23. 酔っ払いは嫌いです
「んへへ〜。へへ」
な、情けない声……。
夏の夕焼けが空を彩る。目の前の王太子殿下はその夕焼けに負けないほど顔を真っ赤にして、ぐでんぐでんに酔っ払っていた。
「あのー、エドアルド様?」
聞こえないのか、グラスを持ったままテーブルに突っ伏して一人で笑っている。怖い。
アヒージョの鍋とかを片付けたと思ったら、今度はエドアルド様の頭部でいっぱいってどういう状況なの……。
「ねえ、エドアルド様。エドアルド様」
ツンツンとつついても応答なし。
と思ったら急に起き上がってこっちを見て、
「かわいいなぁ。ああ、かわいい」
なんて緩み切った表情で私の頬を撫でた。
……!?!?!?
ピャッと避けて、椅子の後ろに隠れる。
なんだこの変な生き物は。これがあの、エドアルド様なんて私は信じない。こんな砂糖菓子みたいな人じゃなかった……はず。いや、案外こんなのだった気もしてきたような。
「ノラ、おいで」
手招きして自分の膝を叩くエドアルド様。……辺りはもうすっかり、夜のベールに包まれていた。
……最近、乗る機会が少なくなっていたわよね。別に、乗り心地チェックであって、他意はないわ。ええ、そうよ。
「うん」
乗ってあげれば満足気に頭を撫でてくるエドアルド様。
ロッソ夫人もエドアルド様も、なかなか撫で方をわかっている。お祖母様と、おんなじような、優しい撫で方。だから、別に、撫でられるのは嫌いじゃない。
「ノラは日向の匂いがする……」
スゥーっと音がした。
「ニ゛ッ!!!」
え、今この人ナニしたの? 吸ってきた? 吸ってきたわよね? 匂い吸ってきたわよね?
や・め・ろ!
エドアルド様の肩をぐいっと押して遠ざける。
「ごめんなぁ。かわいいなぁ」
なんか、喜んでいる。拒否したのに、喜んでいる。気持ち悪い。
「……さっきからかわいいってずっと言ってますけど、なにがかわいいんです?」
もちろん、私はかわいいですけども。お祖母様もロッソ夫人も、そう言ってくださいますし。
「くるくるまわる表情がかわいい」
はぁ。
「美味しそうに食べてくれるのがかわいい」
へぇ。お人好しなことで。
「構うと寄ってこないくせに構わないと寄ってくるのがいじらしい」
……そんなことありませんけども。寄ってなんてませんけども。ごはんくれるからすり寄ってるだけですから。あなたは居候先です。
「……でも、ノラは、怖い」
膝から下りようとして、やめた。
「しんぱいになる。もう誰も、失いたくないのに」
ぎゅっと閉じ込めるように私を囲うエドアルド様。
「夢にみるんだ。おまえが、俺の知らないところで、死ぬ夢。……そんなのは、耐えられない」
よくわからないけれど、頭を撫でてあげる。ゴワゴワしていて、変に跳ねていて、撫で心地は悪い。
「やめろ。俺はそんな年じゃない」
「そうですね、酔っ払いさん」
「おれはよってない」
酔っ払いはみんなそう言うってことくらい私も知ってますから。
夏で生暖かいとはいえ、そろそろ回収してもらおうかと、膝の上から下りてバルコニーから出る。そこには、寂しそうにエドアルド様を見つめているトマスさんが。
「トマス! おいで!」
そしてその視線に気づいたエドアルド様が招く。トマスさんは全速力で駆け寄って傅いた。
「いつもありがとうな〜。すっかり大きくなって〜」
わっしわっし撫でる王太子殿下と、喜んで撫でられている従者。これでトマスさんは酔っていないのが怖い。
「偉い! トマスは! 偉い!」
よし、この食べた後の食器だけ持っていって、後は全部トマスさんに丸投げしましょう。そうしましょう。二人の世界を邪魔してはいけないわ。
「それにかっこいい。信頼してるぞ」
そうして今度こそ出て行こうとしたけれど、なんだか足が動かない。くるりと振り返るとエドアルド様と目があった。
「さっきまで、私のことをかわいいって仰っていたくせに」
思わずそう呟いてしまって、頭が真っ白になる。
……今私、なんて言ったの?
「ノラは、愛おしい」
それが、あまりにもいつもと違って、優しさではなく、熱を孕んだ瞳だったものだから。
そこからはよく覚えていない。気がついたら、昨日のことは嘘だったかのように、いつも通りだった。
────エドアルド様が醜態を何もかも忘れ、二日酔いで頭を押さえていること以外は。




