10.醜き魔物の要求
「姫様~」
バルアシア王国王城。中庭を歩いていた金髪の美少女エルティアは、不意に横から呼ばれた声に笑いながら応じる。
「ウィルじゃないか。よく似合っているぞ、その作業服」
エルティアの傍に仕えたいと希望したウィルは、ルーシアの助長もあり無事に王城の雑用係として召し抱えられた。だがそれは彼の希望していた『姫様のヒモになってぐーたらな生活を送る』とは全く違うものであった。ウィルが言う。
「姫様~、これって全然俺の希望と違うんだけど!!」
今日は中庭の草むしり。強い日差しが照り付ける中、汗だくになったウィルが悲壮な表情で訴える。エルティアが口に手を当て笑いながら答える。
「うふふ、よく似合っているじゃないか。職務に励めよ、じゃあ」
そう言って軽く手を上げ供の者と涼しい王城へと消えて行く。想像とは違った新たな生活。ぐったりするウィルを彼の上官である黒ひげの男がガンと殴りつけて言う。
「こら、ウィル! サボるんじゃねえ!! 働け!!」
「は、はい!!」
ウィルにとって人生初めての上司。なぜこんなに偉そうにするのか理解できなかったが、彼の命令には不思議と体が従ってしまう。更にぐったりするウィルに上官が言う。
「この程度で何やってやがる。明日は遠征だぞ」
「え? 遠征??」
ここに勤めてから初めて聞く言葉。ようやく城内の雑務から解放されたのかとウィルが目を輝かせて尋ねる。
「どこに行くんだ?? どんな魔物と戦うんだ??」
黒ひげの上官が呆れた顔で答える。
「何言ってるんだ。俺達みたいな雑用係が魔物と戦う訳ねえだろ。王城の郊外の先にある草原で薬草収集だ」
「薬草、取集……?」
「そうだ。大きな戦に備えて備蓄を増やす為だ。俺達雑用係の大切な仕事。さ、頑張るぞ」
「はい……」
ウィルはどうやったら『夢のヒモ生活』に早く辿り着けるのか真剣に考え始めた。
翌日、雑用係のウィル達が薬草収集に出掛けた後、王城では先の『漆黒のミノタウロス討伐』を労う祝賀会が開かれた。
王城最上階にある国王の間。真っ赤な絨毯が敷き詰められ厳粛な空気が流れる中、今回の立役者であるエルティアとルーシアが登場する。
「おめでとうございます! エルティア姫!!」
「ルーシア上級大将、さすがです!!」
警備の王兵、その前に並ぶ綺羅やかな服を纏った大臣達が拍手と賛美の声を送る。
エルティアは白いタイトなドレスに金色の長髪を揺らしながら歩き、ルーシアは対照的に銀色の髪をアップにして燃えるような赤のドレスをやや恥ずかしそうに歩く。国の『武』と『美』の頂点に立つふたり。
『飾り姫』などと揶揄されたエルティアの驚くべき功績。大きな拍手の中、皆の視線を浴びながらゆっくりと歩みを進める。
「ルーシア、本当に私で良いのか。あの魔物を倒したのは……」
討伐の記憶がないエルティア。故にこの様な祝賀会の主役になることにやや躊躇いを覚える。ルーシアが小声で答える。
「問題ありません。あの場に居てミノタウロスと戦ったのは間違いなく姫様。自信をお持ちください」
笑顔で答えるルーシア。彼女とて分かっている。誰が倒したのか分からないことぐらい。
(だが、今この国には彼女のような希望が必要なのだ)
弱小国家バルアシア王国。周囲を強国に囲まれ、更に『百災夜行』と呼ばれる魔物の襲撃に怯える日々。
そんな中にあってエルティア姫が『厄災級』と恐れられたミノタウロスを討伐したという事実は、何事にも代えがたい吉報である。エルティアがやや納得しかねぬ表情で答える。
「分かった。今は甘んじて受けよう……」
真っ白で美しいタイトドレスに負けぬほどの艶やかな生足を見せながら、先で待つ后の下へと歩み寄る。病気がちな国王に代わりこの国の舵取りをする后。膝をついて頭を下げるエルティアとルーシアに微笑みながら言う。
「この度のふたりの活躍、大変見事でした。漆黒の悪魔の討伐、ご苦労様です」
「有り難きお言葉。至極恐悦にございます」
ふたりは后よりこれ以上ない労いの言葉を掛けられる。特にふたりの武勲については最上級の謝意を送られた。
(背中が疼かない……)
后の有り難い言葉を聞きながら、ルーシアは不意に別のことを考えた。
漆黒のミノタウロスとの激闘。その多くの武勲はエルティアに譲ったのだが、あの時に感じた背中の疼き。体の奥底から沸き上がる力。快感。確証はないが自身が『六星』だと思っているルーシアにとって初めての誉き体験。だがあれ以来、背中が疼く事は一度もない。
(勇者様はいらっしゃっているのだろうか……)
隣で后の話を聞くエルティアの横顔を見つめながらルーシアはまだ見ぬ勇者のことを考えた。
そんな和やかな祝勝会。だがひとりの王兵の報告がそれを一変させる。
「ほ、報告します!!!」
やって来たのは上級兵士。部下からの報告を受け顔色を変えてこの厳粛な場に現れた。流れ出す汗、青ざめた顔。本来なら締め出すはずのその兵に、后が立ち上がって尋ねる。
「どうしました? 何があったのです??」
エルティア姫達の功績を祝う席。それを壊してまで伝えるべき報告に皆の視線が集まる。兵士が一礼して后の下へ行き言う。
「オークの群れが襲来しました!! 我が軍の倍はある大軍。そしてその指揮を執っているのが……」
后の顔が真剣になる。兵士が言う。
「巨大な漆黒のオークです……」
傍に居たエルティア達もその報告に呆然となった。
ある意味それは壮観であった。
王都バルアシアの先に広がる大草原。青く澄み切った空に、それに似つかわぬ醜いオークの群れ。薄汚くくすんだ肌。漂う異臭。耳を塞ぎたくなるような鳴き声。その悍ましいオークの群れが大地を覆いながら王都に向かっている。
城壁からその様子を見た警備兵が真っ青な顔でつぶやく。
「国が、滅びる……」
それほど圧倒的な威圧感があった。あれが一斉に攻めて来たら一溜まりもない。王都を守る警備兵だからこそその異常さが分かる。そんな彼らの目に一体の巨大なオークの姿が映る。
「あれは、なんだ……!?」
他のオークの倍以上はあるような巨躯に、突き出したお腹。皮膚の色は漆黒で、手には巨大な棍棒。離れていても分かる強い威圧感。明らかにその一体だけ何かが違う。
そこへ急ぎ駆け付けたエルティアとルーシア。城壁の上からその異様な光景を眺め思わず口にする。
「一体、何がどうなっているんだ……」
ようやく厄災と恐れた漆黒のミノタウロスを討伐したばかり。だが再び悪夢の襲来。目の前のこの悍ましい光景に全身の力が抜けていく。エルティアが兵に命じる。
「急ぎ城門を閉めよ。守備兵を集め守りに徹する。専守防衛だ!!」
「はっ!!」
兵士が慌ててエルティアの伝令を伝えに走り出す。数では勝てない。だが地の利がある。防御すれば凌げるか? そう考えていたエルティアにオークの大きな哮る声が響く。
「ニンゲンの姫ぇええ!! ハナシがある。ハナシをしに来いぃいいい!!!」
「!!」
大地を震わせるような大きな声。辺り一面に響く耳を覆いたくなるような轟音。ルーシアが言う。
「魔物なのに言葉を……??」
「それなりに知能が高いと見える。さて、一体どうすれば……」
エルティアは震えていた。
遠くにいるが、恐らくあのオークも古代種であろう。離れていても伝わる威圧感。重量感。その気なればいつでもこんな国など潰せるという自信。ルーシアが言う。
「話し合いを望んでいるようですが、如何しましょう?」
「……行かねばならぬだろう」
断れば即総攻撃をする、無言の威圧がそう語っている。ルーシアが胸に手を当て言う。
「私もお供します」
エルティアは彼女の体を見て一度目を閉じ言う。
「まだ体の怪我が完治しておらぬだろう。無理はするな」
漆黒のミノタウロスとの戦いで重傷を負ったルーシア。回復魔法や薬草で幾分治って来てはいるが完治には程遠い。ルーシアが首を振って言う。
「姫様。あなたは本当に優しいお方だ。だが、私が行くと言ったら聞かぬこともご存知でしょう」
エルティアが苦笑して答える。
「そうだな。ああ、そうだったな。ルーシア、我と共に参れ」
「はっ」
ルーシアは胸に手を当てたまま頭を下げる。
(体が、やはり体が動かぬ……)
王族用の美しい白馬に乗ったエルティアがゆっくりと漆黒のオークへと近付いて行く。周りには同じく栗色の馬に乗った上級大将ルーシア。その他にも王兵の中から選りすぐりの精鋭を数名従えての折衝。
不安に感じるエルティアと同様に、ルーシアも同じく言葉にできぬ憂慮に苛まれていた。
(力が沸いてこない。背中の疼きもない……)
ミノタウロス戦で感じた全身から滾るような力はない。背中の『星のアザ』も滾らない。完治していない体が重く、ずんずんと痛みだけが体を覆う。
(怖い、怖い、怖い……)
オークに近付けば近付くほどその異常さが分かる。
死臭のような匂い。瓜のように出た腹。黒ずんだ皮膚。これほど吐き気を催す魔物が他にいるだろうか。不安に押し潰されそうになるエルティアだったが皆の手前、毅然とした表情は崩せない。
(野獣様……)
あれから姿を見ぬ憧れの野獣少年。こんな時に隣に居てくれればどれだけ心強いことか。恐怖で狂いそうなエルティア。だがそんな彼女にとどめを刺すような言葉がその醜い魔物から発せられた。
「ニンゲンの姫よ、オレのヨメになれ。断ればあの街をツブす」
エルティアのみならず、隣にいたルーシアの顔まで蒼白となった。




