36. 歯が黒くなった!?
夏の暑さの勢いも少しずつ落ち着き始めてきた。……のに対して冤罪の件は未だバチバチらしい。エドアルド様が書簡を読んでは舌打ちしている。
「ノラー、いるかー?」
いつも通り中庭で昼寝をしていたら、エドアルド様が探しに来た。
座っていると余計身長が高く見えるわね。なにか私のサインでも急に必要になったのかしら。
「……お前の食べたがってたものを作ってやる」
「食べたがっていたもの……?」
「おい、忘れたのか」
たくさんありすぎて逆に記憶にございません。
呆れた様子のエドアルド様に、もったいぶっていないで言うように視線で促す。
「ご所望の黒いの、だ」
それは、あの時の民家のベランダで住人が食べていた……。
『あれはイカスミパスタだな。ペーストでも余っていたんじゃないか』
『た、食べられるんですか? 変な味とかしそう』
『失礼だなおい。漁港で散々イカスミだらけのコウイカを見ただろう』
『それとこれとは話が別といいますか……』
そこからは売り言葉に買い言葉。まんまとエドアルド様に作ってもらえることになったのだけれど……。
『もう少しで旬の時期に入るから、それからだな』
『えぇ……』
『初めて食べるんだろう。よりうまいものを食うべきだ』
というわけで、影の処理や書簡などで忙しかったのもあって放置されていたのだった。
「作ってくれるんですか!」
「ああ、だからほら、ついてこい」
サッと芝生から起き上がって、スカートについた葉っぱを払う。
厨房まで上機嫌で向かうと、なんだかエドアルド様も嬉しそうだった。相変わらずの奉仕癖ですこと。
手を洗ってエプロンをつけて。いつのまにかお揃いになっていたのが少し不服。
その間にエドアルド様は下処理を終えていた様子。さすがはロッソ夫人の弟子。手際がいい。
「まずはニンニクのローストだ」
ニンニクの芯を抜いて、薄切りにして、オリーブオイルと一緒にじっくり弱火で。赤唐辛子も入れてきつね色になるまで。
「そうしたら、ここに玉ねぎを入れて炒める。透き通るまでだな」
じゅうじゅうといい音がする。さっきのローストの匂いとも合わさってよだれが……。
「次はトマトだ。水分を飛ばす」
見慣れた光景。別になんにもおかしくない。
「それで、イカだな。火を通しすぎると硬くなるから一度別の皿に移す」
ここで大事なイカが登場するも……まだ普通。
「あとはイカスミを入れて、白ワインも。塩で味を整えればソースの完成だ」
一気にフライパンの中が魔界になった。別にしておいたイカも、全てが黒に染まっていく。
食べられるのは、わかっているけれど、ちょっと怖いわ。
「パスタと和えて、盛り付けて……食堂に行くぞ」
向かう途中もエドアルド様の持っているお皿を何度も見ては目を逸らすのを繰り返した。
「い、いただきます」
すごく美味しそうなのに、フォークを持つ手が重く感じる。威圧感が凄いわ。
「え、エドアルド様……」
「なんだ?」
「一口食べてください。そうしたら、なんか大丈夫な気がするので」
とりあえず一口分巻きつけて口の前に差し出す。エドアルド様は顔を赤らめた後に何か言おうとして、口をつぐんで、眉を顰めた。
「お、俺は毒味か。しょうがない……」
そして大きく口を開けて食べた。動物に餌付けしているみたいで少し楽しい。さて、表情は……あ、普通だわ。
「もう少し唐辛子を多くした方がよかったか……?」
作った人らしい感想。
これで大丈夫だと私もパクリ。
「案外……素朴……?」
トマトとニンニクはいつもの味で、イカスミはそんなに味がしない。でも、磯の匂いが鼻を抜ける。ピリッと唐辛子がそれを締めて。
「まあ、だろうな。イカスミパスタは、元々は質素な料理……全て利用しようという考えからできた料理だ。これは家庭料理全般の基本的な考え方だな」
家庭料理でこんなに美味しいの、おかしいわよ。恐るべしマーレリア人。
「うまいか?」
「はい、とっても!」
ああ、そういえば、エドアルド様とここで一緒に食べたのって初めてかもしれないわ。一口だけだけれど。
────なんて、穏やかな日常の数日後。エドアルド様が絶叫するなんて、思いもしなかった。