61. 未来のために
庭師が丁寧に育てていた花壇は枯れ果て、お手製クッキーの匂いもしない。
けれど中は変わっていなくて、身長を測った柱も、お祖母様のロッキングチェアも昔のままで。 どこかに昔の私とお祖母様がいる気がした。
「ここが、ノラの生家か」
「ええ。……こっちが、お祖母様の部屋です」
知らないメイドさんに案内されて戸惑ったけれど、ドアノブの慣れた感触にホッとする。
お祖母様の部屋は、ぼぅっと淡い光に包まれていて。窓際の日なたで、埃が静かにゆっくりと落ちてゆくのが見えた。
「確か、ベールを入れていたのはここだったはず」
古く、でも手入れのされた家具。チェストの一番下の段に、大切に畳まれて入れてあった。
……昔見せてもらった時のことを思い出す。
『あなたがこのベールを被る時、きっと私はいないでしょう。でも、あなたの旦那様がこれを上げてくれます。その時は、しっかりと瞳を覗きなさい』
その時の私は、殿下と結婚することが決まっていて。だから、なんの話かよくわからなかった。
『……お祖母様はそうして、あの人を理解しようとする覚悟を決めました』
お祖父様とお祖母様は政略結婚だったらしい。ほとんど初対面で出会って、お互いを知っていって夫婦になって行ったのだと仰っていた。
暖炉の上に掛けられた家族の肖像画。そこにはお祖父様とお父様がいる。
お祖母様は家族を深く愛していた。
……じゃあ、私は?
「家に未練なんて、なかったのに、エドのせいだから」
────でも、一度生まれた感情を、そう簡単に忘れられないんだ。
そう零した貴方が、どれだけ眩しかったか。
「私、あの人たちに何も思ったことない」
他人として、恐ろしかった。ただそれだけで。愛すどころか、憎んだことすらない。
「あの人たちのこと、何も知らない」
どんな風に育って、何をしてきたのか。私を、どう思っているのか。事情をお祖母様から聞いただけで、自分で知ったわけじゃない。だからマーレリアに来たばかりの頃、私は言った。未練なんてまったくないと。
「……まさか、今更できるなんて思わなかった」
エドを見て、家族が、羨ましいと思った。
「だけど、知ろうとしたところでもう遅くて。元々、まともな家族じゃないし。私だってよくわかってない」
「なにより、歩み寄ろうとしているかぞくでさえ、こんなにすれちがうのに、じゃあわが家はって?」
お父様が、私に対して何も思っていないのは、身に沁みてわかっている。だって、私も同じだったから。お母様は、私のことを覚えてすらいない。私も、覚えていない。
ここに来なくたって、わかっていた。
エドアルド様が愛されていたと言った時、私との絶望的な差を感じた。
それでもあなたが眩しいから、最後に、一度だけ、関わりを持ってみようと思えた。
……関わって、踏ん切りがついた。
「おばあさまが、おっしゃっていたの。だいじなのは、引きつがないことだって」
私は、もう二度とこの家に来ない。家族とも関わらない。
お祖母様は、お父様のことを、旦那様の大事な忘形見だと仰っていた。お父様が復讐に囚われてしまったのは、自分の不甲斐なさが招いたことだと。それでも愛しているのだとも。
でも、私を選んだ。だから私は、恨みの感情を知らずに育った。復讐や恨みとは最後に己を苦しめるのだと知れた。
それが、今の私……エドとの未来に繋がっていた。
「……かえりたい。おうちに、かえりたい」
「ああ、一緒に帰ろう。ロッソ夫人やみんなが待っている」
お祖母様のベールが日の光に透ける。繊細な模様が美しかった。
私も、未来につながる道を、選ぶ。一番大事なことは、自分の心のままに“生きること”だから。




