51. 猫を被った令嬢
「ここが王宮ですか……」
初めて訪れたけれど、王太子の婚約者がこれでいいのかしら。いや、今更ね。
王宮は海沿いにある四角くて大きな建物で、昔は要塞だったらしい。とはいえ中は煌びやかすぎず豪華で、白い壁に赤と金を基調にした品の良い空間だった。
「ねえエド様」
「……なんだ」
「流石にその顔は怖いです」
働いている人たちは人種も多種多様で、キビキビしていたり、ゆっくりだったり。
色々と興味深いのに隣のエド様の雰囲気が煩い。ここが人前でなければその眉間の皺をツンツンしてやりたいくらいに。
……そんなに王宮が嫌いなんですか。
「…………気をつける」
「治ってないですよ」
「………………」
エド様が王宮を嫌っている理由はロッソ夫人からなんとなく聞いた。
流行病で混乱していた当時、王宮には悪意が巣食っていて、病弱で何もできなかったエド様は格好の的だった……と。
悪意の塊みたいなアンジェライトで育った身としては、その程度で? と思ってしまうのだけれど、こればっかりは環境の違いだからしょうがない。
「……ここが、応接室だ」
開けるだけで深呼吸までしなくても。どちらかといえば緊張すべきは私なのですが。
ドアの向こう側には金髪赤眼の陛下と、銀髪碧眼の王妃様がいた。敬意を示そうとしたのを手で止められる。
「そんなにかしこまらないでちょうだい」
王妃様はよく見るとエド様に顔つきが似ている。私がごはんを食べているところを見ている時の顔とそっくり。
「エレノアさん、よね。初めまして。会うのをとても楽しみにしていたの」
「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。エレノア・ロッソと申します」
……優雅に、上品に、侯爵令嬢らしくしなければ。
王妃様のとても高貴な雰囲気に、猫が覆い被さった。
「ロッソ夫人から話は聞いているわ。いつもエドアルドを支えてくれてありがとう」
けれど、一瞬で剥がれ落ちた。
ど、どこまで聞いていますか? どこまで話したんですかロッソ夫人。
「久しぶりだな、エドアルド」
「元気そうでよかったわ」
「……ご無沙汰しております」
にこやかなお二人に対して、取引先の前でするような、貼り付けた笑顔のエド様。
確かに、行事などの公務でしかエド様と一緒にいるところを見たことがない。実際、国王と王太子の仕事は基本どっちかで被らないのだけれど、久しぶりって……。
「さあ、座って。ティーセットを用意したのよ」
「紅茶……?」
「ええ! アンジェライトのご出身だから、と用意してみたの」
マーレリアは珈琲の文化で飲む機会が少ないでしょう、と。
テーブルにはスタンドに乗ったお菓子と紅茶が用意されていた。
別のことに気を取られていたけれど、確かに懐かしい匂いがする。
「お気遣いありがとうございます」
「いいえ、私がやりたくてしたの」
なんて仰ってティーポッドを持つ王妃様に内心驚く。確かに部屋の中に使用人がいないとは思っていたけれど、ご自分でされるなんて。
「何度も練習台にされてしまったよ」
朗らかな陛下と、楽しそうな王妃様。良い人達。
「素敵な出会いに」
「……素敵な出会いに」
久々に飲んだ紅茶は、甘い香りなのに苦かった。
少しだけ素を出しながら、出会いや降臨祭、屋敷での事を話すと、お二人は興味深そうにきいてくださって、和やかな空気が続く。
「……エドアルド様が思ったレーサーが一着で驚きました」
「ほぉ。私は五着で笑われてしまったよ」
「だって、あなたったらあんなに自信満々だったのに」
当たり障りのない会話の中、エド様のいつもの笑顔が見られないことが引っかかる。ご両親とエド様の間のぎこちなさを身にしみて感じた。壁がないのに遠い気がする。
……お互い努力しているのに、どうしてこうもうまくいかないのか。
「申し訳ありません、少し」
適当に理由をつけて、トイレで退出したエド様の後を追う。お二人は快く了承してくれた。きっと、内ではわかっているのだろう。
「……エド様」
少し行ったところの、使われていない部屋で、エド様はぼぅっとしていた。




