32. 水は嫌い水は嫌い水は嫌い
『……実はだな』
『あ、やっぱりいいです。それよりあれ食べたいです』
あの後、漁港で網焼きの貝や魚串、イカ焼きを食べて満足してから家に帰った。なぜか帰りにエドアルド様がひまわりの花束をくれて邪魔だった。メイドさんに適当に飾ってほしいと渡したら屋敷中にひまわりだらけになった。ちなみに99本あったらしい。謎ににやけた様子で言われたけれどなんだったのかしら。
というわけで翌日に執務室で話すことに。そもそも人気のない漁港とはいえ小声でも迂闊に話せない内容だ。エドアルド様はそれどころではなかったようだけれど。
「ボートレースに、元婚約者様達が来る……?」
「ああ、ウィリアム王太子とアリア・フローレンスが」
王太子の婚約者として公務のほぼ全てを覚えているけれど、マーレリアのボートレースに出席するなんて聞いたことない。
「そもそも近隣諸国の王侯貴族は賓客として招待しているんだがな」
「今までアンジェライト側が無視していたと」
「そういうことだ。しかし今年は来るらしい」
なんでまた……と思ったところでふと思い出す。
ああ、なるほど、私がいるからだわ。流石に影にはバレたということね。
国の情報どころか機密を持ったまま中枢にいられては不便に決まっている。そもそも国境付近で殺さなかった時点で詰めが甘いけれど。
「ノラが考えている通りのことだろうな。だから、それを逆手に取る」
「流石に私も影相手には負けるかもしれないんですけど」
「そこはトマスがいるから安心してくれ」
いや王家直属の諜報&暗殺部隊に一人……? そんなにトマスさんって強かったんですか?
「ああそうだ。冤罪についての書類があるが、読むか?」
「いや、別に」
金庫から出した謎の分厚い書類をしまうエドアルド様。
あの時は冤罪をかけられていることどころか婚約破棄されることすら思いつかなかったから晴らすも何もなかったのだけれど……そんな分厚くなるほど穴があったのね。まあ、貴族の娘達の計画なんてそんなものかしら。
「まあいい。というわけで一緒にボートレースに出席してくれ」
「嫌です」
「は? 話を聞いていたよな?」
エドアルド様こそ私に何を仰っているのかしら。
「水は嫌いです」
「漁港には行くくせに!?」
「漁港は魚が食べられますけど、ボートレースは落ちるしかないじゃないですか」
実際、マーレリアの人々は移動する時の小舟に立っている。私のように座っているのなんて、外国人だけ。
「体幹はある方だろう」
「ありますけど、落ちる可能性が高いのは立ってる方です」
「そもそも漕ぐところを見るのであって出場するわけじゃ……」
「お披露目もしてない謎の令嬢が王太子と共に行動しろと?」
……攻防は一時間にも及んだ。
*
「速すぎません……?」
「これは女性だけのレースだから、男性の部はもっと速いぞ」
「絶対それ人間じゃないですよ」
結局負けたのは私だった。商人の国の王太子殿下に勝てるわけなかった。
というわけで、ついに迎えたボートレースの日。一番広い運河にはたくさんの人が。曲がり角の屋敷のバルコニーに来賓達は座っている。
「それで、元婚約者様方はどちらへ?」
「あの格別豪華な席に王族はいる」
指の先には赤と金のカーテンやカーペット、見るからに高そうな調度品に囲まれているバルコニーがあった。
対して私たちは普通のお屋敷のバルコニーにひっそりといる。どういうこと? そこにお金を使いすぎたとか?
「おいその目はなんだ。金がないからじゃないぞ」
「ではなぜ」
「目立つ人間は常にいない方がいい。必要な時に必要なだけ目立つ方がいいんだ」
まあ確かに、今日のエドアルド様と私は目立つ。王族とその婚約者として正しい服装をしているから。こんなに上等なドレスを着たのは母国ぶりだわ。
「まあ、そろそろレースも終わりかけだ。準備しておいてくれ」