8. お魚くわえた悪役令嬢
「こら、何をしている」
「っ!?」
み、見つかってしまった。
気持ちのいい風の吹くお昼前、中庭には間抜けにも魚をくわえたまま立ち尽くす元侯爵令嬢の姿が。
「……これはトマスに疑われても仕方がない気がしてきた」
こっそり来たはずなのに、どうやって見つけて……。私はただ、生魚が食べてみたかっただけなのに!
「汚いから、ぺっしなさい。ぺって、ほら」
ああ、さようなら私の生魚。マーレリア王国の海は綺麗だから生でも食べられる魚があると聞いたのに。
私から魚をとりあげると不思議そうな顔でこちらを見るエドアルド様。
「そんなに鯛が気に入ったのか?」
「いえ、どうしても生魚が食べたく……」
あれからロッソ夫人からはよく可愛がられている。ロッソ夫人はいい人だ。撫でてくれるし適度な距離感だし。美味しいものをくれる。今日のこれだってじっと見ていたらくれたやつだ。
「生魚……なぁ。いくら新鮮でも流石に捌かないと寄生虫が怖い。厨房に行くぞ」
「作ってくれるんですか?」
「当たり前だろう」
そうしてスタスタと厨房へ向かうエドアルド様。
やったわ。物心ついたときからずっと食べたかったのよね。なのに王都が内陸にあるせいで、生が食べられなくて。ああ、どれだけ歯痒い思いをしたか。
「……あっ」
エドアルド様が忘れていたようにこちらを振り返り……デシッ!
「あだっ!」
「隠れて食べようとしていた罰だ」
デコピンされた。全く痛くないけど痛い。思わず額を抑える。こんなことなら前髪を分けずに作っておけば……いやなぜか作れないのよね、昔から。
「今日作るのはカルパッチョだ」
「かるぱっちょ?」
カルパス……じゃないか。パッチョンフルーツ……いやこれも違う、どこか間違えてるわ。
私がそんな風に考えている間に準備を終えて丁寧に捌いていくエドアルド様。
「うん、寄生虫はなさそうだな。生で食べられるぞ」
「っお刺身!!」
エドアルド様はちょっとの砂糖を足した塩と胡椒をたくさん振りかけてお魚を締めた。
「よし、じゃああとは三、四時間後だな」
え、今食べられるんじゃないんですか? 早くておやつ……?
「そ、そんな情けないような顔するな。こうやって水分を抜くんだ。料理というのはこういう手間を省いてはならない」
「お刺身……」
「せっかく食べるなら美味しく食べよう、な?」
そう説得され、ちょっと気が向いたのでエドアルド様で遊び、お昼を食べて、昼寝をして。
起きたら厨房に呼ばれた。どうやら続きをするらしい。
「水分を抜いた鯛を水でさっと洗って、レモン汁をかける」
「どうして水分を抜いたのに、水で洗うんですか?」
それではまた水分が入ってしまうのでは……。
「さっき抜いた水分には臭みなども入っているからな。表面に付着したそれを流すためだ」
「なるほど……」
そうしたらそれを薄く切られた玉ねぎの上に盛り付けて。塩、胡椒にワインビネガー、マスタードとオリーブオイルを混ぜたドレッシングをかける。その上からレモンやバジル、フェンネルを加えて。
「ほら、カルパッチョだ」
「念願の生魚!」
「元々は肉料理なんだが、遠くの国が生魚で作ったらしくてな。少しブームになったんだ」
せっかくだからお前がこっそり食べようとしていた中庭で食べるか、と揶揄うような顔のエドアルド様。いいですねと言ったら拗ねられた。解せぬ。
ぶすくれたエドアルド様の周りをうろうろしながら向かった。お気に入りの大きな木の下に座っていただく。
「では遠慮なく」
ぎゅもぎゅもっと噛めば、あまりの感動に震える。
なんて素敵な酸味と白身魚のハーモニー。オリーブオイルとマスタードもいい仕事してる。待った甲斐があって、旨みが凝縮されていて……おいしい!
「そうか、うまいか」
「はい!」
相変わらず、私が食べている様子を見ているエドアルド様。作る側ってそんな風に食べている人が気になるのかしら。
「エドアルド様は食べなくていいんですか?」
「……俺は、いい。夕飯が食べられる程度にしておけよ」
少食なんですか? 海鮮料理は別腹だと思いますが。
なんて考えていると、エドアルド様は少し気まずそうな顔で何か言おうとしては口を閉じて。私との温度差が凄い。
「い、嫌なら聞き流してくれていい。国外追放されたと言っていたな。…………国に未練はあったりするか?」
意を決したようにそう言うエドアルド様。なんだ、そんなことかとカルパッチョをぱくり。咀嚼して飲み込んで。
「いいえ、まったく」
困ったことに何もない。即答すると、エドアルド様は安心した様子だった。今日探していた理由はそれですか。
「次は何が食べたい?」
「うーん……ああ、そういえば噂を聞いたんですけど」