色んな人間が集まってくる。
訳ありの者、身寄りのない子供や女。腕自慢の者も多くいた。だが目の前の茶髪の少年はまるで規格外。黒ひげが思う。
(こいつ、一体何者なんだ……)
ため息をつきながら散らばった薬草を集めるウィルを見てその上官は何度も頭を搔いた。




