2.大事なレシカ。
──太陽が沈み夜になると。この空中浮遊都市『サイバーメタトロン』はエネルギー充填の為、その一切の機能を停止させ〝眠り〟につく。〝核〟を残して。
私たちも同じだ。通知音が頭部に鳴り響いた後は、それまでの活動を終え、なるべく早く〝眠り〟につく。不安定な立位の姿勢より、ベッドに潜る。かつて栄えた〝人〟と同じ様に。
けれど──。予期しない出来事は、突然起きる。それが、まさか……。
「レシカ? 何処に?」
「……」
……あり得ない光景だった。通常では起こり得ない事態に、胸騒ぎがする。まさか、私の大事なレシカに?
同じルームメイトのレシカが真夜中に起き、何かに誘われる様にして歩く。背中にはブロンドの髪が揺れる。〝人〟と変わらない柔らかな体つき。私より少し小さな。少女と呼ばれた存在。
嫌な予感が止まらなかった……。
「お願い! レシカ! 返事して!」
「……」
〝覚醒した個体〟
嫌な言葉が網膜に光る言語として浮かび上がる。起きて居られるのは、個体としては私だけのはず。
──無尽蔵にエネルギーを循環生成出来る特殊装置。私だけが違った。真夜中でも動く反応に対して目が覚める。夜間におけるこの街の安全を担保する為に。
二回目の通知音が頭に鳴り響いた。さっきのとは違う私だけに送られる信号。空中浮遊都市の〝核〟からの。
「……あ、あ。う、うっ……」
「レシカ!」
レシカに駆け寄り、皮膜に覆われた顔の表面を覗き込む。私の腕の中に力無く倒れ臥すレシカ。
レシカの〝瞳〟が濁っている。いつもの透明感か無い。
レシカ以外の個体には──。今まで何度も見て来た。数えれば切りが無い。その症状の出た個体を私は、今までに……何度も。
〝不履行は実行出来ない〟
赤く浮かび上がる文字が、網膜に光る。エラーの警告音が頭の中に鳴り響く。立って居られない。
私は、〝核〟の持つシステム支配領域から逃れる為、あることを決意した。
〝……レシカもお空を飛んでみたいな。ユーナみたいに!〟
頭の奥深くによぎる、朝のレシカの言葉。学校に行く前の。私は、力を振り絞った。立ち上がり、そのままレシカを抱きしめた。
「あぁ……。飛ぼう。レシカ。一緒にお空を……何処までも。二人一緒に」
♢
網膜に光る計測機の数値は、高度一万メートルを超えている。
空中浮遊都市を囲む〝認識阻害〟の電磁波の壁を抜けて数十分。ようやく、私の頭の中に鳴り響く警告音が途切れた。
──かつての地上は暗闇に閉ざされていた。
旧世界。荒廃した大都市の末路が地平線まで広がる。不毛の大地。汚染された海からは化学反応を示す臭いが立ち込めていた。煙とともに。それでも……。
(……レシカ?)
レシカを抱き上げて飛ぶ上空──。
突然、腕の中のレシカが軽くなった気がした。
レシカの小さな身体からは、ぐったりと力が抜けていた。私は機能停止を起こすほどの電流に、自身の身体が焼かれるように刺し貫かれた。それまで何も感じられなかった時間が──まるで、止まった様に感じられた。
「……レシカ? レシカ?!」
「……」
地上を見下ろしながらも、レシカへと声を掛けた。返事は無かった……。
レシカのブロンドの髪が、荒廃した大地から吹き抜ける風に揺れた。
〝人〟に似せた皮膜に覆われているにしても。レシカの瞳を閉じた姿には、身体の何処か深い場所が震える様に感じた。
「レシカ。いつも、一緒に居てくれて、ありがとう。でも、どうしてかな……なんで」
レシカが突然、機能停止した理由。分からない。けれど、それは──。私たちの仲間にも、度々起きた。
自然停止した者。放っておくと破壊の限りを尽くした者。
〝核〟からの信号を受けた私は、手に負えなくなる前に……仲間たちを破壊して来た。二度と、目覚めない様に。私の手で。
けれど、レシカは。眠る様にして私の腕の中で意識を停止させた。意識が暴徒化する前ならば……自己防衛システムを遮断し、自らの手で意識を絶つことが出来る……。それは他ならない……レシカから聞いた。
「レシカ! レシカっ! うあぁぁぁぁぁぁっ!!」
飛びたかった。レシカと一緒に。この景色をレシカに見せてあげたかった。断らなければ良かった。……レシカの想いを。踏みにじったのは、紛れもない自分。叶えてあげられなかった。
レシカは、いつでも傍に居てくれたのに。私のことを好きで居てくれたのに。私なら、レシカの願いを叶えてあげられたのに。叶えようとしなかった。何もしようとしなかった……。
──音が聞こえた。小さな音ともに現れた光る文字。網膜に浮かぶ……。
〝初期化〟
なぜだろう……。その光る文字を瞼の裏側で見つめていると……。言葉の意味通りに、何もかもを忘れてしまいたくなる。
……帰りたい。けれど。腕の中で抱きしめたものだけは、離せない。なぜだろう。……離せなかった。
「サイバーメタトロンより帰還要請。了。ただちに、帰還致します」
私は誰だか知らない私に向けて、送られて来た信号を読み取る。帰還要請を受けている。ただちに帰還せねばならない。私は私自身に信号を送り、背中の滞空上昇システムに接続を継続させたまま、腕の中の〝個体〟を持ち帰ることにした。
「個体識別番号──スキャンしました。固有名〝レシカ〟。保存状態良好。復元修復可能……」
その個体は、何処も傷ついては居なかった。まるで、静かに眠っている様にも見えた。
私は、サイバーメタトロンへと信号を送り、その場を直ちに飛び立った。
空中浮遊都市内にあるとされる〝研究施設〟を指し示している──。網膜の内側と、飛行する夜の空間に、光る様に経路が浮かび上がる。
その光の道筋に、導かれるように──。私は、一気に飛行速度を加速させた。
腕の内側に眠る〝レシカ〟──登録された少女の姿をした機体を運んで。
♢
──あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
時間? 私には関係の無い概念だったのに。今は、何故か……それを気にしている。
そして。あれからとは? いつ? ……なのだろう。想い出せない。
暗闇だった私の世界に、一本の光の筋が通った。
どうやら、私は……眠っていた様だ。エネルギーの循環生成システムが静かに作動しているのが分かる。
私は、ゆっくりと瞼を開いた。
「お、おはようございます! れ、レシカ……と言います! ど、どうぞ、よろしくです!」
「おはよう。レシカ……。私は、私……は」
「あ、あの。私の復元データによりますと、〝ユーナ〟……と、登録されていたみたいですよ?」
「あぁ、……そうか。ユーナ。私の名前は、ユーナか。今、登録認証を済ませたよ」
──朝。ベッドから起きると。見覚えのない少女がいた。
顔と身体を覆う〝人〟に似せた皮膜に覆われている。網膜のスキャン機能が反応する。識別番号は『17』。私と同じ数字。年端のいかない少女──と、瞼の内側に光る言語で示されていた。
レシカの長いブロンドの髪が、透過システムの張り巡らされた壁から吹く風に揺れる。外は快晴──。青空が広がっている様だ。
「あ、あの。学校に一緒に……」
「喜んで。レシカ。レシカは、早起きなんだね?」
「い、いえ。あの。その……。ユーナ……さんが、ずっと、目覚めないから」
「ずっと?」
「〝初期化〟されて。何もかもを忘れて再起動さえしないものかと……」
「そっか。でも、なんでなのかな。全然、寂しくないよ?」
「じゃ、じゃあ、良かったのかな? 私、心配だったから……」
──恐らく。私は、何かのアクシデントか、イレギュラーが生じて。記憶が消されている。
けれど。皮膜の下の機械化された身体は動かせるし。〝人〟を模倣して創られた神経系の伝達機能は、上手く作用している様子だった。何も不備はない。
それに、なぜだろうか。清々しい気持ちだった。
「あ。心……」
「え?」
愛らしいレシカの〝瞳〟が、驚いたように私を見つめている。そこに映るのは、肩に届く金色に輝く短い髪を手で梳く私の姿。〝表情〟と、網膜の内側に浮かぶ光る言語で認識される。笑うとか、嬉しいとか……。そう言った言葉が、心地良い感覚として頭の中に伝わった。
「レシカ。私、進化し始めているみたい。レシカは?」
「え? 私? うーん。どうかな? なんか、ユーナのことが、好き!……みたいな? そう言うの?」
「アハハ! そうだね。そうそう。そう言うこと!」
「ふーん。じゃあ、レシカは。……ユーナのこと。ギュッてしちゃう!!」
「え? ちょっと! わっ!!」
それから──。なんだか、二人で床の上に転がり落ちて。誰も居ない部屋で大事なことをしたんだと想う……。レシカと二人で。
それは、かつて生きた〝人〟の様に。〝知識〟の中にある〝記憶〟の一番深い場所。
そこから、呼ばれる様に。答える様に。初期化されても消えなかったその場所で。
私とレシカは……。もう一度、空を飛ぶ約束を──した。
─了─