55. リードなんてつけませんよ!
「ンギャッ!! 水!!」
今日は生誕祭のマーケットに行くということで家を出ると、水路の水が増え、街は水浸しになっていた。
「ああ、アクア・アルタだな」
「アクア・アルタ……?」
「見たことがないって逆に珍しいぞ。潮の満ち引きだから放っておいていい」
マーレリアの冬の風物詩だって……最近ただでさえ湿気と寒さで凄いのに、洪水まであるなんて。物ともしていない国民、凄い。
「建物も街も全て計算されていて、この程度なら橋の下も通れる。さ、行くぞ」
とりあえず何も考えずに小船に乗り込む。大丈夫、私は落ちない。落ちない。……エド様が助けてくれるはず。
そう考えているうちに無事にカナルマーケットに着いた。今度は降りるのが怖い。エド様がヒョイっと持ち上げるように降ろしてくれた。
「ちゃぷちゃぷしてる」
「今は浅いからな。水たまりとそう変わらない」
いつでも長靴で足踏みをしているとエド様に止められた。街は綺麗に飾り付けされていて、人々で賑わっている。曇り空でもどんよりしていない。
「それより……」
今、目の端できらりと何か光った。
なにかしら、あれ。
「おい、ちょっと待て」
光った方向へ行くと、宝石のようだったり、レースの模様の入った物が売られていた。ランプの光を反射して綺麗。
「ねぇ、エド様。これはなんですか!?」
「ガラス細工だな。ガラスはマーレリア国内の島で作られていて……」
へー。キラキラしていると思ったらガラス……。
ん? 何か向こうから美味しそうな匂いが。
「あっちに何かある!!」
「おい、待て!! 勝手に動き回るならリードつけるぞ!!」
そんな犬じゃありませんし。なんか猫でも飼い猫のやつはつけられてましたけど。
……代わりに手を繋がされた。結局いつも通り。
そのままたくさん見て、パンドーロというバターをたくさん使った焼き菓子を食べたり、ホットチョコレートを飲んだり。
「あったかい……」
「生クリームを絞って冷めづらくしてるのか。いいな、これ」
また作る側の感想を呟いているエド様。たまに王族ではなく料理人なのじゃないかと思う。
……ん?
「エド様、あれは……」
フリッターのお店の方を向いた時、子供の声が聞こえた。そのまま衝動でそっちの方へ行く。繋いだ手に引っ張られたエド様の困惑した声が聞こえるけれど、知らない。
「おいノラ、急に!」
声が少しずつ大きくなってゆく。そこは路地の入り口で。子供が鼻水を垂らして泣いていた。大方人混みに弾き出されたのだろう。
「あなた、どうしたの」
「ママンがどっか行っちゃったの……」
「そういうことってあるわよね」
「いやないが」
私たちが迷子になったんじゃなくて、あっちがどこか行ってしまうんですよ、エド様。
「はぁ、迷子なら素直にそう言え。お前、どっちから来たかわかるか?」
エド様が手なれたように元にいた場所や母親の特徴を聞き出す。その情報から彫像のところへ一緒に向かうと、母親はすぐに見つかった。何度もお礼を言ったあと、子供にゲンコツをして去っていった。
「まあ見つかって良かったな。ノラ、さっき行きたがってた場所に……どうかしたか?」
見惚れていた。雲の隙間から夕陽の見える黄昏の中、笑顔で飲み物や大事な人の手を持って歩く人々の、幸せを形にした光景に。それはガラス細工よりもキラキラで、生クリームよりふんわりしていて。
あの子供も、今頃怒られながらも笑って、母親の手を繋いでいるのだろう。そして私も、エドと手を繋いでいる。
「……いいえ、家族が多いなって」
「生誕祭だからな」
きっとこの後、子供も、大人も、おじい様おばあ様も、生誕祭のご馳走に舌鼓を打ちながら、楽しい時間を過ごす。そのために、大事な人と一緒に暖かくて優しい場所に帰っていく。
私も……と、離宮が思い浮かんだ。次は、お祖母様と過ごした別邸。
そうよね、家ってそういうもの。私にとっての、おうち。大事な人。
「ねぇ、エド」
「なんだ?」
「帰ったら、話したいことがあるの」
そう言って見上げると、エドは私のことを優しく撫でて頷いた。
「……ああ、聞こう」




