42. ノラは〇〇を悟ると去る
とはいえ私は国外追放中だから帰れない状態なわけで。ひとまず記憶を頼りにヴェールの絵を描いて渡した。
でもその元凶の冤罪の件がうまく進み始めたのが救いだ。まあ殿下もアリアさんも頑張ってくれていたけれど、一番はカルロス陛下の口添えが大きい。そして何より、エドアルド様がずっと動いていてくれたからだと思う。
「まあ冬ごろには取りにいけるんじゃないか」
「……それは結構なんですけど、勘当された家に帰れるんですか?」
「こちらは正当な理由がある」
執務室の椅子に腰掛けて指を組んでいると、凄く何か企んでいるみたいだけれど、ただのベールの話ですよね? ……カッコつけめ。
正当な理由、ね。実際届けてもらおうにもお父様はわからないだろうし、お母様なんて論外。昔馴染みのメイドさん達も徐々に年齢や結婚でやめていってしまって連絡が取れないし……しょうがないのかしら。
「ああ、今日話したかったのはこの件だけではなくてだな。病院……」
病院、その単語を聞いた瞬間、悪寒が走る。一瞬、凄く嫌な予感がした。
────変なツンとする匂い、手袋で触られた時の感覚、変に明るい台の上、怖いだとか痛いだとか騒ぐ奴らの声。
素早く執務室を出る。これは前世の記憶だ。ホケンジョとやらではなかったものの、捕えられて連れて行かれた場所、病院!!
「おい、どこに行くんだ」
もう二度と行くものか。とにかく安全な場所に隠れなければ。中庭はダメ、バルコニーもダメ、街は論外!! クローゼットも多分バレる気がする。
……とにかく逃げて探して逃げて探して。暗くて狭い、埃っぽい場所に落ち着いた。
ここなら来れない。大丈夫。安心。でも、エドアルド様がいない。あの人が、私に酷いことをするのだろうか。
いいえ、今は五感に集中しましょう。傷つけられたくない、嫌な目に遭いたくない。死にたくない。
そうして屋敷全体がうるさくなってきた頃、とうとう人が来てしまった。足音が……こっちに……。
「おまっ、どんなところに隠れてるんだ。ほら出てこい」
「い、嫌ですっ! 病院は嫌!!」
エドアルド様だったことに安堵しつつ、でも病院への警戒心は無くせない。
病院って、病気を治すところよね。知っているわ。でも怖くて痛いところで……。
「私健康ですから!」「どんな病気でも寄り添ってやる!」
ん???? なぜ私が病気だと思っているのですか?
「あっ!」
油断しているところを引っ張り出された。持ち上げられて抱っこさせられる。どんなに暴れても離してくれない。渡り廊下で、エドアルド様の手に噛み付いた。病院は嫌!!
「いってぇ!!」
格闘の最中、何かが覆い被さった。
なんだか、凄く……安心する。狭くて、これは……。
「ネットだ。小魚を引き揚げるときのものだから洗ってあっても生臭いが……暴れる以上こうさせてもらう」
魚とエドアルド様の匂いに、張っていた気が緩み、いつのまにか瞼が落ちてくる。次に目を開けた時、そこは病院だった。
風邪が流行り始める季節の前に、ただの定期検診らしいけれど、それでも嫌!
「うん、どこも悪いところはなさそうですね」
「ほ、本当か?」
「ええ、健康体ですよ」
ほら言ったでしょう!
話していることが全部わかって、何も怖くないし痛いことはされないとわかっているのに、消毒液の匂いや病院特有の床に恐怖を覚える。触られると、体が反射的に避けようとする。
「シャァァァーーーー」
「随分と病院が嫌いなんですね……好きな人もあまりいませんが」
「よしよし、よく頑張ったな。帰ったら美味いものを作ってやるから、許してくれ」
エドアルド様に撫でられながら、ほんの少し残った冷静な部分で考えれば、この態度は子爵令嬢また婚約者として非常によくない。
「殿下は、いい表情になられましたね。ですが働きすぎはよくありませんよ」
「そうか? 気をつけよう」
けれど、エドアルド様がやんちゃしていた頃からの知り合いらしいので、口は堅いと信じたい。どう頑張ってもこの恐怖心を押さえつけることは不可能。
「さ、帰ろう」
「は、やくしてください」
……家に帰って、なぜ私が大病だなんて勘違いしたのかと聞くと少し違った方向から返ってきた。
「昔、猫が去ったら死ぬ時だと聞いたことがあった」
「いや私は猫ではないですが」
……今は。
「だとしても、だ。はぁ……なんだかどっと疲れた気がする」
「お大事に」
「誰のせいだと……」
しかしこの後、案外すぐに行く羽目になる。




