7. 先住犬がうるさい
最近、視線を感じる。
エドアルド様の元で過ごしてもう半月が経った。毎日シーフードが食べられるし、昼寝はできるしで満足の生活を送っている……けれど。
勢いよく後ろを向くと、茶色の髪がチラッと見えていた。
でも、私は今日も無視する。
「あら、お嬢様。今日も中庭ですか? あそこは日当たりが良くてポカポカ気持ちいですもんねぇ〜」
考え事をしながら廊下を歩いていたら、メイドの一人に声をかけられた。ここに勤めているメイド、執事はほとんどが壮年でおしゃべりだけれども落ち着いていて、安心する。
……今、物陰からじっと私を見ている、エドアルド様の従者、トマスさんを除いて。あの、行き倒れになっていた漁港でも付き添っていた人だ。
「ああ、そういえばエドアルド様がそろそろ宮廷から戻られるのでは?」
「そうなの?」
「ちゃんと見つけやすいところにいて下さいね。また「どこに行った!?」って探してしまわれますから」
では失礼します、とメイドさんは大きな洗濯カゴを持ってランドリーへ向かって去っていった。
中庭はポカポカとして気持ちいい。ひとまず昼寝をしようとしたところに……トマスさんが現れた。しかも目の前で仁王立ち。せっかく無視してあげていたのに。
「貴様……、やはり侯爵令嬢などではないだろう!」
う、うるさっ! 身長が高くて筋肉があるから!?
忠誠心と書かれた黒い瞳に睨まれる。はぁ……。めんどくさい。無駄な喧嘩なんてしたくないのに、噛みついてくるなんて。
「密かに監視していたが、侯爵令嬢らしい行動なんてまるでない! やはりエドアルド様を誑かすために嘘をついたのだろう!」
それで密かって、敵対心を隠しもせず……この人絶対密偵とか向いてない。
「アンジェライトの差金か!? あのお方には指一本触れさせん!」
そう吠えられましても。
差金って、そのアンジェライト……母国から追放されてるんですが。なんなら家からも勘当されてますから身分すらありませんけども。
でも、こういうタイプは何を言っても信じないし聞かないし、何か言うだけ無駄なのよね。
そんな風に遠い目をしていた時、上等な革靴の足音がした。そして紙袋のすれる音。これは……。
「おーい、どこにいるんだー?」
トマスさんも気づいたようでエドアルド様の元へ全力疾走。
やれやれ、なんだろうこの既視感。そうだ、犬。忠臣ならぬ忠犬か。
ゆっくりと、私は歩いて向かう。別に懐いてなんかないから。
「おかえりなさいませ!」
「ああトマス、あいつを知らないか? というかお前今日は休みじゃ……」
「っエドアルド様、やはりあの娘は侯爵令嬢なんかではありません」
「ん?」
声が大きいわね。
しっぽをブンブン振りながら息巻いて報告してくる忠犬に困惑している様子のエドアルド様。まあ、ですよね。
「状況はよくわからないが、高位の貴族であることは確かだと思うぞ」
所作でわかる、とエドアルド様。ですよね。それだけは完璧な自信があります。だから老練なメイドさん達も気を許してくれているのだと考えております。
「アンジェライトの策略で……」
「婚約破棄した上に、地図も食料もなく身一つで放り出してまでか? 無謀すぎる計画だろう」
おそらく、死刑にするには罪が軽く、国に置いておくには邪魔だったから、勝手に隣国で野垂れ死にさせようとでも思っていたのでしょうね。
「し、しかし。エド、アルド様が、見ず知らずの女を、こんなに、気にかけるなんて……ハニートラップでもないとおかしいじゃないですか!!!」
ワオン!! と吠える。なるほど、これが負け犬の遠吠えというやつですか。無駄な争いは避けるタチだけれど、流石にここまで格下なら……。
「お黙りなさい」
冷たく睨むと、トマスは体をこわばらせた。エドアルド様は目を少し見開いて静かにこちらを見ている。
「貴方、主君を困らせたいの? 元侯爵令嬢の私が、隣国の王太子の従者に殺されれば……火種になることくらい、わかるわよねぇ?」
たとえ、身分を剥奪し国外追放をしたのが母国だとしても。こじつけだろうとなんだろうと、正当な理由さえ作れればいいのだから。
「私がハニートラップを仕掛けた? そんなことするわけがないでしょう? だって……」
公務の合間にはこっちを観察してきて、休み時間にはおやつをくれて。
「エドアルド様の方が構ってくるのですから」
この間のジェラートは美味しかったわ。
項垂れるトマス。気まずそうに顔を逸らすエドアルド様。
ちょっといじめすぎたかしら。この犬、主君に可愛がってもらいたかっただけなのに。
「お手」
「……はい」
格付けが終わったのを確認して、くるりとエドアルド様の方を向く。
「さて、今日の夕食はなんですか?」
「……俺は、構ってなんてない」
嘘おっしゃい。
その紙袋の中身、ごはんですよね?