40. エドアルドのキッチン
皆が寝静まった深夜、ふと目が覚めて、少し考えてからオイルランプに火をつける。カーテンの隙間から月明かりが漏れて、少し眩しく感じた。こんなに明るいのならランプはいらなかったかもしれない。
「……少し寒いな」
秋口の夜は冷える。大きめのカーディガンを羽織って部屋から出た。
眠れない日は、キッチンへ向かうに限る。
この時間は使用人もほとんどいない。いつも人の気配の途切れない離宮が夜の静寂に包まれる。寝室から離れた渡り廊下は心地よい孤独を提供してくれる。誰にも見られていないと思うと、足取りが軽い。
「〜♪」
口ずさんでしまうのはどこかで聞いた知らない歌だ。寂しいような優しいような歌詞が印象的だった。
……音痴な自覚はあるが、聴衆は俺と月しかいないのだから、なにも問題はない。
それにしても、眠れなくなるのは久しぶりだ。最近、色々ありすぎたせいかもしれない。特に冤罪の件がうまくいかず焦っていたが、まさかあいつが手を貸してくれるとは……。
考え込んでいるうちに、キッチンについてしまって。一度思考を止める。
「……いや切り替えよう」
ランプで部屋を照らすと、昼間とは違った雰囲気のキッチンに少しだけ楽しくなった。
まずは使って良さそうなものを探すところから。主人とはいえ、好き勝手使ってしまえば、しっかり在庫を管理している優秀なコックを困らせてしまう。そしてロッソ夫人に怒られてしまう。
……あまりないな。明日が業者のくる日だったらしい。
「ああでも、卵と牛乳は多めにある」
これがあれば作れるものはそこそこある。どうせならノラに食わせてやれるようなものがいい。
思いついたのは異国のお菓子だった。
「……プリン、か」
カミッラが来たからか、昔のことを思い出す。飯を食えなくなった頃に、ロッソ夫人が教えてくれた料理だった。
……あの頃は安心のために作っていたが、最近は違う気がする。
「これなら、あいつも喜ぶだろう」
マーレリアでは珍しいスプーン菓子。ノラの母国などでは多いらしいが、こちらでは基本は店などで食べるお菓子だ。まず家庭では作られない。
「まずは計量だな」
お菓子は分量と火加減が大事だと、ロッソ夫人は言っていた。砂糖と牛乳をしっかり計る。念の為四人分くらいにはしておいた。使いすぎてもいけないが、トマスや側近も食べるかもしれない。
「よし、いいだろう」
そうしたらボールに落とした全卵をよく溶く。まだらではなく均一になったところで砂糖を加えて。バニラエッセンスを垂らすと、一気にお菓子作りらしくなる。
卵液を伸ばすようなイメージで牛乳を入れたら、裏ごしだ。
「……あとで洗うのがめんどくさいんだがなぁ」
しかし、料理に洗い物は付き物だ。それに食わせた時の笑顔を思い出しながらするのは、別に嫌いじゃない。まあ、今回はそれはお預けだから、大人しく喜んでもらえるかどうかを考えながら洗うとしよう。
「あ、串を用意するの忘れたな」
ひとまず泡立たないように容器に注ぐ。しかし気泡はやはりできてしまうもので。
湯を沸かしている間に見つけた。ちまちまと串で気泡を潰す。俺はこういう作業が嫌いじゃない。が、トマスがやったらひっくり返したり、ノラは途中で飽きるだろうなと想像すると少し面白かった。
「あとはオーブンへ」
トレーにお湯を注いでプリンを並べる。あとは、待ち時間だ。お菓子作りの一番好きな時間。
「うまくできてくれよ」
オーブンの前に椅子を持ってきて、眺めながらぼぅっとする。
プリンは、元々は他国の船乗りたちが食糧を有効活用するために編み出した料理なんだとか。言葉自体、様々なものを蒸したものという意味らしく甘いものが主流になったのは最近らしい。
元はパンのカスやら肉やらが材料だったらしいが流石に酷いだろう。
「まあ、ごちゃごちゃしたものが集まって、洗練され、いいものができるのは、わからなくもないんだが」
一人の元令嬢を助けたことからこんなことになるなんて思いもしなかった。
さて、使ったものを洗って、これを氷室に置いておいたら、そろそろ寝よう。船乗りの国マーレリアの朝は、仕事に埋もれている王太子の朝は、早いのだから。
「……でもまあ、あいつの笑顔が見れるなら」
どんなに忙しくても頑張れる。
人を喜ばせるために作るようになったことに少し驚きながら、オーブンを眺めた。
「そろそろ、あの件も動かす頃合いだな」
……なんて独りごちながら。




