30. ノラ令嬢に首輪を
「エドアルド様、向こうからいい匂いが」
「おい引っ張るな。あとちゃんと足元も見ろ、転んだらどうする」
エドアルド様を大切に思っていることに気付いたといえど、何も変わることはなく。数日後、私は漁港にきていた。
海はキラキラ。たくさんの船。カモメはきゃーきゃー。人はわいわい。
そしてべったりとした潮風と生臭い匂い。ああ、素晴らしいわ。
「魚!」
「キョロキョロしすぎるな、不審に見える」
「それを言うならエドアルド様の方が不審者ですよ」
相変わらずスカーフで顔を隠している。こんな漁港でそんなことをしている人はいないというのに。しかも今はあまり人がいないから余計目立っているのに。
「俺はここは割と交流がある奴らが多い」
「大丈夫ですよ、王太子オーラとかないですし」
「ちょっと待て今聞きずてならないことを……まあいいか」
あら、もっと食い気味に否定してくると思ったのに……暑いからかしら。
「熱中症……? とかなってません?」
謎の沈黙。赤くなったエドアルド様。
「……お、俺はそんな破廉恥な人間じゃない!」
「はい?」
何を大声で叫んでいるのかしらこの人。やっぱり熱中症なのかもしれないわ。冷やすものとかないかしら。海に突き落とせば……。
「その、俺は、婚約もなにもしてないのにそういうことをするように見えるのか?」
「そういうことってなんです。そういうことって」
「い、言わせる気か?」
「はぁ?」
「キ……キキキスとかそういう」
???
ええと、なるほど、この人さては「熱中症」を「ねっちゅーしよう」と聞き間違えたわけなの? 馬鹿なの? モテないの? いやそうだとは思っていたけれど。
「あの、私は暑さにやられていないのか、と聞きたかったのですが」
「え……?」
またもや沈黙。今度は青くなったエドアルド様。
「殺してくれ……俺を殺してくれ」
「え、そこまでですか」
「いやだめだ、まだ死ねない」
「ああそうですか。頑張って生きてください」
それより早くいい匂いのする方へ行かせてくれませんか、と服の袖を引っ張ったところで手を掴まれる。
「話したいことがある」
「ええなんでしょうか」
勿体つけずに早く言ってください。魚介類が逃げます。
「ここは、お前が倒れていた場所だ」
「ああ、そういえばそうですね。その節はどうもお世話になりました」
「あの時から、俺はお前が気になってしょうがない」
連れ帰ったくらいですものね。何を今更。
「ノラを愛している。俺の、婚約者になってくれないか」
……こんやくしゃ。
……誰の。俺の。エドアルド様の。
「はぁ?」
婚約者問題をどうするのかしら……なんて私も疑問に思っていたけれど、まさか私にしようとしてるなんて思わないじゃない。
「俺の婚約者になるのは、嫌か?」
「いや、そこは全然いいんですけど、次期王妃っていうのがちょっと」
そんなパァっと嬉しそうな顔しちゃって。
恋愛とかよくわからないし、エドアルド様がずっと幸せでいられるなら、私が婚約者になった方がいいでしょう。私も海鮮料理食べられますし。
ただ、問題は、この人が王太子殿下なこと。
「私は国外追放された罪人ですよ?」
「冤罪だろう。晴らす準備はできた」
……聞いてないのですが、え、いつのまに?
ま、まあ罪人じゃなくなったとしても、
「私は侯爵家を勘当されたのであって」
「子爵家の養子になっただろう。それに元は侯爵令嬢だ」
離宮にいるための身分ってそういうこと?
……いや。
「そもそも外国人ですが?」
「俺の元婚約者も外国に嫁いだが」
そういえば。確か親交深い国の国王陛下に見初められたとかなんとか聞きましたけども。
……いやいや。
「ええと、この国の王妃教育は受けておりませんし」
「受けているだろう、今現在」
あの授業って王妃教育だったの……?
……外堀を埋められていたのね。
「じゃあ、まあ、いいか」
よくわからないままそう言うと、エドアルド様は勝ち誇ったような顔で、ジャケットの内側からベルベットの袋を取り出した。
「つけても?」
それはあの時のお店で見ていたチョーカーネックレスだった。磨いたらこんなに綺麗になるのね。真っ赤な宝石が、まるで……まさか。
「……しょうがないですね。どうぞ」
髪を持ちあげてつけやすくしてあげる。やっぱりうっとうしい。そんなに自分のってアピールしなくてもいいのに。
こんなのまるで首輪じゃない……の……??
────あなたになら、首輪をつけられてもいいかもね。
脳裏によぎったのは、●●の声。
頬に何かが伝う。触れてから、泣いていることに気づいた。何、これ。私は、誰?




